GA38『シュタイナー書簡集』より(1)
1.ヨーゼフ・ケック宛(※1)の手紙
1881年1月13日
深夜12時
親愛なる、誠実な友よ!
1月10日から11日にかけての夜、僕は全然眠れなかった。深夜の12時半までいくつかの哲学的な問題について考えに考え抜いて、やっとのことでベッドに倒れ込んだよ。去年、僕はシェリングが言ったことが本当なのかどうか探ろうとしていたんだ。「私たち全員に内在する、神秘的で、驚異的な力、つまり、変転する時間から、外から付け加えられたもの全てを脱ぎ捨てて、私たちの最も内なる自己に立ち返り、そこで不変性という形で永遠なるものを直観する力」ってやつさ(※2)。僕はその最も内なる力を自分自身の中にはっきりと見つけたと信じているし、今でもそう信じているんだ。ずっと前から漠然と感じてはいたんだけどね。観念論哲学全体が本質的に修正された形で僕の前に現れたよ。こんな発見に比べたら、徹夜なんて大したことないさ!で、朝が来た。めちゃくちゃ寒い朝だった...。僕はすぐに旅支度を整えて、出発の準備をしていたんだ。そしたら、僕宛の手紙が届いた。宛名を見て、それが君からのものだとすぐにわかったよ。僕は客車に乗り込んで、みすぼらしいランプの明かりで手紙を読んだ。今の僕の気持ちを言葉にするなんて、全然無理だよ。僕は我を忘れるくらい激しく動揺していた。どうやったら落ち着けるというのか、もう何もできそうになかった!一日中、僕は前の日とは全然違う人間みたいだった。もちろん中身の話であって、見た目の話じゃないよ。夜、家に帰るとき、僕の体が客車に乗り込んだせいで、ある女性がとばっちりを受けることになっちゃったんだ。そういうこともあるってことを示すために、ちょっとした話を織り交ぜようと思う。
ある時、僕はジーン・パウルの作品を読みふけって、夜遅くまで起きていたんだ(※3)。前の日も同じことをしていて、その先のことは覚えていない。服を脱ぐことも、寝ることもしていなかったのに、朝になって僕はベッドに横たわっているのを発見したんだよ。本や服などはいつもの場所にあった。明らかに全部夢の中で行動していたんだ。僕は毎日決まった手順で寝るようにしているんだけど、つまり本を決まった場所に置いて、服なども同じようにするんだけど、夢の中でも全く同じことが同じ正確さでなされていたんだよ。
で、その日、僕は駅まで歩いて行って、客車に乗り込んで腰を下ろした。あいにく、僕はある女性がそこに置き忘れた時計の上に座っちゃって、時計をめちゃくちゃに壊しちゃったんだ。損害を被ったのは彼女であって、僕じゃない。だって僕は彼女に何も払っていないからね。彼女は時計を別の場所に置いておくべきだったんだ。その晩、僕はこの手紙に同封した書きつけをしたためたよ。次の日、ある友達に——他には何も触れずに——僕の悲しみの理由を聞かれたから、その書きつけの最初にある言葉を記念帳に書き込んだんだ。「計り知れないほど深く」云々ってやつさ。
もう2日経った。2日間、人間として物事を見つめた後、今度は哲学者として君の本性を考察するのが僕の務めだと思う。だから率直に言わせてもらうと、君は僕にとって最も理解しがたい存在なんだ。何よりもまず自分の内面をよく見つめて、君の恋愛が利己心から完全に自由だったのかどうかを、徹底的に吟味するのが君の義務だと考えたほうがいい。君が諦めることを不毛な行為だと言っているのは、正直言ってよくわからないし、諦めなかったほうがよかったなんて言うのはもっとおかしいよ。もし君の恋愛が、利己心から完全に自由だったんだったら、善良な友よ、君にそれ以上何も必要ないんだよ。君は十分すぎるほど持っているんだから。君はキュアネーを君の心の中に受け入れたんだろう?彼女はそこに生き続けているし、彼女のイメージは君にとって十分なはずだ。君はそれを友達とさえ分かち合うことができるんだよ。イメージだけで満足して、肉体を必要とせず、それどころか肉体を抑制するような愛、それこそが本当の愛なんだよ。そこには嘆きも悲しみも必要ないんだ。友達にもこのことを伝えてくれよ!
