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山田亮一へ

2013年、ハヌマーンの音楽に出会った。火花が散った。すでに解散していて間に合わなかったけど、ギターボーカルの山田亮一はどうやらバスマザーズっていう次のバンドを始めたらしい、と渋谷タワレコでのリリース記念インストアライブに駆け付けた。それが10年前の7月某日。

10年後の7月某日。「元ハヌマーンの山田亮一、大麻所持で逮捕」のニュースを仕事中に知る。がっかりした、だせえな、とは思わなかった。山田が格好悪いのなんてこの10年ずっとだから。不恰好にもがき、それでもどうにか音楽をやり続ける彼の生き様を見つめながら、その喉から搾り出される言葉と音楽に救われながら、共に生きた10年だった。

ドラマ『白夜行』の笹垣(武田鉄也)張りに、私がこの10年ずっと見てきた山田亮一のことをぺらぺらと喋りたい。

ハヌマーンというロックバンドは絶対的に格好良くて才気に溢れていた。実際に売れかけた。そんな折に山田の個人的失脚を理由に突如解散した。

ほとぼりが冷めた頃にぬるりと動き出した新バンド、それがバズマザーズ。山田の新しい音楽をリアタイで聴けるんだ!と心が素直に沸き立った。舞台衣装は黒服姿のスリーピースバンド、自称「平成の阿久悠」率いる「場末ポップバンド」。拠点の関西で、東京で、ライブハウスを回った。あちこちへ観に行った。

連日のショーと車中泊で悲鳴を上げた軋む関節
「果たして意味はあるか味」の飴をずっと舐めてる気分さ

『ロックンロールイズレッド』 / バズマザーズ

山田亮一は、人生のどん底から場末に這い出してきた。次の物語を生き始めた。その諦め悪く泥臭い生き様が、バズマザーズの楽曲達にはまざまざと映し出される。以前と変わらぬ眼光で世間を斜めに捉えながら、そしてハヌマーン時代の栄光とその影に首を締められながら、新たなバンドをやっていく意味を(恐らく)幾度も自問し、前に進むための足場を固めていく。

刺さったままの後ろ指も 唇で噴火する苦汁も
「見えてない体」にはしてもらえず 誰もかれもがそれを舐めたがる

『ハゼイロノマチ』 / バズマザーズ

かつての唄を欲しがる人に取り澄ますことさえも出来なくなる
でも胸に溢れる言葉はもう切り開くため振るうよ 傷付けるためじゃなくて
だから云うよ、「悪いけど人違いさ」

『魔法使いの猿たちへ』 / バズマザーズ

ハヌマーンとバズマザーズに、大阪・新世界の街を描いた楽曲がそれぞれある。ハヌマーン版は鬱屈とした場末の繁華街を、どこか外野の視線で嫌悪感を伴って描き、バズマザーズ版は街の哀愁に身を浸しつつ、人情とキャラクターのある生身の人間との交流が当事者目線で描かれる。

新しい世界は動物園と物乞いと串刺しの畜肉を悪い油で揚げる匂い

虚空を怒鳴ってる老人と 聞こえないふりの観光客と 読んで字の如く広告塔と 貸し春屋の招き猫の声

『ポストワールド』 / ハヌマーン

新世界の夕暮れは黙る子も泣きたくなる色さ

豹柄のトップスのオバハンが言う
「辛い時こそ人生笑うべきや だからこの町の人間は皆、いつも笑顔や」とやっぱり笑って

『おー新世界』 / バズマザーズ

バズマザーズ『おー新世界』MVの、アフロ頭の彼が人情街でのほほんと暮らし猫を撫でているシーンを観る時、山田、牙失ったな、と思う。と同時に、ちゃんと世界と関わってんな、と思う。内側の人間として街と、人と関わることで初めて得られる居場所、ある種の諦念が醸成する優しさと許し。

暮らすというのは、どこぞのコミュニティの構成員になって、面倒事も抱えながら他人と折り合っていくことだ。生きづらさと内向きの孤独を研ぎ澄ませたハヌマーンの歌詞世界は崇めたくなるほど格好良かったけど、人生のもがきを肯定するバズマザーズの捻くれブルース、その泥臭さと哀愁。寂しくてどうしようもない時にも、片隅に居させてくれる世界の懐の奥深さ。今ではこっちの人間味入りの楽曲の方が、はるかに肚に沁みる。

