臨死体験したひとたちが教えてくれた 共通する一つのこと
今月 立て続けに臨死体験したひとのお話を、見聞きする機会がありました。
それはたまたまなのですが、私にとって今だからこそ聞きたい話だったように思えます。
「臨死体験」という非現実的な出来事。
お二方とも 突然倒れ 気が付いたら「あの世」だったそうです。
そして 自分以外のもうひとりの「声」を聞いています。
ひとりの方は 「”生きる”とは?」という禅問答のようなやり取りがしばらく続いた末、
「人の役に立って 喜んでもらうことだ」
と言われたそうです。
そして もう一人の方は ただ一言
「役に立つ」
とだけ言われて こちらの世界に還されたそうです。
(実際は、今までに味わったことのないほどの至福感で、還らなくてもいいけどな、と思われたそうです、、)
そして、その方は、こう続けられました。
「「役に立つ」というのは、何も「自分自身へ課せられた今生の課題(使命)」ではなくて、誰にでも言えること。
ボランティアをする、とかお金を寄付する、ということでなくとも、素直に自分にできることをやればいいんだと思う。そんなメンタルで日々誰かと接していれば、その機会は、実は日々ゴロゴロしている。」と。
そして
「例えば、この世で必要なものすべて(お金とか、愛する人に愛されるとか、まあ色々です)が不足なく与えられているとしたら、あとに残る「喜び」を考えてみたら、”役に立つこと”しかなかった」とも言われていました。
どちらにも 共通するワードは 「役に立つ」
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私は、この言葉を聞いた時、とても腹落ちしました。
というのも、今年3月、一瞬にして”感謝に包まれた、感謝しかない世界(つまり何の不足も感じられない世界)”にシフトした時、心の底から思ったのは「お返しがしたい(固有の誰かに対して、ではなく)、誰かの役に立ちたい」だったからです。
(※ちなみに感謝ワールドは今なおずっと継続しているかといえば、それは違って、相変わらず日常が続いています。ただ、この体感は明らかにその後の生き方に影響を与えています)
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人は誰にでも「できること」があります。
どんな些細な事でもいい。必ず差し出せるものがある。
そんな大それたことではない。
無理しなくてもいいし、気を遣わなくてもいい。
ただ自然体で 心の中に引っ掛かりのないもの、
それこそが きっと どこか誰かの役に立てるのですよね。
役に立つ = 自分に出来ることをする
「助け合い」というよりも「与え合い」というニュアンスでしょうか。
そんな湧いてくる感情とともに 日々過ごせたら、
本当の意味での「幸せ」を感じられるのだろうな、と思います。