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年下から学べる人

一 雨が絶え道が乾きかけている六月の曇ったある朝、私は職場に向かう為の送迎バスの到着を、豊田駅北口前で待っておりました。私が一番早く着いてバスを待っていたのです。
 すると一人の男性が現れて私の背後に声を掛けて来ました、
「おはようございます!」
「ええ? はい…おはようございます。」
 私は、見た事も無い男性から声を掛けられて少し驚きました。
「初めまして私は竺田です。宜しくお願いします。」
「こちらこそお願いします。私は武藤です。」
「いやー、武藤さんのキビキビした仕事の動作は素晴らしかったから、私も真似をしようと思ったけど、突き指をするわ、膝をぶつけてしまうから、結局諦めてしまいましたよ。」
「これは、恐れ入る程のお褒め有難う御座います。」
 初会話であるが、忽ち二人の間に親しい空気が生まれ、送迎バスの席は隣で話を続けたのです。
 彼のフルネームは竺田守さんといい、職場と同じ八王子市にお住まいで、お国は北海道で妻に長男長女持ちです。長男は私より三歳下で自衛隊員でしたが、山口県に転勤を良しとせず退職し、今は妹と同じ二フロア有る郵便局で働いています。兄が下で妹が上という格好です。
 それにしても、私は竺田さんの態度を見て、自分よりも遥かに若い者にこれ程素直になれる人は、この八王子市全域を見渡しても僅か数人だけなのかと思いました。
 部署は別々でしたから、二人三脚で仕事は出来ませんが、昼食時間が重なればテーブルを挟んで、言葉を差し上げたり戴いたりし合いながら、箸やスプーンで昼食を摘み、掬い上げて舌に載せました。
 初めて会話から一週間程で、私は市川市の職場に移りましたけど、アドレス、電話番号、住所を教えて頂けたので、それ程寂しさは感じませんでした。

二 私が職場を移って数日後、竺田さんがかつて訪れた高円寺に足を運びたいと仰い、付き合わせて頂きました。もう数年訪れていないらしいです。
 駅の南に位置する高円寺ルックの真っ只中を二人で並んで歩いていると、竺田さんは、
「あれ⁉︎ 馴染みの居酒屋がスーパーになっちゃったのかよ⁉︎ 店主と仲良くなれたのに…!」
「武藤さん、赤い暖簾のラーメン屋はほぼ間違い無く美味いんですよ。因みに、雀荘が近い所はイマイチですな。」
 と、まるで好きなアニメが最終回を迎えたからショックを受けた男の子の様な表情を浮かべたり、彼の独特な感性や見解を述べました。
 一方で私も高円寺ルックは、数年も目にしておらず、一目で姿形が大きく変わっている事が分かります。そんな中で変わらないのは、多くの人々が川の様に行き交う様だけでした。
 昼食は竺田さんにご馳走して頂き、待ち合わせた新宿駅で別れました。
「また付き合って下さい。さようなら。」
「ええ、喜んで。楽しかったです。こちらこそお願いします。」
 別れた後、私はドン・キホーテに足を向け、喫煙される竺田さんの為に銀色のライターを買い、昼食のお礼として郵送したのです。

三 …残念な事に竺田さんのご都合が悪いらしく、数ヶ月にも渡り音信不通になってしまいました…。
 仕事の方は、私は会社から都合良く利用出来る人間と思われてしまった様で。皆が挙って嫌がる夜勤に回されてしまいました…。 朗らかで社交的な気風の日勤とは対照的に、暗くて活気に欠け、イキイキ働き難かったです。
 やがて私を日勤に戻そうとしたがらない会社に背を向け、次の会社へ移ってから暫く経ち、休憩時間に更衣室でスマホをONにすると、着信履歴に竺田守さんの名前が現れました。やったーと大声を発したいのを抑え、胸が熱を持って燻っているのを感じながら、折り返しました。
「武藤さんご無沙汰ですね! 涙が出てきましたよ…! 私は、あれから八王子の職場を辞めて、甲府の短期の仕事をして、今は警備の仕事で府中と恵比寿の掛け持ちなんです。 今月中に少しお会いしましょう。」
「有難う御座います。私もお会いしたかったです!  ご多忙なのに恐れ入ります。」 
 二〇一九年も終わりに近づいたある日、私は竺田さんが仕事をしている府中市内のスーパーに足を運びました。その一角の警備員待機室に向かうと、制服に身を包んだ竺谷さんが現れました!
「竺田さん! ご無沙汰です!」
「武藤さん! やっと会えましたね。 折角来てくれたのにごめんなさい?こっちは今仕事だから、お菓子を渡すだけしか出来ませんが…。」
「いいえ、顔を合わせられただけでも良かったです!」
 彼は、一旦待機室に入り戻って来ると、紙袋に入った煎餅を渡して下さいました。
「有難うございます。今度はコーヒーでも飲みながら、長く語りたいですね。」
「ホントですね。」
 私は帰り道で何度も足を止めて、上半身を捻り竺田さんの働くスーパーを省みました。
 そして二〇二三年に入りました。私の方は今までしばしば竺田さんへ電話を入れていますが、返って来ません…。 今何県にいて、何の仕事をしているのかも想像出来ないです。
 私は、寂しさと縁の乏しさ儚さを感じながら、外出してカフェに入ろうと思い、鍵をかけ年賀状が来ていないかと、壁にピタリと付く銀色のポストを開けると、二枚の葉書が輪ゴムで結束されていました。
 片方の送り主を確認した瞬間、私は脳天から手足の指先まで衝撃が走りました。なんと九年間ご無沙汰の知人天野泉太さんから、よもや今更ご連絡が来るとは思いませんでした! 直ぐに引き返して年賀状のお返事を書きました。彼は竺田さんみたいに仕事中に出会った男性です。十年前の三月の事です。
年賀状をポストに入れてそのまま外出しました。電車の音や揺れを感じられるカフェの中で、コーヒーを舌に与えながら、まだ御縁が残っていれば、竺田さんも感動的な再会が出来るだろうと、胸中で呟きました。               完   

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