服装に自意識を持つようになった経緯
服装に自意識を持つようになった経緯は、私の場合、よくある「モテたい」などではない。
中学受験をさせられ、自分の家庭には分不相応な学校に行かされたことがきっかけである。
・ブランド服で固めた中学校の同級生たち
そもそも、人から見て自分の服装がどうか、ということを気にするようになったのは中学校入学が契機である。
2002年、京都市内の私立の中高一貫の女子校に入学した。
そこは私服で、制服は一切ない。標準服の規定も全くない。
服装に関する校則は、「アクセサリー類は禁止」「ノースリーブは禁止」「ブーツはニーハイブーツでなければ良い」「5cm以上のヒール靴は禁止」「メイクは禁止」くらいしかなく、かなり自由。
しかも、そこから逸脱していても、めったなことでは注意されない。
入学してすぐの中一の新学期、同じクラスに全身バーバリー、全身ナルミヤブランドなど、全身一つのブランドで揃えた者が複数おり、それが私にとってカルチャーショック第一発だった。
自分の通っていた小学校には、そんな子は一人もいなかった。
私の家の周辺は柄が悪く、ただでさえ民度の低い京都の中でもさらに民度が低い。
小学校のクラスの半分くらいはヤンキーだった。校内暴力のせいで、90年代、地元の公立中学校は、いつそばを通っても窓ガラスが割れていた。
そんな地域の小学校で同級生たちが着ていたのは、私のように近くの西友で買ったものや、きょうだいのお下がりなど、汚れてもいい服、よれよれの服。
そんな環境からやって来たので、ここではじめて、「全身ブランド服の子ども」という存在に遭遇した。私はいわゆる「いい家」の子ではないので、どうせならこの機会に金持ちの家の子とやらを観察しておこうと考えて入学以後、日々、同級生たちを観察しはじめた。
・私服の学校でブランド服で固めた同級生たちを見て自分の服装に対する自意識が生まれた
全身バーバリーはとにかくど迫力だった。これ見よがしにあのバーバリーチェックで全身揃えており、金にあかせて分かりやすく全身バーバリーで揃えててすごいなー、と子ども心に思った。そういう子は靴下とかハンカチまでバーバリーだったりするのだ。
全6クラスで、全身バーバリーが私のクラスだけでも二人いた。
全身バーバリーは、迫力はすごいけれど似合ってるかといったら、似合ってない。
子ども心に日本人にはあのバーバリーチェックは似合わないな~と思ったものだった。あの柄は、欧米人や黒人のように顔の骨格に立体感がないと、柄に顔が負けると思う。
のっぺりした顔だと、柄のインパクトばかりが先行する。
日本人の、ましてやメイクもしてない中一の子どもが着ると、むしろ、顔の不細工な部分が目立つ。いかにも「着られて」いた。
全身ナルミヤは、着てるだけで独特のナルミヤワールドを強烈に醸し出す。特に癖が強いラインがエンジェルブルー。
ナルミヤブランドの服は遠くからでも、あ、ナルミヤの服だ!とすぐ分かる。服の雰囲気が、着てる本人自身のもつ雰囲気を凌駕して、着ている人間の方が服の世界観に巻き込まれるため。
だから、「本人」というよりも「ナルミヤの服を着た人」になっている。
中学生になったばかりの年代の子どもにはナルミヤはよく似合っていた。
私自身は、こういったキャラクターものの服が好きではなく、また似合いもしないので、かわいさは認めてはいても欲しいとは思わなかったが、メゾピアノ、ポンポネットあたりはパウダリーな色彩が好みで、他人の着ている服をこっそり鑑賞していた。
私はごく普通の格好で通学していたが、金のかかった服装の子たちを見て、自分も日々「まとも」に見えるような格好をしないといけない、という強迫観念にかられた。
そして、自分が着たいものを着ていただけの段階から、自分のいでたちが人から見てどうか、ということを考えるようになった。