初詣に行くなら善光寺
令和も七年目に入った。そして、私は折角五日間も仕事から解放されているので、遠出をしようと朝六時に目覚ましをセットした。
翌朝、目覚ましの響きが私の耳を衝き、いつもの出勤なら中々布団を発つ事をしなかったが、好きな外出なので、直ぐに立ち寒さという壁を突き破り、布団を畳んだ。
「おはよう。あんた。早いね。」
昨日の元日も働き二十時半に帰宅した母が、私にこう声掛けをした。
「うん。六日からまた出勤だから、早起きを欠かしちゃうと後で辛いよ。」
「初詣にでも行けば、あんた歳男だし。」
「まー。そうだね。」
実は、今年も初詣に赴くつもりだが、私が足を運ぶのは関東外なので、母には黙っていた。遠いいと出る金もそれなりだから、何か言われそうなのである。
喉の痛みはもう治ったが、声の嗄れはまだまだ残っているので、軽い朝飯を済ませて風邪の粉薬を口に注いだ。
新宿駅に着き真っ直ぐ新幹線の切符売り場に向かった。私の予想以上に、席が予約の先客で占められおり、景色の見易い窓側は残っていないかと願いながら、目を配った。
すると八時過ぎに発車する奴に空いている席を見出せ、一方で帰りはもう夜だから景色も何も無いので、通路側でも私は構わない…。
私が乗ったかがやき号は目的駅の長野に辿り着き、次の瞬間ドアが開く。
東京も相当な寒さだから、長野県は尚更と思っていたが、それ程寒さの厳しさは感じられなかった。ただ、東京とは違い、スーッと冴えて、キーンと響く様な感じの寒さが身を包んだ。
半分以上は善光寺への初詣と思われる、改札へ向かう客の群れから私は外れて、運んでくれた新幹線が敦賀に向けて去るのを見届けた。
長野駅から善光寺まで、一度右折する以外はひたすら真っ直ぐ歩み続ければ良い。その途中、無数のシャッターが閉まり、窓の向こうが真っ暗な店が目に飛び込んで来た。昔の正月の一片がこんにちまで残されている様だ。
やがて、私は善光寺本堂の前に辿り着いた。私を見下ろす本堂は、これまで刻んで来た歴史、重厚な威風、そして、全体的に均衡の保てた端正な輪郭を備えながら出迎えてくれた。
本堂に入る前に、手前の大香炉に線香を投じる。一束掴み傍の火に翳して、数秒後に何気無く顔を左に向けると「線香一束百円」と書かれた貼り紙が目に入り、そうだと腹中で叫び、慌てて賽銭箱に百円玉を落とす。
線香から流れる匂いは、私に何か落ち着く様に諭している様な感じを思わせた。元気が出るより、安らぐ香りと言える。
早速本堂に入り、お戒壇巡りに加わる為に、チケットを係員に渡した。この巡りは純粋な暗闇が占め尽くした回廊を、自らの右手に目の役割を代理させて歩むものである。というのも、壁に触れた右手だけを頼りに歩き切るのだ。
私のすぐ前を歩く家族連れは、ランドセルを背負い始めたかどうかの年頃の子供達が、暗い、怖いと騒ぎながら、進んでいる。
不図、私は以前耳目したトンネルで作業をしている作業員は、長時間暗闇では仕事が出来ないから、数十分に一度は外の光を浴びるという話を思い出す。矢張り、人間は光が生活に不可欠なのだろうと改まりながら、足を左右交互に前へ繰り出した。
突然、私の身体の前面は壁以外のものに当たった。それがすぐに前を歩いていた活発そうな男の子の身体と判った。
「あ!ごめんなさい。」
「こちらこそ、ごめんなさい。」
初詣で、店員や受付係以外と、言葉を交換したのは彼とだけだ。普段これ位の年の子とは絡む事が無いので、至って微々たる事でも良い経験である。
次第に明るさが強くなり、程なくして階段が目の前に現れた。暗闇から光が示されると、新しい世界に辿り着いた気持ちがして来る。私は四日後から仕事が始まるが、その前触れである事を願う。
山門に登ると、片隅に「合格書き初め」が出来る設備が設けられいた。"合"の字は朱色の筆ペンで書き、他は鉛筆で自身の願いを書くというものだ。
そこで私は、合格という表現ではないかもしれないが「正社員昇進 令和七年一月ニ日 東京都新宿区在住 齋藤雅志」と書いた。
私にとって昇進は、他の事に進んで行くのである。昇進して、責任者という立場を経験する事が出来、その経験を糧に文章を作る事が出来る。勿論、充実そして苦労も文章の花を咲かせる種となる。加えて、他者達を導く事にも至るのだ!
書き済ませた私は、外の景色を目に映して、遥か遠くの連なる山を見据えた。その手前には、数多の人々が、厳しい寒さも構わず、それぞれの内なる希望や想いを宿して、絶える事無く訪れる。 完