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憧れのひとに会う
先日、憧れのひととお会いできる機会がありました。そのひとの名は名越康文先生。
アドラー派の精神科医としての豊富な経験をもとに現在はいくつかの大学で教鞭を取られており、テレビ出演や本の出版も定期的にされています。そのほか、密教の研究をなさっていたり、YouTubeで漫画の考察やゲームの実況をなさったりと多方面で活躍されている方です。
noteユーザーは私がみている感じ、本や言葉に救われた経験がある人が多いように思います。
かくいう私もその一人で、名越先生には本の中の一文やYouTubeでお話しされた際のふとしたひと言で救われた経験がありました。
本を出版されたりYouTubeで発信をされている精神科医の先生方はたくさんいれど、個人的にものすごくお世話になりました!という感覚があるのが岡田尊司先生、高橋和巳先生と今回お会いできた名越康文先生なのです。
名越先生はおよそ「お医者さんっぽい」「高名な学者さんっぽい」という感じのひとではありません。上品な関西人のおっちゃんという感じ。自然体なそのあり様に警戒心がほどけて、するりと言葉が入ってきます。
加えて、アーティストな感性も持っておられるので表現や語彙がユニークなところも人気の秘訣なのだと思います。
私の場合、憧れのひとだからといって熱心に情報を追ったり、すべての著作物を見るというタイプではありません。しかし偶然にも昨年末に相愛大学で行われる講義に一般参加ができるということをキャッチし、これは行ってみようと早速申し込んでみたのでした。
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そして当日。わくわくどきどきでした。
講義の内容は宗教心理学について。この日は1月17日。阪神淡路大震災から30年ということもあり、災害現場においての祈りや弔いに関するお話や、震災後には数多くの心霊譚が生まれるという話など、最初の1時間は相愛大学学長の釈先生と対話形式でお話を聞くことができました。
戦争後や震災後の心霊譚については世界中で確認されているということで興味深かったです。後々詳しく調べたいテーマのひとつとなりました。
後半の1時間は名越先生に自由に質問できるということで、2時間みっちり講義なのかなと想像していた私はまじでか......とびっくり。
元々質問を決めてきたんだろうなといった人は颯爽と手をあげて質問を行います。堂々と話すひと、緊張して声がか細いひと、質問内容もちょっとアヤシイものから共感できるものまで老若男女さまざま。
私はなにも考えていませんでしたが、じぶんを奮い立たせとりあえず手をあげてみました。
講義中に名越先生がふと発し印象に残ったひと言、才能のある人は生活が破たんしているというワードを引用し「自分の夫がまさにそういうタイプなんですが、上手く生活していくコツってありますか?」と質問してみました。
60人程度の前でそんな質問をぶっ込んだので、予期せぬ笑いが起きました。笑ってくれたひとありがとう。そして夫、みなさんの前で破たん者呼ばわりしてしまってごめんな......。
けれども、実際に夫はそのような傾向があり、時々しんどさを感じるのはほんとうでした。
夫はとても才能豊かで人間性もすばらしいのですが、数日で家をごみ屋敷にしてしまったり、数ヶ月ほうっておくと虫と平然と暮らしていたり、モノを毎日なくしては探し、服のシワや汚れにも気がつかなかったりするような、いわゆるADHD的な側面もつよめの人物。
光が強いほど影も濃くなるように、それはもう魅力的な部分の副作用みたいなものだと思っているし、それ以外とくに不満は思い浮かびません。
けれど自分にも調子の波というものがあるわけで、ふだんは「得意だしいっか」と片付けや整理整頓できるのに、ふと嫌気がさしたりジメジメした気分になることもあります。たかが整理整頓、されど整理整頓。
昨日きれいにしたのに今日また散らかっている...が365日エンドレスです。現代の賽の河原かよ。
また、お金を稼ぐこととちがって家事は明確な評価基準がなく無償の奉仕といった側面がつよいです。私は無償の奉仕によろこびを感じられる人間にデザインされていませんから、そのあたりはちょっと努力している自負があるのです。
名越先生はこの質問に対して、はにかみながら回答してくださいました。
私はこのときうまく相槌をうつことに全集中してしまい、耳から言葉は入っているけどぜんぜん体に浸透していませんでした。憧れのひとを目の前に会話ができたわけで、優等生モードになってしまうのは仕方ない。(名越先生がふだんから話している過剰適応そのもの状態)
回答については胸に秘めておきたいのでここでは書きませんが、実用的かつあたたかいことばで、数日たってやっと体に馴染んできました。
実のところを言うと「才能のある人は生活が破たんしている」というワードがでた瞬間にすでにほとんど救われていました。現象や心象に名前がつくだけで人は腑に落ちるんですよね。
こういった体験をもたらしてくれるのが名越先生が人気な由縁だと、身をもって感じました。
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講義を終えると一般で受講されていた名越先生のファンが数人、列を作ってお礼を述べていました。これまで本の一文やお話中のふとしたひと言で救われたこと、そして質問に回答いただいたことなど数年来のありがとうを伝えたいなと思い、最後尾に並んでみました。
私がみた感じ、名越先生は万全の体調といった風ではありませんでしたし、2時間の講義や前の人の対応で疲れがみえていました。
なので、自分の番がやってきたとき勢いよくアリガトゴザイシャス!!と礼を述べすぐさま去ろうとしました。ド文系なのに緊張で謎に体育会系みたいになってしまった。思い返せば不審者そのもの。
すると「言ったこと、家に帰ったらぜひやってみてね」とお声がけしてくださり、や、やさし〜〜と改めて感激しました。溢れ出すドーパミン。
ハイになった心身を落ち着けるために大学を出た後すぐに喫茶店にはいり、しばらくぼうっとしてから帰宅しました。それでもこの日はなかなか寝つけなかったのでした。
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憧れのひとというのは、
私のなかではいろいろいます。
もう亡くなってしまった人、生きている人間、二次元のキャラクターなど、さまざま。
名越先生はそのなかの一人でした。
これまでの私ならば、会える機会があったとしてもあえて会いにいくことはしなかった。というよりできなかったように思います。
なぜなら、畏れ多いからとじぶんのことを過小に見積ったり、憧れからあいてを理想化するあまり、実際に会ってみて失望したくないというような気持ちを少なからずもっていたから。
なんとか生きるうち、気づけばそれらが克服できていたらしく不思議な気分でした。
思うに、今回たまたま講義の情報をキャッチできたのも内面が整い準備ができたことで自ずとその情報が飛び込んできたというように感じます。まさにシンクロニシティ。
チャンスがあればいつでも飛び込んでいける自分でいられるよう、日ごろから整えておくことの大切さを再確認できた体験となりました。
むかし、一生懸命お世話していたたまごっちのごとく自分のお世話もしてあげよう。それでは。
思ほゆ