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御朱印集めを始めたきっかけ
パンクロッカーの井下斗和です!
昨日の輪道開珍が無事に終わり、次に控えているのは楽笑パレード。いろんなジャンルのアーティストが集まり、一つのイベントを作り上げるのは非常に楽しみであり、ワクワク感が止まらない。特に今回は、レトロジャーニーのメンバーが一人も参加できないという状況で、自分ひとりでステージに立つことになる。正直、プレッシャーは大きいし緊張もしているけど、今までの経験や支えてくれた人たちのことを思えば、やるしかない。挑戦が成功するかどうかは、踏み出すかどうかにかかっていると、常に自分に言い聞かせている。10月はこのイベントを皮切りに、ゼロ高SummerCampがグアムで行われるなど、特大イベントが目白押し。しかも、その間にyujiro ozakiのライブに行く予定もあって、楽しいことが盛りだくさんだ。楽しみすぎる!
さて、今日は「御朱印集めを始めたきっかけ」について少し振り返ってみようと思う。私が初めて御朱印を手にしたのは、中学1年生のときだった。場所は高尾山の薬王院有喜寺。家族と一緒に登った高尾山で、御朱印というものを初めて知り、記念にいただいた。その日のことを今でも鮮明に覚えている。それは単に御朱印をもらった日というだけでなく、私たち家族にとって、悲しい日でもあった。
その日の夕方、家に戻ると、私たちの愛犬、梅ちゃんが苦しそうに呼吸をしていた。動物病院で梅ちゃんは「もう長くはない」と診断された。私たちが帰ってきたその夜、梅ちゃんは息を引き取った。御朱印をいただいた日に梅ちゃんが亡くなったという出来事は、私にとってただの偶然とは思えなかった。御朱印には梅ちゃんの魂が宿っているように感じられ、何か特別な意味があるように思ったのだ。
その後、家族で深大寺に行き、梅ちゃんの葬儀を行った。その時もまた、御朱印をいただいた。涙が止まらず、悲しみで胸がいっぱいだったが、その瞬間、不思議と心が軽くなった。葬儀という形でしっかりとお別れをしたことで、自分が梅ちゃんをどれだけ大切に思っていたのか、改めて感じることができた。梅ちゃんは、私が生まれる前から家族の一員だった。私にとって、春の風とともに空へ旅立った梅ちゃんは、忘れられない存在となった。
御朱印を集め始めてから、私は多くの神社やお寺を巡り、それぞれの場所で優しい住職さんや神主さんと出会うことができた。御朱印には、その場所ごとの物語があり、それを手にすることで、その神社やお寺が持つ歴史や文化を感じることができる。それがとても魅力的で、私の人生を豊かにしてくれていると感じるのだ。
私にとって神社やお寺は、心を解放し、心の整理をつける場所となった。そして、そこに訪れることで、心の奥底に眠っていた感情や思いが解き放たれ、新たな気づきや視点を得ることができる。これからも御朱印集めを続け、多くの神社やお寺を巡り、その場所ごとの物語を感じながら、人生を豊かにしていきたいと思っている。
このように、御朱印集めは単なる趣味ではなく、私の心の成長や癒しの過程において重要な役割を果たしてきた。これからも続けていく中で、どんな新しい出会いや発見があるのか、とても楽しみだ。
井下斗和でした!