さて、もうひとつ提案があるんだけど、ハイネという文学的ならず者、祖国を軽蔑する奴、感情をゆがめる奴のことは頭から追い出した方がいい(※4)。そして、ゲーテの『ファウスト』を読むんだ(※5)。そこには考える人、感じる人の糧があるからね。平凡な日常の「2×2=4」以上のものを求める人間全てのための糧があるんだよ。ここウィーンでファウスト通を自負する男——もちろんゲーテに次いでだけども——と知り合えたのは、僕は神様と幸運に感謝しているよ。教師として、学者として、詩人として、そして一人の人間として、僕が尊敬してやまない人物なんだ。その人物っていうのは、カール・ユリウス・シュレーア(※6)っていうんだけど、彼の父親は、ドイツでも、一部はすでにオーストリアでも、詩作と、『女子高等中学校のための世界史』や『美学の主要テーマについて乙女に宛てた手紙』などで有名な、あのChr. エーゼル(Chr. Öser)なんだよ。Chr. エーゼルっていうのはペンネームなんだ。Chr. Öser のÖの後のSをこのペンネームの最初に置いてみてよ。そうするとSCHröer(シュレーア)になるわけさ(※7)。
さて、話がまた脱線しちゃったけど、カール・ユリウス・シュレーアこそ、『ファウスト』第二部に正当な光を当てた人物なんだよ。この作品は老ゲーテの弱々しい作品にすぎないと思われていたんだけどね。レーナウ(※8)は、ゲーテがファウストの構想を完全に見誤っている、ファウストは悪魔に連れ去られなきゃいけない(※9)ってなことを言ったようだけど、それは違うよ。ゲーテはそれをちゃんと見抜いていたんだ。16世紀の、聖書などに満足できないファウストなら、悪魔に連れ去られるのは確かだけど、19世紀のファウストなら、悪魔に連れ去られる必要はないし、連れ去られちゃいけないんだ。だって、「絶えず努力を重ねる者は、我々により救済されうる」からね(※10)。
さあ友よ、僕は君にこの作品を研究するように勧めるよ。心から、そして最も深い確信を持って言うけど、そこから新しい人生への勇気、新しい力と新しい理想への勇気を汲み取ることができるんだから。そしてハインリヒ・ハイネなんかとは縁を切って、彼に君の分別を狂わされないようにしようじゃないか。僕もハイネの書いたいくつかの美しいものは知っているけど、でもそれがハイネによって書かれたことが残念でならないんだ。代わりに愛すべき高潔なミュラー(※11)やリュッケルト(※12)、ウーラント(※13)といったドイツの高潔な心の持ち主たちに目を向けようじゃないか。ドイツ人を軽蔑するハイネは、フランス人に持て囃されればいいんだよ。きっと彼は、放蕩と享楽で身を持ち崩して、高潔な感情をおとしめるような軽薄な歌を歌ったあの地で、気に入られるんだろうよ。あそこなら彼は、自分がドイツではちょっとした詩人としてだけでなく、大衆の代弁者みたいに思われていると信じ込ませることができるんだろうけど、僕たちの国では、彼はわがままなガキ大将にすぎないのさ。たまに頓知が効いた発想を見せるけどね。
ハインリヒ・ハイネを高く評価している君の過ちを、これほど手厳しい言葉で論じたことを許してくれよ。でも、僕が自分の考えていることとは違うことを言ったら、それは一体何を意味するんだろう?それが高潔な魂が友に対してすべきことなのかな?率直に言わせてもらうと、もしシラーがハイネの歌に触れていたら、僕と全く同じように批評していたはずだ、というのが僕の揺るぎない確信なんだよ。君はプラトンも学んだはずだろう?そしておそらく彼の『国家』も!(※14)もう一度それを学んでみたらどうだい?もしかしたら別の見解が得られるかもしれないよ。その放浪癖だって何だっていうんだい?率直に言ってしまえば、ただそれだけのことなんだよ!ただ、自分が何を望んでいるのかわからないような、そんな小説の主人公にだけはなるなよ。だって詩人だって自分が何を望んでいるのかわからなかったんだから...。[手紙の残りの部分は欠損]
