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金色の目の謎

宮澤賢治作品に登場する金色の目の人とは・・・

宮澤賢治のお話を読んでいて、時々「金色の目」をした山男が登場することが気になった方はいるでしょうか。
『山男の四月』の冒頭にまずその描写があります。

山男は、金いろの眼を皿のようにし、せなかをかがめて、にしね山のひのき林のなかを、兎をねらってあるいていました。

『山男の四月』(新潮文庫)

最初この部分を読んだ時、私は特に注意を払いませんでした。童話にはこのような描写はごく普通のものだと思ったからです。
ところが、『おきなぐさ』という作品を読んだ時、再び次のような金色の目をした山男が出てきたので、ちょっと不思議な感じがしました。

又向うの、黒いひのきの森の中のあき地に山男が居ます。山男はお日さまに向いて倒れた木に腰掛けて何か鳥を引き裂いて喰べようとしているらしいのですがなぜあのくろずんだ黄金きんの眼玉を地面にじっと向けているのでしょう。鳥を喰べことさえ忘れたようです。

『おきなぐさ』(新潮文庫)

賢治は「金色の目をした山男」という、自分が創作した登場人物を気に入って別の作品にも登場させたのでしょうか。
『おきなぐさ』に登場するこの山男のここでの様子も少し奇妙で、読む人の注意を惹きます。
私はこの「金色の目」をした山男のことが気になって他の作品を読むときも気にとめるようになりました。
すると『狼森と笊森、盗森』の中にも黄金色の目をした山男が出てくることに気づきました。

それどころではなく、まんなかには、黄金きん色の目をした、顔のまっかな山男が、あぐらをかいて座っていました。そしてみんなを見ると、大きな口をあけてバアと云いました。

森の奥の笊の中に、こんな様子をした山男が座って「バア」と言われたら、誰だってびっくりしてしまいます。

私はこの「金色の目」をした山男というのは賢治が創作した想像上の人物の姿だと思っていました。
これまで私は「金色の目」をした人には出会ったことがありません。私が中学生だった頃、同級生にとても淡い透き通るような茶褐色の瞳をした人がいました。私はいつもその子の瞳を「綺麗だな」と思いながら眺めていました。しかし、それは金色ではありませんでした。黄金色の目とはどんな瞳なのでしょう。とても美しいようにも思いますが、ちょっと異世界の光を放って怖そうでもあります。

ところがある時、古本屋で『群像 日本の作家 宮澤賢治』(小学館)という本を見かけてその目次をぱらぱらめくっていたところ、「金色の眼の周辺」(谷川雁)というタイトルが眼に飛び込んできてハッと驚きました。
急いでこの本を買い求め、読んでみたところ、どうやら金色の目をした人というのは本当に実在するらしいのです。谷川雁さんも賢治作品に現れる「金色の目」をした人のことが気になって、いろいろ調べたところ、信州の山岳地方の猟友会の人が金色の目をした人を何人か見たことがあるという話を聞いたというのです。

ネットで調べてみると、人間の瞳の色(虹彩)には24種類ほどの色があるそうです。
日本人の瞳の色は殆どが茶色か黒っぽいこげ茶色で、それ以外の色は大変珍しいということです。賢治が描いた「金色の目」というのは、多分「アンバー(琥珀」か「ヘーゼル」という色に区分される色のようです。ヨーロッパにはこの系統の瞳の人が多いということです。ただ、九州や東北にはごく稀に明るい茶色の瞳の人、時には青い瞳の人がいるということですので、「金色」に輝く色に近い瞳の人は実在したのでしょう。

もしかすると、賢治は花巻か盛岡周辺の山の中で「金色の目」をした人を実際に見かけたのか、そういう眼をした人が山奥にいるという話を誰かから聞いたのかもしれません。

ところで、谷川雁さんのこの文章を読むと、「金色の目をした人」は『祭りの晩』『水仙月の四日』『紫紺染めについて』にも登場することがわかりました。実にいろいろなお話で賢治はこの「金色の目をした人」を描いているのです。彼等は何か特別なことを行う粗暴な人というわけではないのですが、ちょっと不思議な様子をしてどことなくおっとりした純朴な人として描かれています。

谷川雁さんは賢治の描いた「金色の目」の人について次のように記しています。

山男すなわち金色の眼という表現にはいかにも超越的な美しさがあり、何にもまして山男にたいする作者のあふれんばかりの愛情は、どの作品においても疑念のさしはさみようがない

「金色の眼の周辺」谷川雁(『群像日本の作家 宮澤賢治』小学館)

もし本当に「金色の目」をした人がどこかの山奥にいるのだとしたら、遇ってみたいような気がします。

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