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方言でしかあらわせない言葉
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先日、NHKニュースを観ていると興味深い話があった。それは、方言でしか伝えられない事柄があるという話。特に感情をあらわす言葉に多いとのこと。
「昔からその地に適した言葉が伝わってきたのが方言」だということを方言の研究者の方が話しているのを聞いて、「なるほど」と腑に落ちるものがあった。方言は「表現が豊か」という見解には満幅の同意をしたい。ほんとに微妙なニュアンスを使い分けることができるのが方言だ。
そして、そのことを受けてボクが思ったのは「島の言葉」。ボクが生まれ育ったのは宮古島の東方にある集落。そこで両親や年寄が話す様々な方言を聞いて育った。標準語は一つも入っていないのでは、というくらいの会話は普通だった。訛りだけではなく一つ一つの言葉が方言という具合。島の方言には実に豊かな表現があった。共通語の通じないおじぃもいたし、子ども相手ということで頑張って共通語(と本人が思っている)で話すおばぁもいた。
番組では津軽弁を例にとって解説をしていた。津軽弁で「チカチカと痛む」ということを医師に話しているおばあさんが事例として取り上げられていたが、この痛みの具合とか、痛みの部位、例えば「首」を「ぼんのご」、「おでこ」を「なんづき」というような方言を若い医師は理解できない。そういう場合は看護師が通訳をしたりする。患者の正確な情報をあらわす言葉が方言というわけで、その情報を直接聞き取れないことはかなり深刻な話にもなりかねない。
「方言は地域の文化ですが、近い将来、方言を話せる人がいなくなるということで危機感を抱いている」ということで、翻訳するシステムを研究している大学教授も登場していた。「今はまだ教えてくれる人がいるから方言を残そうと思えば可能」ということにどう対応できるのだろうか。ボクはそのことがとても気になってしまった。
「別に方言じゃなくてもいいのでは」という意見もたくさんあることだろう。でも、方言でしか現わせない言葉が失われていいのか、という危機感を抱く人がいるうちに何とかしたいもの。
最後にボクの島の方言の話。「ん」から始まる言葉がたくさんある。「んーぎぃ(芋)」「んーばとぅ(鳩)」「んみゃーち(いらっしゃい)」など。
そして標準語にどうしても置き換えることができない言葉もある。水などの水分が体にかかったときにとっさに出る言葉は「あいじゃ」だ。これを何に置き換えるのかをいろいろ考えても、あの場面での言葉は「あいじゃ」しかない。どう考えてもそれしかない。
いつかその「あいじゃ」がなくなるとすれば、それは宮古方言の消滅ということになるのかもしれない。日頃方言を使わないとしても、せめて島の友人などと話すときには、できるだけ方言混じりで話したいもの。「あがんにゃ、だいずさいが(大変なことになった)」とならないように。