信じるということ
こんにちは。久しぶりに書きます。
私のような者の文章を読んでくださる方がおられるかわかりませんが、一人でも、イエス様のことに興味を持っていただけるように、書いていきたいと思います。
今日はタイトル通り、信じる、ということについて書きたいと思います。
ある牧師が、何年か前に、「これからはPost Truthの時代だ」と言っておられて、当時はピンときませんでしたが、今ほんとうに身にしみて感じています。何が本当のことなのか、分からなくなっていく時代というか。
テレビ等は偏向報道だからと見ず、ネットの情報だけを頼りにしている人も多い今の時代、一歩間違えば、真っ赤な嘘の情報を握らされ、嘘に信頼してしまうこともままあります。
AIも出てきていて、本当に、嘘と本当の見分けがつかない時代に入ってきているということを感じます。
なので、何でもホイホイ信じないというか、疑ってかかる姿勢は、このような時代においては、特に必要であると思います。
信じる、というテーマなのにまず疑う必要を書いてしまいましたが、本当に信頼に足るものを信じるためには、まず疑問を持ち、きちんと調べて検討したうえで、信頼を寄せた方がいいでしょう。
ですので、あなたも、もし聖書や、イエス様や、救いや死後の世界等について興味を持ったなら、私の文章だけで判断せずに、ご自身でもよく調べ、検討してみてください。私は全く論理的な人間ではないので、あまり上手く説明できないですが、これは言えます。聖書も、イエス様も、そうした検証に耐えうる存在です。
今日、ふと思い起こしたのは、復活されたイエス様が、弟子の一人のトマスに現れなさったシーンです。
ヨハネによる福音書 20:26-29 口語訳
[26] 八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。 [27] それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。 [28] トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。 [29] イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」
これは、この8日前に、トマス以外の弟子たちのもとに復活のイエス様が現れたのですが、トマスは後でそれを聞いても、自分は見てないしそんなの信じない、(イエス様が十字架で受けた)釘あとに指を差し入れない限り信じない、みたいなことをトマスは言いまして。その8日後の話となっています。
なので、イエス様が「手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい」と言われています。イエス様には筒抜けでした。まあ神さまですからね。。
正直、この世のことだけを考えて、ただ平和にのんびり人生を送って死にたいだけならイエス様を信じる必要も感じないでしょう。そしてそういう人が大多数であろうことも知っています。
信じることは冒険です。文字通り危険を冒すことです。なぜ迫害される危険を冒してまで世々のクリスチャンたちがイエス様を信じてきたのか、理由は一つでしょう。あの世のことを考えているからです。
死後に天国と地獄のどちらかに行かなければならないということが事実だとしたら、そして少しでも罪があれば天国に行けないとしたら、その罪を帳消しにして下さるイエス様に助けを求めるのは当然のことです。地獄はこの世の比ではないでしょうから。。
イエス様を信じるということは、そこに賭けているわけです。オール・インです。
だから、あの世なんてないと言う人にとっては、クリスチャンは宇宙人のように見えるかもしれません。もちろん、天国と地獄を実際に見てきたわけではないので、私に証明は不可能です。ですが、もし本当にあった場合、実際に見てからでは手遅れではないでしょうか。
そういうわけで、イエス様に賭けたほうが、後々のことを考えると色々おトクです。キリスト教はご利益宗教じゃないとはよく言われますが、それは現世でのご利益についてのことであって、あの世のことも含めて言えば、キリスト教は究極のご利益宗教?のようにも思います。イエス様が十字架で私たちの罪をあがなって下さったのも、復活されたのも、私たちにとって益となるように、あの世もこの世も全部知っておられる方が、お膳立てしてくださったのであって、私たちがイエス様を信じるだけでいいようにして下さったわけです。神さまは、案外太っ腹です。
それでも、神さまは私たちに信じるか信じないかの選択権を与えてくださっています。信じるという橋を渡って信仰の世界に行くか、信じないで今まで通りの人生に留まるかはあなたが決めていいし、あなたが決める必要があります。
信じることは冒険です。その旅に出るか否かはあなたの選択しだいです。
旅に出たいと思ったら。。
①まず、無料の聖書アプリのダウンロードか、紙の聖書の購入を検討してください。これは旅の地図や羅針盤のようなものです。持っていなくても教会で借りることができますので、紙の聖書はすぐに買う必要はないかもしれません。けっこう値段するし。。あと、教会によって使っている聖書の訳が違う場合があるので気を付けてください。聖書アプリは無料で入手できたりするものもあるので、気になったらとりあえずスマホにダウンロードしたらいいと思います。
アプリにはYou Version、聞くドラマ聖書等があります。
②お近くにキリスト教会がないか調べてみてください。
キリスト教の皮をかぶった新興宗教の場合もあるので要注意です。
教会のホームページがあれば要チェックです。
教会によっては、礼拝のメッセージ(説教)の動画をYouTube等にアップしている場合もあるので、あれば一度視聴してみるのも参考になります。
失敗したくない人は、なかなか難しいですが、たくさんあるキリスト教の教派をウィキペディアなどで調べて、検討するのもいいでしょう。
③行ってみたいキリスト教会があれば、問い合わせて一度足を運んでみてください。
礼拝は大抵日曜日の午前中にしています。
夕方の礼拝(夕拝)を行う教会もあります。
聖書のない人には大抵貸し出しもあります。
すぐ洗礼(バプテスマ)受けろとか、すぐ献金しろとか言われることはまずないと思いますが
逆にそんな教会は離れましょう。。。
聖書を理解したり、信仰の決心をするには一定の時間がかかるし、かけるべきでもあると思います。
あなたに神の祝福がありますように。
お読みいただきありがとうございました。