髪の毛について、髪型について
髪型を強制的に刈られるという虐待
お洒落に見えるには、服より髪型が重要なことにあとから気づいた。
これまで書いたように、実家にいた頃は父親に化粧するな、化粧するな、と何度も何度もしつこくしつこくわめかれてきたので、鏡に向かうことすらできず、髪の手入れすら満足にすることすら叶わなかった。
この、男親の、自分の娘の肉体を思い通りにしようという願望、欲望は、社会の家父長制、セクハラ、パワハラと根深く繋がっていると確信している。
こんな頭のおかしな親のいる、狂った実家を出て、一人暮らししてからはじめて、自分の髪に時間をかけることができるようになった。
「普通」の家庭で育った人達が当たり前に持っているヘアセットの技術を、私は人より何年も遅れて、そこから一から学び始めた。
ずっと親の虐待のせいで髪に意識を回すことすら抑圧されてきたため、20過ぎまでファッション好きなのにヘアスタイルの重要性が分かってなかった。
年齢一ケタ台の頃は、いつも男みたいに短くされていて、私はそれが死ぬほど嫌だった。
髪は風呂場で父親が切るか、近所の母親が通っているパーマ屋で切ってもらうかのどちらかだったが、家では問答無用で短くされ、パーマ屋では母親が短くするように指示を出す。
私は今でも男性の美容師に髪を切ってもらうのを避けている。
男性美容師でも上手い人はいるんだろうけど、私は父親から暴力を受けて育ったのと、問答無用で短くされてきたのがフラッシュバックするので、いつも女性を指名している。
男に髪を触られると女をモノとして扱う男の性質を思い出してパニックになりそう。
幼稚園の頃は、髪が長い同級生たちが羨ましかった。
幼い女の子しか似合わない髪型と言うものがある。二つに分けて三つ編みとか、おだんごとか、ロングヘアの上部左右を飾りのついたゴムで結ぶとか。
私も髪を伸ばして凝った髪型にしたかった。
幼稚園の同級生の家に遊びに行ったとき、たくさん引き出しのついた収納ケースの小さい箱の中に、一つ一つ、種類の違うヘアゴムが、二つずつ(二つ結びのために二つセットで売ってることが多いのだ、飾り付きのヘアゴムというのは)入っているのを見て、そういう髪型ができるのが、毎日結ってもらえるのが、そんなかわいいヘアゴムを付けられるのが、たくさんかわいいヘアゴムを持ってるのが、心の底から、羨ましかった。
今でもそれを思い出すと、耐えきれないほど無念な気持ちになる。私も、そんな家で育ちたかった。
私は、髪なんか結べないほど短くされていた。
いつも、男みたいな髪型にされていた。ボブですらない。短く、短くされていた。
幼稚園の頃から、既に、自分は「かわいい」タイプの顔立ちではないことに気付いていたから、せめて髪くらい女の子らしくしたかったのに。
思い出すだけで、無念さがこみ上げて、心が破綻しそう。
なぜ、そんなに短くさせるのかと親に訊いたら、いけしゃあしゃあと手入れするのがめんどくさいから、と言われた。
親は、子どもに、髪の手入れを教える気はさらさらなかったのだろう。
実家にいた頃は、自分は、家畜みたいな生活をさせられていると思っていた。
プライバシーも人権もなく、心理的、肉体的に親のストレス解消の捌け口に使われるから。
食事は、出されたものは何でも、残さず食べなければいけない。残すと、ガミガミガミガミ言われる。好き嫌いについて言うと、二言目にはじゃあ何も食うな、と言う親であった、両親とも。
だから、高校を卒業して一人暮らししてから嫌いなものは食べなくていいことが、食事を残せることが、今でも嬉しい。実家でよく出ていた食材は今でも嫌い。きゅうりとか、湯豆腐とか。
髪に関しても家畜には、短ければ短いほど手がかからなくて結構、と思っていたのだろう。実際、弟は、男なので、いがぐり頭にされていた。
誰にも教えてもらってないから髪の手入れの仕方も知らなかった
