チャリ旅~to鳥取砂丘
このnoteはAmazonギフトカード目当てに書いています。
これまでいろいろな旅をしてきたが、この旅が「旅好き」のきっかけだったのかもしれないと、過去を思い出しています。
あれは、遡ること十余年。
大学4年生だった私は卒業単位にもめどが立ち、履修している授業も少なかったため、暇を持て余していた。
そして少しだけバイトに精を出していた。
なんの拍子かは忘れたが、ゼミの仲間数人で自転車で旅をしようという話になった。
私を含めて4人。私以外は皆ロードレーサーだ。自身はクロスバイクを乗っていて、度々自転車の話はしていたのだが、専ら街乗りでそこまでの長距離は走ったことはなかった。
ただせっかくの大学生活何か面白いことを、と企画に乗った。
目指すは鳥取砂丘。
大阪の大学に通っていた我々は大阪を出発し、国道2号線を西進、兵庫県明石市あたりから北に進路を変え、ヒルクライム。
山を越え山陰地方、一路鳥取砂丘へ着きさらに同じようにキロに着くという計画だ。
実に3泊4日
宿はない。出発した日に3~4人用のテントを購入して、野宿しようという周到な計画だった。
結果から申し上げると、往路は順調に行った。鳥取砂丘にも辿り着いた。
野宿でもトラブルに巻き込まれることもなかった。
が、復路は途中で断念した。
4人のうち2人の脚が限界を迎えたのだ。
私はまだ続行したい意思を見せるものの、友人に無理はさせられない、とリタイアを受け入れた。(自分1人だけで続行する勇気はなかった)
そして、リタイア後は自転車をバラし、心優しい人にもらったゴミ袋にパーツやタイヤを詰め込み、バスと電車に揺られ、大阪駅まで帰ってきた。
自転車を持って公共交通機関に乗車する際は、本来なら輪行袋などに入れるべきだが、そんな状況になるとは露とも思っていなかったため、携帯していなかったのだ。
ゴミ袋という透明な入れ物に自転車をばらしたものとわかる物体を入れて運ぶ僕らの姿は、周りの人から見るとどのような残念な姿に見えただろうか。
もちろん大多数の人は気にもしていなかっただろうが、当時の大学生そこそこの私は非常に恥ずかしい気持ちだった。
仲間で自転車で旅に出て、トラブルなのか、何かを諦めたのか、電車に運ばれているその情けない姿を見られていることが。
(実際、疲れで生気のない情けない姿だったと思う)
大阪駅についたら、多くの人の行きかう駅の前で静かに自転車を組み立て、それぞれの帰路についた。
家に着いてからは、驚くほどよく眠った。
後からこの旅の話をすると決まって、無謀だったなとか、もっと楽な計画や平坦なところを行くべきだなという話になる。
旅は計画的に、無理なく、無茶せず、心にゆとりを。
これが一番だなと思う。
今ではもうチャリには乗らなくなったが、旅は好きだ。
一人で行くことが多いので、無理な計画はせず、のんびりな旅をしている。
ただ、若いときにはときには無茶な旅もしてみてもいいとも思っている。
振り返れば、そんな計画の旅だったからこそ、少し無茶して走る旅だったからこそ、
・朝5時に出発しても夜10時くらいまでは走り続けれたし、
・無糖のブラックコーヒーに糖分を感じれたし、
・もののけ姫に出てくるぐらいどデカい鹿の死体も見れたし、
・熊出没注意の看板のある山道の中腹の駐車場で、安らかに野宿もできたし、
・初雪に見舞われた山道の途中の国交省の管理事務所みたいなところでストーブを焚いて休憩させてもらえたし、
・自転車をゴミ袋に入れた4人組にも優しくしてくれる人に出会えたし、
・腹ペコペコなのに大盛にした挙句、まずくて残してしまう「うどん屋」にも出会えたし、
・この旅の為に別の友人に借りた大き目のリュックを過荷重で壊して怒られるというエピソードもできたし、
・この旅の2週間前に大阪~愛知を1日かけてチャリで帰省していたという自分の無謀さにも気づけたし、
・なによりも年取ってこうやって「旅の記憶」が思い出せるのが
何よりの財産です。