君も「自分だけのあるべき論」で崩壊しよう!!
ども。
最近自分のやりたいことがわからなくなって精神が崩壊したが、結論としてはなんか面白いことがしてえという話です。ネガティブすぎるので、初見バイバイです。
弱さを納得していただく
もとを辿れば僕には成し遂げたい内なる動機が少なく、他の誰かにその動機を頂いて申し上げながら生きてきた。例えば、彼女に言われたことをそのままやったり、誰かに飲み会に来いと言われれば楽しめる算段がなくても行ったり。まあ、親に散々勉強しろと言われても一ミリしかやらなかったので、求められてもやらないことも多いが。
自分が世界という広い枠組みに対して何かしたいなんて思いは、とうの昔に捨ててきた。世界に対してのコミットを望んでいないのは、自分の決断が愚かであるという可能性を常に顧みているからだ。だから、基本的に距離の近い誰かに必要とされるほうがいい。仕事ではその仕事がなぜ必要なのかを説明されて、働かされるほうが良いと思っている。
意志がない。ゆくゆくは中堅の忠犬になりたい。そう思っている。
誰かに同調することはとても簡単だ。とても賢い人たちの意見に同調し、賢い人は賢いなぁと酒を飲みながら独り呟いてばかりいる。そういう意志がなかったりや自信がない様は、少年時代から地続きである可能性は高い。そんなふうに、何に関しても自信のない状態では自分本位な意思決定を行い、誰かを動かすことなど困難である。
(万に一つの可能性で、意志がない様は社会で揉まれた経験の少なさから来ているのかもしれない。努力をすれば可哀想な僕はなんとかなるのか、なるとしたらそれはいつか、やりたくない仕事をこなすのが上手くなるのか、どうすれば上手くなるのか、そんな不安を抱えながら日々を過ごしている。)
追い込まなければならない
どうして僕がこんな性格になったのかという経緯を思い出すのは、個人的には結論は出ていて、書くのは無駄だと思うので書かないことにして、そんな性格だからどうなのかという話について引き続き述べていく。
意志がないので、基本的に「その時の状況に甘んじて現状維持を望んでしまう傾向があり、何かを成し遂げると決めても実行が続けようという意思がそもそも弱いため途中で頓挫しがち」だと思っている。要するに、あまりにも自分を守ろうという意思が強すぎる。そういう意思はあるらしい。
一方、僕の別の側面として、IT業界で手を動かしたり何かを設計したりする上ではそれなりの馬力になると思ってはいるが、誰かを先導するほどは賢くないなぁと思っている。働かされることは出来る。意志がないまま身を粉にして働くことが必ずしも良いとは限らないが、働かないよりは良いのではないか。高校に入学した時からの今までを振り返ると、僕は怠惰を極めすぎた。もう十分怠惰な日々を楽しむことについてはある程度のプロになっただろう。今の怠惰な自分を補うために、もう少し働かなければならない。そろそろ新しいことをしなければならない。
そう考えたところから始まった。
真面目に働かなければならない
さて、なんか日本人ならば頑張らなくても生きていけるらしいが、子供が生まれたからにはそうじゃないほうがいいな、と思っている。2023年現在の日本では最悪仕事をしなくても、誰かが用意してくれているあれこれな保障とかを利用すれば生きていけるようになっている。本来は、本当に保障を利用しなければいけないようなハンディキャップのある方がいて、そういう方が自力で生きていくにはあまりにも頑張りすぎないといけないので、さすがに無理だろうということで保障があるとは思う。僕の場合はそうではなくて、健康で比較的恵まれていると思っているので、頑張るべきだ。頑張らなければならない。
順当に成長しなければならない
会社で真面目に働かなければならないなら、具体的には何をどのようにして働くべきだろうと僕は考えた。前提として組織に所属しているのだから、もちろん会社や上司から与えられたことをやればいいし、時には求められる以上の仕事を求められる以上に早く終わらせればいい。言い換えるなら、会社が求めるようなポジションを担う人事になっていくのが求められるだろう。年々責務が増えて出来る仕事の範囲が増えていくのが理想的だろう。少なくともそうであるために努力をして、嫌われないように忘れられないように働くべきだ。
というのは、いささか弊社の内部事情に寄りすぎた一般化かもしれないが、より具体的な話でいえば僕はSI企業で研究開発をしている。ゆくゆくは、その研究開発を先導できるような人材になることを求められている。えーっと、システム開発への知識があって、モダン寄りな技術にも精通していて、学問領域・基礎研究にも造詣が深く、研究開発に対するストーリー立てやプレゼンテーション能力にも長けていて、顔が広くあるべきだ。あと趣味で開発していたり、技術の勉強をしている人が今の会社の上層部にいるのだから、下っ端である僕たちもそうあるべきだ。他の研究開発テーマに対しても知識があってコメントできるようになるべきだ。
育児と両立しなければならない
妻がいるんだから、愛妻家であるべきだ。仕事が終わったら妻との時間を大切にすべきだ。子供がいるんだから、仕事終わったら家事を手伝ったり(こうやって手伝うみたいな表現も主体的じゃなくてなんかよくないんだよね!)、夜中に起きてくる赤ちゃんの面倒を見るべきだ。