髪が短いと、寝ぐせがついても直らない。
なので、短い髪を強制されていた年齢一ケタのころはいつも寝ぐせがついていた。
そもそも、ドライヤーをかけてもらったこともなく、ドライヤーというものの存在は、小学校に入ってから、同級生から教わった。
それまでは、いつも、タオルで適当に拭いておしまい。そうやって、半乾きのまま寝させられるから、翌朝寝ぐせになるのだ。
親は、短いと手入れするのが楽だから短い髪型を強制していたようだが、このように短くても長くても手入れは必要だということが考えられなかったらしい。
もちろん、寝ぐせがついていても、直してもらったことがない。家には半分壊れかけの古いドライヤーしかなくて、使い方も知らなかったから、小学校低学年の頃は、寝ぐせがついた髪を引っ張ったり濡らしたりして寝ぐせを直そうとしていた。
ドライヤーのかけ方なども、一人暮らししてから正しいかけ方を知った。
小学生になってもまだ短くしろ、短くしろ、と言われ、短いままだった。
髪を切りたくなくて、家にいないと思わせるために靴を持って屋根裏の自分の部屋の押し入れに隠れたことを思い出す。
近所の美容室の美容師さんは嫌いではなかったが、連れてきた母親が勝手に髪を短くするようオーダーする指示を出すのが死ぬほど嫌だった。
その美容室は個人経営のいわゆる「パーマ屋」で、オーナーの美容師さんは昔祇園で髪結いをやっていたという祖母と同じ年齢の女性だったが、「ほんとは髪伸ばしたいの?」と訊かれたことがあった。私が嫌そうにしていたからだろう。
ついてきて、髪を短くするように指示を出した母親は、その時、例によって、ヘラヘラしていた。
小学生の頃、シャンプー、リンス、トリートメントが家では使えなかった
父親は公立高校の教員。
教員というものは、社会を知らず、学校を出たばかりの未熟者であっても「先生」と呼ばれて何十年も過ごしているので社会性がなく、世間知らずだが、父親も御多分に漏れず、そんな人間に「仕上がって」いて、もともとバカな上に歪んだこだわりの持ち主なのが、教員であることで更に強化されているどうしようもない人間であった。
公務員になるような人間は、税金で食わしてもらおうという魂胆の、意気地のない、弱虫な、気概のない性格の人たちだが、その中でも教員はそれに輪をかけてだらしない人格の人たちだと思う。厳しい社会を知らないのに偉そうにしているから。毎日そういう生活を送っているため、人格は堕落する一方の人種。
かくのごとく精神性の低く思慮のない、思考というものができない父親の、歪んだ、根拠不明の、頭のおかしいこだわりのせいで、私が小学生の頃は、シャンプー、リンス、トリートメントが家では使えなかった。
子どもには使うなと言っておきながらも一方で、母親だけが子どもに隠れてこっそりシャンプー、リンス、トリートメントを使っていた。
洗面所の棚の奥の方に置いて、使う時だけ出して使っていたのだ。すぐに見つかるのに、心底浅はかな親である。
小学校で、今でいうノーマライゼーションの授業の時に、シャンプーとリンスを見分けるのには、側面に凹凸があるかないか、という話題になった時に、30人学級の中で、シャンプーが家にないのが私だけだったことが分かった。
それまでも、親の歪んだ「こだわり」のせいで同級生と話が合わないことが多かった。
「シャンプーがない」こともそうだし、「マンガは読むな、頭が悪くなる」「テレビを見るな、頭が悪くなる」「ゲームは一切禁止」などと言われ続け、実際一切それらが許されなかったことなど。
そのせいで家ではテレビはほとんど見ることができず、マンガも読めず、ゲームはなかった。
なので、小学生の頃からずっと、以来大学生に至るまで、テレビ、マンガ、ゲームの話題に加われなかった。
