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臨床心理士の養成について思うこと

昔、臨床心理士を養成する指定大学で教員をしていました。
厳密には、大学院の相談室にて、臨床心理士を目指す、大学院生さんとケースを担当するというお仕事を担当していました。

今は、臨床実践をメインのお仕事をさせていただいています。
今回は、少し臨床心理士の養成に携わったときのことを書きたいと思います。

大学院の相談室で働いていた時は、公認心理師の資格ができ、研修会を受け、第一回の国家資格用の試験を受けました。

ちょうどそのときの話です。

私が勤めていたのは、地方の私立大学で、お世辞にも国公立大学のように色々なところから学生が集まって「臨床心理士を目指す!」という人はあまりおられなかったように思います。どちらかというと、「なんとなく心のことかなぁ」と思って来ていた学生が多かったです。

思い返せば、相談室では、色々な大学院生とケースを担当しました。

色々と紆余曲折がありながらも、クライエントに寄り添うことができるようになる人もいれば、全くクライエントに添えない人。

クライエントが生きている状況を想像できない人、セラピストでありながら、自分問題が大きすぎて、クライエントの話を聴くことが難しい人もいました。

また、面接当日にセラピストである大学院生が、精神的に不安になり部屋の外に出れずに、面接当日にキャンセルになり、その後も面接に来ずに、親担当者の私が平謝りをするときもありました。

教員も学生の臨床の指導をすればいいのでしょうが、自分のゼミ生になると、妙にその学生が失敗をしても「かばう」、「慰める」ことに熱心になり、肝心のクライエントがどのように感じているかを考えようとさせない、印象を受けたのもとても、残念な点でした。

本来は、相手がどのように感じたかを考えてもらい、そこから学んでいくことが臨床の教育的要素だと思うのですが、それ程、学生の自己愛の傷つきを防ぎたかったのかもしれません。

また、教員の先生達は、相談室にいる時間が短く、大学院生の失敗により、クライエントが傷つき、どれだけ落胆した顔で帰っていくかを見られておられなかったのもとても悲しい気持ちになりました。

色々な事情があるのかもしれませんが、現場から離れるとどうしても臨床感覚が鈍ってしまう。クライエントに対する責任感も感じられなくなる。

大学教員が週に1日でも非常勤の形で、クライエントに関わる必要があるのは、このあたりにも理由があるように思います。

少し話が逸れましたが、思ったことは、大学院の相談室では、純粋にクライエントに会うだけではなく、大学院生の要因を含めて、クライエントと会わないといけないということです。

そういう形で、面接をすることは正直、私の心身にも少なからずストレスが掛かり、何よりもクライエントさんに迷惑が掛かることが悲しくもありました。


色々な大学院生を見てきましたが、勉強ができる、できない意味での「優秀」とは違って、「この人は謙虚に頑張り続ければ、良いセラピストになる可能性がある」という人もいました。全体の3割、多く見積もって4割程度でしょうか。

ですが、そういう人でも、その道には進まずに辞めていったケースもありました。それぞれのご事情があるのだと思います。

とてもきつい言い方かもしれませんが、私は、大学院に行ったからと言って、全ての人が臨床心理士になり、カウンセリングで生計を立てるのは難しい面があると思います。公認心理師も然りです。

しっかりと自分の限界を見定めて「辞める」ことができると、それはそれで立派だと思います。

ある道を目指し、辞めるに至るプロセスも、もう少し議論されてもいいのかもしれません。



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