世代観の所在
先輩と年代による価値観の違いについて話すとき、自分が同世代の代表みたいな顔をして良いものなのか、という迷いが生まれて語りの歯切れが悪くなる。
同世代全員の総意などない。同じ世代を生きる当事者それぞれの中に個別の実感があるだけだ。しかし、この実感は呼応するものだ、とも思っている。
40〜50代のお姉さん世代が百貨店でのお買い物メモリーをきらきらと語るとき、その感じ自分は通ってないな、と30代の私は思う。ただし、ここで個の分岐が生じる。ただ単にわたしがお金の余裕が無かっただけかもしれない。消費に興味がない人間は世の中的にマイノリティだという可能性もある。
じゃあ逆に何して遊んでるの?と聞かれて、返答に詰まる。私たちの世代は皆、いったい何をして休日を過ごしているんだろう。大きな買い物が自己表現だった時代は過ぎた後。休日はYouTubeとサブスクでエンタメ消費? 好きなもので満たした部屋で丁寧な暮らし? でも気づけば海外に行っている人も普通に居るし、キャンプする人は嬉々として道具を買い揃えるし、ギャンブル趣味の人だっている。この時代の同世代が共有する感覚において、なにが平均でだれが外れ値?
世代観の実像は、いったいどこで出会えるのだろう。どこかに必ずあると思えてならない、平成を生きた同世代が自然と身に纏ってきた、物事と向き合う姿勢、世間を見つめる眼差しのようなもの。一瞬見えた気がして追いかけると、近づけば個別の事例だけが無数に散らばって、雲を掴むようで途方に暮れる。