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ゲームクリエイターの座談会記事


※トップ画像は、みんなのフォトギャラリーからお借りしました。


イシイジロウ氏ら第一線で活躍するクリエイターがアドベンチャーゲームを語り尽くす!――「弟切草」「かまいたちの夜」から始まった僕らのアドベンチャーゲーム開発史(前編)

2013/11/9

イシイジロウ氏ら第一線で活躍するクリエイターがアドベンチャーゲームを語り尽くす!――「弟切草」「かまいたちの夜」から始まった僕らのアドベンチャーゲーム開発史(後編)

2013/11/11


前回の日記を書く際に「あれ、アドベンチャーゲームってADVだっけAVGだっけ」と、Wikipediaを見にいったのですが、そこでアドベンチャーゲームが分類されているのに気付いて、見に行った記事が上記のもの。

2013年度の座談会なのですが、今でも参考になります。


アドベンチャーゲームの構造は、上記の座談会で、

・直線型 ・フローチャート型 ・マルチサイト型 ・主人公不在型

に大きく分けられています。


直線型

「ポートピア連続殺人事件」から「逆転裁判」「ダンガンロンパ」に至る系譜にある、一直線のストーリーがあって最後の真相まで辿り着くまでの間にゲームが挟まっているもの。

フローチャート型

「弟切草」「かまいたちの夜」に始まって、「KANON」「AIR」「CLANNAD」や「月姫」「Fate/stay night」などの様々なゲームでみられる、選択肢によりシナリオが分岐してストーリーも変化するマルチエンディングもの。

マルチサイト型

「Eve burst error」「街~運命の交差点~」「428~封鎖された渋谷で~」「タイムトラベラーズ」など、同一時空間内で主人公視点をザッピングしながら、各々の登場人物が辿るシナリオが絡み合うもの。

主人公不在型

「MYST」「ラブプラス」「君と彼女と彼女の恋。」などにみられる、主人公=プレイヤー方式を採用しているもの。


境界上に分類されるゲームもあって、「ひぐらしのなく頃に」「STEINS; GATE」は直線型・フローチャート型の両方の要素を持ち合わせ、「Ever17」「ルートダブル」はフローチャート型・マルチサイト型を組み合わせた形になっていると。

「ループ構造」を恣意的に利用する,あるいは,利用した結果に発生した「ループ構造ならではの問題」を解決するために,タイムトラベルを持ち込んだり,メタフィクション(※)を持ち込んだり,いろいろな試行錯誤が行われ,たくさんの新しい作品が生まれてくる
プレイヤーと登場人物の視点の乖離に気がついて,プレイヤー=登場人物にしようと,なんとかシンクロさせようとすればするほど,どうしてもループ物やタイムトラベル物になっていくんです。1990年代後半っていうのは,みんながそれに気付いて,結果として,似たようなテーマの作品が一気に出てきたって時代じゃないかと思うんです
フローチャート構造,あるいはループする構造を,どう物語的にオチを付けるか,説明していくのか。「あ,これはタイムトラベルですね」とか「メタフィクションだね」「転生ものだね」とか。物語が進んで,死ぬと戻るっていうゲームの構造の解釈――「なんで戻るの?」という部分を,みんな一所懸命に考えていた。「かまいたちの夜」以後に出てきた作品群っていうのは,その延長線上の取り組みだった

このあたりは、物語構造がどうなっているか知りたい私みたいな読者にとっては、興味津々で食いつく展開。

また、ひぐらしやシュタゲを例に挙げて、分岐したはずの物語を順列に並べて体験させ、良い順番で物語を並べて、主観時間的にも厚みを出しているという指摘もありました。確かにその通りで、ループもの小説にも共通する利点だと思います。

また、多人数視点のタイムトラベルシミュレータを作ってみたいとか。フラグ管理やシナリオ同士の整合性がヤバいことになりそうですがw AI作家だとクリアできるかな?

トゥルーエンドの存在意義やその源流について。詳しい人はいるんでしょうかね……

ここまでが前編で、後編では主人公とプレイヤーの乖離や、感情移入させやすい主人公の設定、主人公と言うフィルターを通しての物語へのかかわりなど、ゲームとプレイヤーの位置関係から話がスタートします。

「ゲームならではの物語ってなんだろう」って常に考えながら企画を考えるんですけど,そうすると,当然,プレイヤーっていう概念が絡んでくるから,「じゃあ,プレイヤーってなんだろう」となる。このゲームにとってのプレイヤーの位置づけ,関わり方ってなんだろうかって部分に常に思考が向くんですよね。

メディアミックスを視野に入れながら作る必要があるとか、でも本当はゲームと言う形式で面白くなるよう表現したいとか。ゲームとしてのリズム感を大切にしている話も、はっとさせられますね。

プレイヤーのクリック,あるいはボタンを押すって行為に対してレスポンスがあるっていうのは,それだけである種の快感なんですよね。プレイヤーがボタンを押すと,ヒロインが笑顔になるだとか,そういう部分には原始的な快感が確実にあって。この感覚は,他の媒体では絶対に無理だよなっていつも思います

小説でも読者は自分のスピードで読み進められるのですが、ゲームから得られるようなレスポンスはないわけで、没入感や緊張感は媒体により特色が異なってくるはず。

他にも、社会問題への言及や、ネットから受ける影響、ボリュームとコストへの気配り、メディアミックス原作としての可能性、海外も考慮した舞台設定、時代性など、今となってもチェックしておきたい観点がいろいろ出てくるお話でした。記事の座談会からは6年半が経っていますけど、どう変わっているのか、何か新しい展開が出てきているのか……2017年のDDLCなどは当然ここには出てきていませんし、最近のゲームも合わせてもう一度聞いてみたいところです。

私はおそらくゲーム制作に携わることはないですけど、小説を書きたいとは常々思っています。ループもの等にも興味がありますし、ゲームでの物語からも得られる知見は数多いはずですから。面白い座談会でした。



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