五條|陀々堂の鬼走りを見て感じたこと
1月14日、奈良県五條市にある念仏寺にて陀々堂の鬼走りを見てきました。
この神事を知ったのはつい昨年のこと。
2024年に国立民俗学博物館で行われていた特別展日本の仮面-祭りと芸能の世界-に陀々堂の鬼走りに用いられた鬼の面が展示されており、そのビジュアルの豪快さに衝撃をうけ、一目見たときから「これは行かねば!」と心に決めていました。
念仏寺(通称陀々堂)では毎年1月14日に修正会の結願が行われており、13時から大般若心経転読、昼の鬼走り(無灯)、福餅まき、護摩供などが行われ目玉である陀々堂の鬼走りは21時から始まります。
21時になると燃え盛る松明を振りかざした父鬼・母鬼・小鬼が現れ、堂内を巡ります。この鬼たちは厄災を祓い福をもたらす善鬼だそうで、これは全国的にも珍しいそうな。
鬼の形相をした来訪神や鬼にまつわる神事は日本各地にみられますが、明確に父、母、子と鬼たちが家族だというのは少なくとも私は聞いたことがありません。その点もなんとも不思議で魅力的です。
一説にはこの鬼たちは祖霊の象徴であり、子孫を祝福するために訪れているのだとか。お寺という場所ですから、祖霊と縁深いのは納得できます。
しかしなぜ祖霊が鬼の姿で現れるのかについては謎が残ります。妖怪伝説の多い奈良ですから、そこもまた深掘りすると面白そうです。
21時からの鬼走りにあわせて、この日は19時に大阪を出発し念仏寺へ向かいました。
念仏寺の数キロ手前になるとほのかに焚き火の匂いが漂ってきます。車の窓は締め切っていましたが、五條の冷え込んだ空気に火のにおいはよく香ります。
さらに近づくと、太鼓を打ち鳴らす音や乱声も聞こえてきました......!
当初、地図で見ていたときは念仏寺は街中にあるお寺さんなのかな?というイメージでした。しかし実際に行ってみると想像していたよりも周囲の山は近く、側には吉野川が流れおり、豊かな自然が感じられる場所でした。
車を降り歩いて念仏寺に向かうと、川が近くにある場所特有の澄み渡った空気が感じられ、胸が高鳴ります。陀々堂の鬼は特別展で一目見た時から私の中ではアイドルのような存在。いよいよ会えるんだと思うと不思議な気分でした。
お寺の境内に入ると外からは想像できないほどの人がおり、驚きました。
私だけのアイドルかと思っていたら、陀々堂の鬼はここに居る人みんなのアイドルだった。なんかちょっと寂しい。皆が今か今かと鬼の登場を待っています。
さながらコンサート直前と同じ光景に、神事が芸能と深く結びついていた由縁を実感し、込み上げるものがありました。
21時が近づくにつれ境内にはさらに人が押し寄せ、太鼓や乱声は激しく打ち鳴り、盛り上がりはピークに達します。
貝吹きが入場するとその後にお坊さんも入場し、読経を始めます。
既に松明に火がつけられているため茅葺きの堂内は明るく爛々と輝いていて、真っ暗な空とのコントラストは本当に異世界に来てしまったかのよう。とても神秘的な光景でした。
いよいよ鬼たちが入場。皆が息を呑み見つめます
父鬼、母鬼、小鬼と勢揃いで松明をかざす姿はとても立派でした。
東大寺二月堂のお水取りから影響をうけこの神事が始まったそうなので、神事の型が完成するまではお水取りに習って松明を手に鬼が走ったりもしていたんだろうか?と考えたりもしました。そうすると鬼走りというネーミングにも納得がいきますよね。
松明を一通りかざし終えると、私の真横にあった磐座に松明を置くようで辺りは騒々しくなります
消防団の方のアテンドのもと、無事松明が設置されました。
そしてなんと鬼が目の前に。
この鬼面を初めて見たときはその大きさとおどろおどろしさに衝撃を受けましたが、無事松明をかざし終え現われたこの鬼面を見るとなんだかニッと笑っているようにも見えます。
松明が境内の各所に設置し終えると、しばらくして鬼たちが再び松明を手に取り寺のそばにある井戸へ向かい火消しを行い神事は終了。
鬼の動きに合わせて周囲の人々が押し寄せる様は空港に舞い降りた海外アーティストに押し寄せるファンさながらで、鬼はガチでアイドルと化していた......。
長いような短いような神事が終わるとすごい勢いで人が居なくなっていき、先ほどまで境内が寿司詰めだったのが嘘のよう。
人だらけで見ることができなかった境内を散策していると、無事に神事を終えて会話に花を咲かせる消防団の方や神事の参加者たちが目につきます。
古来、神事や祭りは地域社会に結びつきをもたらすものとして大きな意味を果たしていたと言われますが、ここでは今もそうなんだろうなと感慨深かったです。
数ヶ月前から今日のために準備をし、無事に終えると、また数ヶ月後には準備を始める。その地道な繰り返しでこういった神事や伝統は守られていく。なんて美しいんだろうと思います。
素晴らしい神事に立ち会えたこと、光栄でした。
そして、好きな時に好きな場所に移動できる今の時代に生まれた者として、もっともっと各地の美しいものを見に行かねばと決意が強くなった日でもありました。
また此処に来れますように。