大学生以降、私以上の学歴の人々が普通にテレビとかマンガとかゲームを子どもの頃からしてきているのを知って、それが、例によって、自分の親の狭小な視野から来る、自分の家庭だけの一人カルトだとはっきりわかった。
なんで自分は、まともな親のもとに生れなかったんだろうと、これまでも何千回も考えてきたが、これを書きながらもまたしても思う。
しかし、そういった娯楽面だけでなく必要最低限の生活環境ですら「普通」の家レベルではないことに、小学生ながら、打ちのめされた。同じく、生活環境ですら「普通」レベルではないことに関しては、携帯電話も持たせてもらなかったことがある。中学高校では私以外は皆携帯電話を持っていたが、私だけ持っておらず、部活をしていた時は一人だけ連絡が来ないことがよくあった。
この、小学校で私の家にだけシャンプーがなく、自分だけそれが使えない、という状況を自覚した時の事を思い出すと、今でも、世の中のすべてのものを打ち壊したくなる。
自分の家庭がおかしいとはっきり客観的に証明された瞬間である。
繰り返すがヤマギシ会のカルト教団で育った人のコミックエッセイ『カルト村で生まれました。』、あれと本当によく似ている。
私はいつも思ってしまう。私よりも環境的にも金銭的にも恵まれているのに、「普通」の家庭で育っているのに、私より「何か」ができない人に出会うと、なんで私より恵まれてきてるのに○○ができないんだろうと。
実際は、人にはできることとできないことがあると頭では分かっていても、つい、そういう風に考えてしまうのだ。これが本当の「育ちが悪い」ということだと思う。
私は同じクラスの私以外の他の子の家にはシャンプーがあるのを知って自分もシャンプーを使いたいと訴えたが当然のごとく頭ごなしに却下された。
親は髪の手入れを教える気がないばかりか、髪をいじるなと何回も何回もガミガミガミガミ言うことで、身だしなみを整えることを妨害していた。これも一種の虐待と言えるだろう。
そのくせ、母親は高い服とか化粧品とか着物などを買っており自分の趣味の茶道のために離れまで増築していた。父親はヨットとか船とか車とか山などを買って釣りや農作業に勤しんでいた。
子どもには徹底的に金と手間を惜しみ、自分の楽しみのためには金を使う人々。
私は幼児から小学校5年生まで水泳をやらされていたが、シャンプー、リンス、トリートメントが使えないから、塩素で髪が傷んでいるのに石鹸で髪を洗わないといけなくて、そのせいで余計髪がゴワゴワになるのが悲しかった。
早く実家を出て行きたい、早く実家を出て行きたい、と思っていた。
小学校で自分の家庭にだけシャンプーがないと知って打ちのめされたその5年後、5歳下の妹が小学校に入って同じく自分の家だけシャンプーがないことを知ってシャンプーを使いたいと訴えた時、はじめて家にシャンプーが導入された。父親は、自分が末っ子なので、末っ子の妹にだけは甘いのだ。
なぜ、私が小学生の時は使えなかったのか。なぜ、妹はシャンプー使えるのか。外で嫌な思いしてまで我慢してきたのに。シャンプーだけではない、私には許されず、妹には許されてきたことはたくさんある。
私には3歳年下の弟もいるが、弟は弟で虐待の影響を受けて育ってきている。弟が小学校三年生ごろ、父親の暴力から逃れるために家の中でただ一つ鍵のかかる場所、トイレにこもってそのままトイレの中で寝ていたことは忘れられない。(後に親が外から鍵を開ける方法を知ってこの手段は使えなくなった)。
小六の受験期、弟は成長が遅いタイプで中学受験に合わなかったのにもかかわらず親に塾と受験を無理強いされたせいだろう、夜驚症のようになっていて、夜、家の中を泣きわめきながらさ迷い歩き、しかも朝、本人はそのことを覚えていなかったのが私にとっては最も怖かったのだが、結局、受験もうまくいかなくて地元の中学に進学していた。