休日は家族で出かけるべきだ(家族サービスって言葉が悪い表現なのは僕も知ってるよ!)。子供が小さい頃は一瞬で終わってしまうからだ、その時その時で思い出作りをすべきだ。撮影して編集してYouTube限定公開であげて、じいじばあばへの親孝行をするべきなんだ。
イメージとの戦い
話は働かなければならない件に戻るが、頑張れる人が頑張っていないのはとてももったいないことだとも思っている。例えば、職場で活躍できていない人がいるとすると、活躍できていない理由があって、それが業界によるものなのか、職場の上司によるものなのか、本人によるものなのかはわからないが、もったいないものはもったいないと思う。時間やぼーっとしている時間がもったいない気がする。
冷静に考えるとそうなんだけど、人の気持ちというのはアンコントーラブルであり、多くの場合で信用に値しないような愚かさを含んでいる。何も説明していない人間に対しては、その人が働けていない理由というのをその人の理由ではないかというふうに勘繰ってしまう。その勘繰りは勝手に発生してしまうだから、勝手にこっちで拭い去るには真面目に働くしかないのである。
僕は疑いの目を向けてくるような仮想上の敵と戦っているのだ。僕は自分が面白くて興味のあることをやろうとするよりも、そういうイメージによる攻撃に備えている。家族、子供、友人、職場、世間からの全てのイメージと戦おうとしているからだと思った。そのイメージと戦うためだけに、いろんなことを頑張らなければならない。
自分で解決する
自分が優秀であれば全て解決する。自分は文句を言わずに、誰かに何を求めるわけではなく、自分が努力をして強くなること。それは時に残酷で、一見極論に思えるが、ある意味他人任せではない確実な手段であり、通用する場面が多いように思える。
車を買ったばかりの頃、車の運転の練習をしていた。サンデードライバーに対して窓を開けて文句を言ったりクラクションを鳴らしたり車間を詰めたりするカスドライバーに対して文句を言われるのは、自分のせいだろう。他人のせいという人は少ないような気がする。これに関しては自分が運転を上手くなるしかない。
マッチングアプリでいい女性と巡り会えないのは何故だろうか。こちらからの印象が良くても、向こうから好印象を受けることが少ないのは何故だろう? 自分のせいだ。全て自分のせいだ。僕はまず女性と話すところから練習するしかない。マッチングアプリで人任せで運命を手に入れた時にラッキーを引くのではなく、ラッキーを増やすために自分が努力するしかない。
そういうものだと思う。僕の弱さを他人に納得を求めることはとても難しい。結局は自分の弱さは自分で克服していくものだと思う。だから何も言わない方がかっこいいのであり、そうあるべきなのである。
論に縛られていない人もいるだろう。羨ましいことだ。しかし、羨ましい人のことを考えるのも良くない。その人は強いか、または愛される素質があるかのどちらかである。
自分が自分に求める姿
というような、〜〜しなければならないというあれこれな論に縛られてしまい、生きづらさを感じていた。今回書いた論の多くは大袈裟に表現したし、仮想敵への軽蔑を含んでいるが、だいたいはリアルだと思う。僕は人が抱えている人それぞれのあるべき論に対して「なんでそんな固定観念をもってんだよぉ〜w」とバカにするくせに、僕自身はさらに多くの「べき」に縛られていたのだ。
べきに縛られる理由は、やはり意志がないからだ。自分がしたいことがなくて、他人に生きたい自分を求めていることからだ。最初に書いたことにもつながっているが、どうせ対したことも成し遂げられないのに夢を見ても仕方ないと思っているのだろう。冷静で保守的だと意志がなくなっていく。つらいもんだ。もうつらいことはしたくねえよ。
というわけで終わりですが
べきとかしろとかの空想の期待と戦いすぎて、本当に自分がやりたいことも本当にやるべきことも一体何なのかがわからなくなった。何もやりたくないのかもしれない。少なくとも研究はやりたくないし、仕事でリーダーポジションもつきたくない。
このようにメンヘラ感が増しているが、妻が話を聞いてくれたし、なんとかなってる。ありがたいことだ。仕事はやめようかなーとか、整理したいなーという気持ちになってきた。会社が求める姿と自分がやりたいことの一致がしていないので、そこはどうにかしたい。僕が生きられそうな場所を見つけていきたいと思う。
なんかなーそれで言えば、結局僕は面白い人になりたかった。仕事真面目にして育児やってるなんてアホらしくて、女性社会が抱く幻想へと迎合する男になりたくなかったよ。そんなこんなしてたら、男友達に対して出来るような面白い話を何ももってない人間になったわ。悲しいわ。
結論として
僕は何かを極めることに対してのリスクをいつも量っているから何も出来ないんだろうな。もっと面白い人になるにはどうすれば良いか。出来そうなことから考えてみよう。もっとバカになれよ。
じゃあの。
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