無重力教室
大人が20人収まった教室は、年齢もバックグラウンドも全然違うクラスメイトが肩を並べる不思議な空間になっている。第二新卒の若手から、自分の親世代の大先輩まで。共通点は「働く」を一時中断してここに来ていることだけだ。一人ひとり、前職までのキャリアやここへ通うことにした経緯、どんな就職先をイメージしているか、などについて簡単に自己紹介していく。
聞くと別業界からの人がほとんどだ。介護職、通信会社、メーカー、事務職、保育士。タイミングとしては、リタイア、早期退職、子育て卒業後のキャリアチェンジ、など。料理が割と好きだから仕事にしてみたい、と選んだ人がいれば、包丁握ったことありませんという人もいる。
大人たちが人生の途中で、立ち止まることにした背景を自分の言葉で話しているのを聞くと、不意にちょっと泣きそうになる。いろんな世代の人生の見本市みたいだ。さまざまな状況の中で次の職の可能性を模索する、そのための止まり木としてこの場所はある。とは言えのちに分かるが、個々の学びのモチベーションにはかなりのバラつきが存在する。開かれた公の学び舎なので、それが悪とかじゃない。キラキラしておらず程よく不純な環境も、大人になればそれはそれで息がしやすい。
私がしきりに感動していたのは、この場所には「パワーが発生しない」ことだった。40代のお姉さんとも、60代のおじさんとも横並びのただの同級生である。役割もなければ利害関係もない。20代女性として社会人をやってくると、当然のようにパワーバランスの下の方にずっと居る。若手を過ごした10年の後で、突然身を浸した無重力状態。パワーが作用し得ない、抑圧から解放されたコミュニティとの遭遇に、私は静かに高まっていた。
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