【註】
※1)ヨーゼフ・ケック(1918年ザルツブルクにて死去)は、ルドルフ・シュタイナーの青年時代の友人であり、郵便局員であった。『ルドルフ・シュタイナー全集への寄与』第55号(ドルナッハ、1976年ミカエル祭)およびGA28『自伝』第4章の以下の一節を参照。「ここで、私は特にある友人のことを思い出さずにはいられない。彼はすでにウィーナー・ノイシュタットで私の同級生だった。しかしこの時期、彼は私から遠く離れていた。ウィーンに来てようやく、彼が最初は頻繁に私を訪ねてくれ、後に役人として暮らすようになってから、彼は私に近づいてきた。しかし彼は、外面的な関係はなかったものの、すでにウィーナー・ノイシュタットにおいて、私の人生に意味を持っていたのだった。ある時、私は彼と一緒に体操の授業を受けていた。彼が体操をしている間、私はすることがなかったので、彼は私の隣に本を置いていった。それはハイネの『ドイツ・ロマン派』についての本と、彼の包括的な『ドイツにおける哲学の歴史』だった。私はその時読み、その本を自分で読むきっかけとなった。私はそこに描かれていたものを汲み取ったが、ハイネが私の身近な人生の内容をどのように扱っているかについては、激しい矛盾を感じていた。私とは全く正反対の思考法と感情の方向性の見解は、私の魂の素質の内的な人生の指針について自己を見つめ直すための刺激となっており、それは必要なことだった。」
※2)F・W・J・シェリング著『独断主義と批判主義に関する哲学書簡』第8書簡、ニートハンマー編『哲学雑誌』1796年掲載、シェリング著『哲学論集』第1巻(1809年)165ページに再録(邦訳:高山守編『新装版シェリング著作集1a 自我哲学』文屋秋栄 2020年 p.186)。
※3)ジーン・パウル(1763年ヴンジーデル、フィヒテル山地 - 1825年バイロイト)、本名ジーン・パウル・フリードリヒ・リヒターは、同時代に広く読まれた詩人。『ルドルフ・シュタイナーの序文付きジーン・パウル選集全8巻』(シュトゥットガルト、出版年不明、1897年)および新版も参照。
※4)上記の註(※1)の『自伝』第4章の引用を参照。
※5)ルドルフ・シュタイナーは当時、ゲーテの『ファウスト』第1部の強い印象下にあった。彼はカール・ユリウス・シュレーア編の新たに出版された改訂版(ハイルブロン、1881年)で初めてそれを読んだのである(『自伝』第3章を参照)。
※6)カール・ユリウス・シュレーア(1825年プレスブルク - 1900年ウィーン)は、教育者、言語学者、ゲーテ研究者であり、1880年代にルドルフ・シュタイナーの父親のような友人であり、精神的な支援者でもあった。1867年よりウィーン工科大学で文学の教授を務めた。この研究所の「記念誌」(ウィーン、1915年)には、彼の関連する活動について次のように記されている。「彼は講義の中で、ドイツ文学の歴史全般、特に19世紀のものだけでなく、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ、ゲーテ、シラーといった傑出した詩人についても扱った。学問の対象としてのドイツ文法について講義し、ドイツの古典作家とドイツの舞台について理解を深め、1870/72年以降に現れた口頭発表と彼が設立した「ドイツ協会」での文章表現の演習のために、一種のゼミナールを設けた。