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果ての二十日|物忌の日
本日12月20日は「果ての二十日」といわれる物忌の日だそうです。物忌(ものいみ)とは、簡単にいうと
1 神事などのため、ある期間、飲食・言行などを慎み、沐浴をするなどして、心身のけがれを除くこと。潔斎。斎戒。
2 夢見の悪いときや、けがれに触れたとき、また、暦の凶日などに、家にこもるなどして身を慎むこと。
今では、物忌や精進潔斎というと重要な祭祀を控えた神職の方や、仏様に仕えるお寺の方をのぞいて、個人の家庭レベルではほとんとみられなくなっているように思います。
平成生まれの私は昭和十年代に生まれた祖父母に育てられましたが、行事に無頓着な家だったため、物忌をしたこともなければみたこともありませんでした。
その反動なのか、わたし自身はより古来の行事や風習に興味がありますし、こういった固有の文化は残そうという意志がなければ物凄いスピードでなくなってしまうなと日々感じています。
三代前、四代前には私たちの生活にあたりまえにあったであろうこのような忌み日も、自然から離れて暮らす人びとが増え、自然に対する畏敬の念が薄れていくとともに存在感を失ってしまっていますね。
前置きが長くなりましたが、果ての二十日とは本来どのように過ごす日だったのかを調べてみました。
まず、一年の終わりである十二月を古来は果ての月と言っていたそうな。だから果ての二十日なんですね。
歳暮の挨拶や大掃除、お正月の用意と何かと忙しくなる年末ですが、この日は一切の仕事をやめて外出を避け静かに過ごす一日であったようです。
山間部などでは特にその影響は色濃く、山に入らない、刃物を使わない・研がないなど肉食や殺生を想起させる行動は控えたそうな。
ちなみにこの果ての二十日、畿内や西日本では妖怪がらみの面白い話がたくさん出てきました。すべて紹介していると本日中に投稿できなくなってしまいますので、代表として奈良のエピソードを紹介させていただきます。
一本だたらはその名から想像できるように 、一本足の妖怪です。「たたら」とは巨人を意味するという説や、たたら製鉄に由来するという説もありますが、詳しいことは分かっていません。
いろいろな言い伝えを総合すると、一本足で時には一つ目で体が大きい、という特徴が浮かび上がってきます。この一本だたらはとても恐ろしい一面も持っています。
普段はおとなしくしていますが、「果ての20日」すなわち旧暦12月20日には人を取って食べるともいわれます。でも、外へ出ずに、家の中にいれば大丈夫なようですよ。
ふだんは大人しい妖怪がこの日は人を取って食べる......なにそれ、めちゃくちゃ怖いやん。
こんなことを聞いたら山で仕事をしていたであろう私たちのひいおじいさんばあさん、そのお父さんやお母さんがこの日は入山しないでおこうとなるのは当たり前ですね。
ちなみに、この妖怪のたたらは諸説ありとても面白い妖怪です。奈良県の十津川などでは妖怪と伝承される一方、出雲では天目一箇神(あめのまひとつかみ)と神様として扱われていたりもします。
たたらや天目一箇神のことはまた気が向いたら詳細を書いてみようと思います✍️
さいごに
現代の社会で生きていると、こういった古来よりの行事や伝承を大切にしたいと思っていても、なかなか出来ない仕組みになってしまっています。
ほとんどの人は月から金までお仕事ですから、そもそも一日外に出ないなんて出来ませんよね。
かくいうわたしも、果ての二十日だということを忘れて病院の予約を入れてしまい、物忌を理由に当日キャンセルするのは病院の方に迷惑をかけてしまうので思いっきり外出してきました。晩ごはんは肉じゃがだし、刃物も使っちゃったし。
しかし、「こういうことが日本の伝統としてあったんだな」と知っておくだけでも、なんだか心が豊かになる気がしませんか。
国が定めたお祭りやイベントよりも、こういった、民間で生まれ継承されてきたものにこそ日本人のナショナルアイデンティティとその秘密が隠されているように思います。
それでは、本日の思ほゆでした。