世界の真ん中でバイト先に愛を叫ぶ

世間が賑わうゴールデンウィークが終わると、バイト先がなくなる。この長期休暇の始まりはどんよりとした気持ちで迎えることとなった。

一応、私の身の上を簡単に述べる。(簡単に、と書いたが長々と書いたので適当に読んでもらえれば)
大学合格が決まって数週間でコロナが世界にはびこり、4月は自動車学校に通うのみの生活だった。大学から家まで距離が離れていることもありサークルにも入らずにのんびりと夏ごろに運転免許を取ったのみだ。時間の余裕もあったので社会経験と金銭を求めてバイトを探したのが始まりだ。当時は業種も特に考えていなかったが、本を買っている最中に本屋に勤めてみたいと思った。試しで受けた書店の面接でかろうじて採用が決まった。私のほかに何人か落選していたらしく、人並み以上の学歴が採用の決め手だったのだと邪推した。今思うと、学歴に感謝している。
働き始めてからというもの、まず接客のいろはも知らない自分は苦労したし、周りの人にフォローさせてしまった。ただ温かい社員や先輩のおかげもあり4年生3月まで続けるに至った。最初はいつ辞めてもいいとも覚悟していた。しかしそれも杞憂であったし、それ以上に人間として少し成長させてもらったと感じている。今でも感謝の気持ちは変わらない。
そんな心地よい期間も終わりを迎えた。今年の3月の大学卒業をもってサラリーマンとなった。いうまでもなくバイト先も辞める運びとなった。今ではただの客である。そして、やめるタイミングと前後して閉店の話を聞いてしまった。周りの人に甘やかされながら働いている自分の責を痛感したし、もっとあれこれすればよかったのにとも思った。『成瀬~』のように行動できない自分も嫌だった。
そんな決して明るくない思いを抱えて迎えた新人研修は上手くいったとは思えず、相変わらず同期と話さない。尤もバイト先のせいでなく、自分が悪いことは百も承知だ。しかし、何となくこの気持ちを伝えたいし、継続することでいつかバイト先の面々に感謝やそれ以上の物を提供できればと思い、とにかくブログをはじめてみようと思った次第だ。

寄り道をしたけれど、一応私の現状について説明させていただいた。
話は戻るが、あと数日しかないが仄暗いゴールデンウィーク、この初日にはバイト先がなくなる実感がなかった。最後の22時をもってバイト先が閉じ、数時間後にはいつもの平日が来て私は電車に乗って会社に向かう。頭ではわかっている。しかし、いつもの駅前に誰かが使っている場面も、元同僚がいない場面も一切想像できない。そんな世界があと数日で、さも当然とやってくるなんて。

そんなことを考えながら、リーガルリリー「リッケンバッカー」を聞いた。
「明日へ続く道が今日で終わる」という歌詞がこの現状と強くリンクした。もちろんこの曲はバイトを歌った作品でなく、音楽での生活に奮闘する人を表現したものである。しかし、なぜだかひどく共感した。
「地球の骨の形が少しだけ変わる」このフレーズは、聞いた当初は雰囲気でかっこいいしファンタジー的な表現を好むリーガルリリーらしさが前面に出たものであるという程度の浅はかな理解だった。しかし、今思うと私の中の「地球」、つまりまるでカントの認識論のように、自分の頭の中だけの世界の形が変わってしまうのだ。それをこのフレーズで表現したたかはしほのか氏には頭が上がらない。
バイト先が閉じて、地球の骨の形が変わるがごとく、私の生活の形も大きく変わる。でもそれは少し世界を照らす光になるかもしれない。この別れは悲しくても、形を変えて自分にとっても彼らにとっても春の日差しとなればいい。

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