古今東西幸福心話
4月1日エイプリルフールに嘘みたいなニュースが世界に流れた。
来年の4月1日に世界が崩壊するという。人々は1年の余命を宣告された。
信じるものと信じないものに分かれたが何個も予言を的中してる未来人と名乗る胡散臭い占い師が断言したのだ。
そしてそれを阻止できるのは桜のアザがある鹿だけだと言うこと。
僕はその春呑気に目玉焼きを食べていた。世界が終わるなんて絶対嫌だと思った。目玉焼きが美味しいのも僕のためのものだし、これから出かけて桜を見るのも僕の楽しみだ。そんな世界が終わるなんて許せないと思った。鹿を探しに行こうと決意した。
だが1年しかないなら365回。桜と鹿。安易だがふたつともに世界一多くあり居そうな簡単に行ける奈良に絞って探しに行くことにした。でもどうせならって僕は吉野の千本桜を見に山道を登ったり、川辺の食事処で散り桜を見ながらうどんを食べたり、奈良のかき氷屋さんを調べて宝石のようなかき氷を食べたり、桜の塩漬けのおにぎりを持って散策したり、自分ために楽しんで毎日鹿探しをした。時には恋人とデートのついでに鹿を探した。古墳めぐりのサイクリングもした。神社に参拝したりそこには鹿の群れがいてアザの鹿を探すのは至難の業だと思った。決意した割に僕はずっと呑気だった。世界から奈良には沢山の人々が鹿を探しにきていたので奈良は毎日賑わっていた。もちろん世界の鹿の多く居るアフリカとかサバンナ、世界の森林が生い茂る山など鹿探し旅行で賑わっていた。
一方でいつも通り過ごす人たちもいた。仕事。家族と。恋人と。好きな人と。いつも通り過ごす幸せ。
世界は崩壊宣言により華やかに賑わい平和だった。
いったい本当に世界は終わるのかと誰もが思い始めた矢先、北極が壊れ始めた。みな血相を変えた。本当だったのだ。僕はなお呑気に毎日奈良に行って鹿のアザを探していた。暑くて日差しがきつい8月のこと。もうだめだと恋人とアイスクリームを買おうと言って一本の大木の木陰で休憩する事にした。僕は自分の為にひとつアイスクリームを買った。思いのほか不味いアイスに疲れた身体と心まで憔悴してきたので一人先に木陰に入ったら、年老いた雄の鹿が木陰の下でうずくまるように木の根に絡まってこちらを真っ直ぐ見て座っていた。僕ははっとした。予感が胸をかすめた。賑わっている街の人々はこの静かな木陰に誰も気がついてないように僕と鹿だけが対峙していた。
鹿の後ろの足の付根あたりにはっきりと桜のアザがある。
見つけた。僕が見つけたんだ。
僕はこれからもこの世界で生きれると嬉しかった喜びを噛み締め、自然とアザに手で触れた。すると鹿は木の根に包まれるようにゆっくり光となってゆく。土に帰るように消えてゆく。僕は手に温かな光を感じて心が震えていた。恋人が信じられないものをみる目でこちらを木陰の外から見ている。世界の色んな人も見ていた。
光が完全に消えたあと大木だけになって、僕の手の甲に桜のアザが出来ていた。
それからのことは、北極の崩壊が止まり、僕は世界滅亡を防いだとして世界中の人から奇跡の人として崇められた。国の国宝となり、すべて管理された世界で将来、未来永劫全てを国に捧げるようなものだった。城を与えられ、アザを見るために世界の人が僕を拝みにきた。祈りにきた。
だけど僕はこんな事の望んでなんてなかった。僕は目玉焼きを呑気に食べていたかった。毎月出る新作のアイスやドーナツは僕の好みに作られていた。もう食べることができない。
僕を拝みにきた人たちは僕が目玉焼きが好きなことを知らないのに、僕が一番好きなアイスクリームの味も知らないのに尊いものをみるように有り難いと幸せそうにお金を差し出した。僕を見ず奇跡という偶然を愛くしんだ。
奇跡なんてあるか。
僕は誰よりも自分だけが大切で自分の世界だけが好きだったそれだけだ。
でも誰よりも自分だけが特別だと思っていたから?
僕の世界はそこからひとり壊れてしまった。僕と引き換えに世界は平和になった。例えばあのとき恋人のアイスを一緒に買って一緒に木陰まで入っていたなら鹿は他の人が見つけただろうか。
そうして僕はこの奇跡の人として天寿を全うしようとしていた。世界中の人々にみまもられながら、祈りと愛を捧げられながらひとり深い孤独のなかで死んでいったことを僕しか知らない。
ふとあの鹿の事を思い出した。
あの鹿も同じだったろうか。
そして僕は今日の神話になった。奈良の鹿が守り神と言われる由来はこのことからだ。
少女は胸に物語の本を抱きしめて心に桜と鹿をうつして愛おしみ眠っている。君が世界をどう見えてるか。僕は世界になったから知っているんだ。
おしまい
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