中学校進学後は、弟は自分の部屋があったのに、なにをしているか分からないからなどという理由で(何もしていないのに)部屋を取り上げられ、居間のすぐ隣、引き戸で区切られた座敷で寝起きさせられていた。
私は弟のように部屋は取り上げられていないが、中学生の頃、唐突に、ドアがあったら何をしているか分からないからという理由で父親に自分と妹(妹は幼かったのでほとんど使っていなかった)が共同使用している部屋のドアを取り外された。年頃なのにもかかわらず、監視のためドアの取り外された部屋で過ごさなければならないという屈辱。なんでこんな目に遭わないといけないのか、前世で何か悪いことでもしたのか、そんなことばかり考えさせられるような状況だった。
その後18で家を出るまでずっと自分の部屋にはドアがなかった。取り外されたドアは、階段を挟んで隣の弟の部屋だった部屋に置かれていた。もし自分でドアを付け直したりすればまためんどくさいことになる。
自分の部屋に入るとき、反対側の同じくドアのない弟の部屋だったところに取り外されたドアが横たわってるのが視界に入るたびに無力感を覚えていた。毎日毎日見せつけらるのである、自分に人権、プライバシーがないことを。
私のその部屋はエアコンのない屋根裏なので夏は酷暑で冬は凍えるほど寒かった。夏は汗だくになりながら勉強していた。夏よりも冬が辛かった。
部屋が寒すぎて、ダウンを着て勉強していたら、母親に家の中でダウンを着ていることをバカにして嗤われた。神経のおかしい両親。
7歳でその家に越してきてから18歳で出ていくまで、何回エアコンをつけてくれと言っても聞き入れられなかった。冬は薄い綿布団一枚で震えながら眠りについていた。一方両親はエアコンのある寝室で寝ていた。
一個の人格として扱われることのない環境で育ってきた。
両親のせいで常に精神的にギリギリのところに立たされながら実家では毎日を送っていた。
子どもの頃できなかった事を一生かけて取り戻したい
やっと髪を伸ばせるようになったのは小学校三年生の頃。
髪を伸ばせるようになってからはずっと髪はロングか、短くてもボブにしている。
髪を伸ばせるようになったときは一時期、三つ編みしたりして、色んなアレンジを試してみてた。
中二の時一度だけショートにしたくて切ったが、またすぐに伸ばした。
髪を伸ばせるようになっても、化粧はするなとガミガミガミガミワアワアワアワア言われてきたので、その延長線上でヘアセットに関しても興味をもつことすら禁じられるような環境だった。
洗面所で、髪をいじっているだけで、気が狂ったようにガミガミガミガミ言われるのだ。
大学に入るまで全くその部分が発達しなかったと書いたが、中学生の頃から毎日ヘアセットして学校行ってた人々に、はたして追いつけるのか?
だから、大学生になって、髪リテラシー向上のためにヘアカタログを見ていても、はじめは、ひとつひとつの髪型の違いが分からなかった。
半年くらい見続けて、やっとちょっとずつ見分けがつくようになってきた。
子どものころ、男みたいな髪型を押し付けられていたせいで、今でも、かわいい女の子とか、少女っぽい格好にすごく憧れる。
そういう画像を、何千枚も集めて、フォルダに保存している。
服もそう。自分は、異常に、レースとかフリルの服が好き。かわいい、少女みたいな服装が好き。だから今、ピンクハウス着ているのである。
髪も、かわいくしたい。だからパーマをかけて、ふわふわっとさせている。
ふわふわっとさせているのは、猫っ毛で根本にボリュームが出ないのもある。
いつも、パーマをかける時は、根元からしっかりかけてくださいとオーダーしている。
子どもの頃にできなかった事を、一生かけて、取り戻したい。分からないだろうなあ、自由な環境で生きてこれた人にはこの心境は。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?