このようにしてシュレーアはかなり広範な教育活動を展開し、技術者にとって一般的にはやや縁遠い、より難しい講義の問題にも対処することができた。」ルドルフ・シュタイナーは、カール・ユリウス・シュレーアについて包括的な描写を次の著作の中で行っている。GA20『人間の謎について-ドイツとオーストリアの一連の人物たちの思考、洞察、瞑想における言明されたことと言明されざること』(1916年)「オーストリアの思索世界からの写像」の章。さらに、GA28『自伝』(1924/25年)の第3、5、7章、および講演「生涯の概略(1861年-1893年)」(ベルリン、1913年2月4日)(『書簡集 I 、1881年-1891年』ドルナッハ、1948年、1955年、1963年所収)、および「ウィーン時代に至るまでの幼少期・青年期に関する自伝的講演」(「ルドルフ・シュタイナー全集への寄与」第83/84号、ドルナッハ、1984年復活祭)に詳しい。
※7)Chr.エーゼル(トビアス・ゴットフリート・シュレーア)(1791年プレスブルク - 1850年同地)は、カール・ユリウス・シュレーアの父親である。彼は「女学校と私教育のための世界史。女性に特に関連づけて」(ライプツィヒ、1838年)、「婦人と少女のための世界史。美学の主要テーマに関する書簡」(ライプツィヒ、1846年)などを執筆した。上記のGA20『人間の謎について』「オーストリアの思索世界からの写像」の章も参照のこと。
※8)ニコラス・レーナウは本名ニコラウス・フランツ・ニームシュ、シュトレーレナウ伯(1802年ハンガリーのチャターデ - 1850年ウィーン近郊オーバードブリング)、オーストリアの詩人。
※9)L・A・フランクル「ニコラウス・レーナウ、フェルディナント・ライムントその他の伝記への寄与」(ウィーン、1862年-85年)参照。
※10)『ファウスト』第二部、山の峡谷。ゲーテのエッカーマンへの手紙(1831年6月6日)参照。「この詩句の中に、ファウストの救済の鍵が含まれている。ファウスト自身の内に、終わりまで絶え間なくより高く純粋な活動があり、上からは彼を助けに来る永遠の愛がある。これは、私たちの宗教的な考え方と完全に調和している。それによれば、私たちは自分自身の力だけでは救われず、そこに加わる神の恩寵によって救われるのである」。
※11)ヴィルヘルム・ミュラー(1794年デッサウ - 1827年同地)は叙情詩人。特に「ギリシャ人の歌」(1821年-24年)で知られる。彼の詩「美しい水車小屋の娘」と「冬の旅」は、フランツ・シューベルトによって作曲された。
※12)フリードリヒ・リュッケルト(1788年シュヴァインフルト - 1866年コーブルク近郊ノイゼス)、詩人、特に叙情詩人。1826年から1841年までエアランゲンで、1848年までベルリンで教授を務めた。
※13)ルートヴィヒ・ウーラント(1787年テュービンゲン - 1862年同地)、シュヴァーベンの詩人、民謡・伝説研究者、ゲルマン文献学の教授であり、その創始者の一人。ウーラントの作品集(3巻本、序文と1巻、後に1巻に4巻)も参照。「ルドルフ・シュタイナーによる伝記的序文を付す」、ベルリン古典叢書、ベルリン、出版年不明(1902年)および新版。
※14)プラトンの『国家』:ギリシャの哲学者プラトン(紀元前427年アテネ - 紀元前347年同地)の有名な著作。
【参考文献】
Rudolf Steiner:Briefe BandⅠ 1881-1890 p.13-16, p.277-279
http://bdn-steiner.ru/cat/ga/038.pdf