哲学的ゾンビ - 思慮するゾンビ
※トップ画像は、FICUSELさん「思慮するゾンビ / 初音ミク」からスクリーンショットをお借りしました。問題があればご指摘ください。
暇を持て余したミクさんは何事か考えはじめたようです。
(投稿者コメントより)
(上)YouTube:2011/9/15、(下):ニコ動:2010/6/5
FICUSELさん、ボカロオリジナル唯一の作品。PVの絵はDhaniya(ネコノミミコ)さん。現在、ニコ動では33万再生、YouTubeでは5万5千再生です。UMAA発売のアルバム『Gothic & Horror』に収録。
FICUSELさんの他名義としてはVaLSeさんでしょうか。ゾンビPというP名はタグロックされておらず、定着しなかったようなので……ジャズ風・古楽風のインスト楽曲、また讃美歌や東方アレンジなども作っておられるようです。他のボカロ作品としては、ニコ動ではもう一つだけ、
2011/12/31
クリスマスキャロルの一つ、祝歌「Wexford Carol」のケルティックアレンジにのせて、ミクさんが優しく歌うカバー作品を投稿されています。こちらも聴きごたえ十分でオススメですよ。安眠できそう。
作曲を行っております。バロック以前及び近現代が好み。
物理,音楽,人工言語とその周辺に。(Twitterプロフィールより)
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話を戻しまして。
「思慮するゾンビ」からは、科学論や心の哲学(認知哲学)と呼ばれる分野を想起させる言葉が読み取れます。
心の哲学(こころのてつがく、英語: philosophy of mind)は、哲学の一分科で、心、心的出来事、心の働き、心の性質、意識、およびそれらと物理的なものとの関係を研究する学問である。心の哲学では様々なテーマが話し合われるが、最も基本的なテーマは心身問題、すなわち心と体の関係についての問題である。(心の哲学 - Wikipedia)
ときに英単語が挟まれる手描きPVの情報量は特に多く、
記号着地問題、客観的実在性、クオリア、カテゴリー錯誤、天動説/地動説、モナドロジー(予定調和)、利己的行動の獲得、量子ゆらぎ、ウィトゲンシュタイン「語りえぬものについては沈黙しなければならない」、中国語の部屋、物理的領域の因果的閉包性、自由意志と決定論、随伴現象説-付随性、中立一元論、物理主義、機能主義、意識の在処、意識-現象的意識、意識・記憶・自己の連続性/非連続性、スワンプマン、因果関係、真理値-嘘つきのパラドックス、トートロジー
などがイメージとして浮かんでは消えていきます。
各々の用語ごとに専門書が何冊もあるという有り様なので、興味を持った人には調べてもらうことにして(ぉぃ
ここでは、作品タイトルから連想される「哲学的ゾンビ」についてだけ、少し解説します。
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一般的にはゾンビと言うと、ホラー映画で出てくる「動き回る死体の怪物」が思い浮かびます。こういうやつ。(いらすとやさん便利)
では、哲学的ゾンビとは何でしょうか?
Wikipediaの文章を編集して説明してみると、
哲学的ゾンビ(Neurological Zombie)
物理的化学的電気的反応としては普通の人間と全く同じで、脳の神経細胞の状態まで含む、すべての観測可能な物理的状態に関して、普通の人間と区別する事が出来ない対象。ただし、それにもかかわらず、意識(クオリア)を全く持っていないと定義される。
客観的には、どこからどう見ても普通の人間だし、あらゆる検査を行っても普通の人間と何ら変わるところがない。普通に話もできるし、映画に行って感動したところも教えてくれる。海ではしゃいだり、雪に凍えたり、美味しそうに食事をしたり、難しい本を読んだり。とにかく外部からの観察では、なにも普通の人と変わらない。楽しんだり悲しんだり、喜怒哀楽が薄かったりするかもですが、普通に感情を持っているように見える。あなたとの受け答えも自然にこなしており、他の人とまったく同じように見える。
それなのに「主観的には意識体験(クオリア)を持っていない」。
このように想像された対象を、哲学的ゾンビと呼びます。
※したがって、初音ミクのアンドロイドやAIなどを想像しても、それは哲学的ゾンビではありません。そもそも物理的に人間と異なりますので。いかに見た目が人間そっくりであっても、柔らかい皮膚の下にアンドロイドの機械が隠れているのであれば、心の哲学用語では「哲学的ゾンビ」と区別して「行動的ゾンビ」と呼んでいます。
行動的ゾンビ(Behavioral Zombie)
外面の行動だけ見ていては、普通の人間と区別できないゾンビ。解剖すれば人間との違いが分かる可能性がある、という含みを持つ。例として、SF映画に出てくる精巧なアンドロイドは、「機械は内面的な経験など持っていない」という前提で考えれば、行動的ゾンビに当たる。
(pixivより、そなさんのイラスト)
↑これは、哲学的ゾンビではありません。
話がそれましたが、あくまで「哲学的ゾンビ」は議論の道具として作り出された仮想の概念です。
哲学的ゾンビが実際にいる、と信じている人は哲学者の中にもほとんどおらず「哲学的ゾンビは存在可能なのか」「なぜ我々は哲学的ゾンビではないのか」などが心の哲学の他の諸問題と絡めて議論される。
哲学者デイヴィッド・チャーマーズが、「意識のハード・プロブレム」と呼ぶ内面経験の問題を議論するときに考えた概念なのですが、なんでそんなヘンテコなものを持ち出したのかと言えば……
と、ここで時間ですね。別の機会に続きを書くことにします。
(追記)続きを書き始めました。