バンドの遍歴に戻る。2016年、確か下北沢、明らかに演奏がガタガタで様子のおかしいライブがあった。後のMCで発覚したが、元ドラムのマネージャーが、バンドの資金数百万円持って飛んだらしい。身内の裏切りという一大事だけど、それだけ稼げてたんだ、と逆に安心もした。この事件は後に『豚の貯金箱』という鬼気迫る曲になる。

盆に返せないのは紙切れじゃないぜ
聞くがあんた、夜になりゃ眠れるのかい?

『豚の貯金箱』 / バズマザーズ

2018年、ライブを体調不良でキャンセルしてそのまま活動休止。山田どこかで生きてればそれでいいな、と折々に思い出して過ごしたコロナ禍。2023年、ツイッターで突然の音信。コロナ以降は在宅ワークをしながら普通にぼちぼち暮らしていたこと。バズマザーズはもうやらないかもしれないけど弾き語りはやっていくこと。そんな話をハイボールをだらだら作ってはぼそぼそ話し、ツイキャスは夜更けまで続いた。酒を片手に約4時間、忘れた頃の生存確認にじんわり嬉しくなりながら夜道をどこまでも歩いた。

2024年、次なるバンド結成に向けて、メンバー募集に動き出す。その新生バンドのお披露目ライブが、間もなくの予定だった。迫っていた。全ておじゃんになった。その点は一人の仕事人として、全関係者とファンから責められて然るべきと思うし、今回の一件で最もダサいのはその点だと思う。

でも、ダサいのなんて、死にたくなるほど本人が知っていることでしょう。
「ダサい」を浴びせたくなる時って、作り上げた理想像と現実のギャップに落胆させられたことの仕返しがしたい。好きだった重さの分、心の反動は大きい。でも彼は腐っても一端のミュージシャンだから、みんなのギターヒーローだから。ある程度それらも受け止めるべきとは思う。

今の山田亮一がどれだけダサいか、の話はどうでもいい。今後、あなたが音楽をまたやってもやらなくても、生き続けても続けなくても、どっちでもいい。躁鬱の大波の中で水を飲みながらどうにか溺れず泳いできた人に、絶対にまたライブやってね、とか、生きてさえいれば大丈夫、とか、言う気にはならない。それは自身にだけ決める権利のある人生の采配。

胸を張って言う、バズマザーズは格好良かった。売れなかったけど、ニュースには「元ハヌマーン」って書かれちゃうけど、あの山田亮一が傷だらけになりながら正面切って世界と対峙しようとするその様は、何よりも嘘がなくて信じられた。他人と関わりたい、関わりたくない。昼間の街に溶け込み暮らしたい、夜の街の匿名性に隠れて息がしたい。相反する感情の狭間で振り切れそうになる心の戦いを、バズマザーズの楽曲は飾らず、取り繕わず、私たちにありのまま見せつけてくれた。

ぐるぐる回転木馬が回っている 偏見や不条理や忍耐を乗せて
絵空事みたいに笑える自分はなんだろう 
そのチケットを捨てる度胸もないくせに

『傑作のジョーク』 / バズマザーズ

今ここにあるのは、お前の紡ぐ言葉と音楽が死ぬほど好きで生きてこられた人間が居るということ。10年前も今もこれからも、私はあなたの唄に心酔しています。ただそれだけ。バンドをやってくれて、本当にありがとう。

近年の山田亮一の真髄だなと思っているある曲がある。弾き語りライブで披露したっきり音源化されていないけど、時々聴きたくなってはYouTubeに探しにいく。すこやかに寂れた暮らしから、もう一段、色にほだされて潜り過ぎてしまったようだけど、懐の深い場末の街、寂れた酒場の一席に、またぬるりと這い出してきてくれると信じる。

夕暮れが君の街を撫でるように染める頃は
悲しみが消えることは無くても抗う術がありますように
どうか

『夕暮れ』 / 山田亮一


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