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読売新聞読書委員の任期を終えて

読売新聞読書委員会の納会(2020年12月15日)から一夜が明けて,ワタクシは晴れて “自由の身” となった.二年前に読書委員になったときから,居室の書棚の一角に「読売新聞書評担当本の棚」をわざわざ用意した.そして任期を終えてみると,その棚には前後二段計60冊あまりの書評本がぎっしり詰め込まれている.ワタクシの任期中の掲載書評数をカウントしてみたところ,今月の掲載予定分も含め,計59本(大評40本/小評14本/ヴィジュアル評5本)だった(→書評本リスト).それ以外に「夏の1冊」や「今年の3冊」などの紹介記事も書いたので,それらを合わせれば60本を超えている.平均して毎月2〜3本掲載された勘定になる.よくまぁ書き続けたものだ.

昨夜の納会トークでも話したことだが,隔週で開催される読書委員会に皆勤したワタクシのもとには,きまってハードカバーの「重い・厚い・高い」新刊が引き寄せられる傾向があった.読書委員会を切り盛りする文化部に “一本釣り” されて, “ぬりかべ” の如き巨岩本(→三浦慎悟 2018『動物と人間:関係史の生物学』東京大学出版会, xvi+821 pp.)を書評したこともある.いま目の前の書評本棚を見渡すと,ワタクシの探書アンテナは,生物に関係する自然科学本や民俗生物学,統計学や確率論そしてデータ可視化の本,中世哲学に連なる科学史・科学哲学本,そして発酵・酒食・料理本に向けられている.朝日新聞書評委員だった某氏が指摘するように,ワタクシの書評本の選書基準は他の読書委員諸氏とは “有意に” 異なっていたようだ.

これまた昨夜のトークで言及したことだが,とりわけ自然科学系の新刊は他分野に比べて一般読者の目に触れる機会が少なく,知られないまま埋もれてしまうリスクが大きい.一般読者向けの新聞書評ならではの “不文律” かもしれないが,「ヨコ書き=小難しい理系本=書評対象からはずす」という “ガラスのついたて” が知らないうちに設置されているようなものだ.その “ついたて” をどのようにして超えればいいか.塚谷裕一さんの後任の読書委員としてはあえて理系ジャンル読者の掘り起こしに注力することもたいせつな “お勤め” だろうと自認していた.ワタクシの後任の読書委員が誰になるのかは未公表だが,納会では「今後とも理系の科学本をよろしく」と強調した.

大手の出版社の新刊は黙っていてもどこかの新聞で誰かが書評するに決まっているから,あえて自分から手を出す必要はない.ワタクシは選書対象から漏れそうな大学出版会や中小出版社あるいは新興出版社の新刊を積極的に取り上げるよう心がけた.読書委員会では毎回新刊書が並ぶが,それ以外にも読書委員からの自発的な “持ち込み本” が少なからずあり,ワタクシも自分で持ち込んだ新刊を書評したことが何度かあった.

書評本の選択あるいは書評文の内容が読売新聞社の “政治的立場” と矛盾するかしないかが問題視されることもあるようだが,ワタクシが執筆した書評ではその点はまったく問題なかったようだ.たった一度だけ,ワタクシが持ち込んだ:郭怡青(文)・欣蒂小姐(絵)・侯季然(映像)[小島あつ子・黒木夏兒訳]『書店本事:台湾書店主43のストーリー』(2019年6月,サウザンブックス, 432 pp.)の書評に際して,台湾を「国」と呼ぶか「島」と呼ぶかで読売新聞社としての政治的な立ち位置をはからずも垣間見ることになったのはいい経験だった.

この二年間の “書評執筆とらのあな” でしっかり鍛えられたおかげで,ワタクシの書評力は多少ともアップしたにちがいない.新聞書評という字数的にも内容的にも制約の多い媒体の中で(ワタクシが過去に書いてきた雑誌書評とかブログ書評とはちがいがありすぎる),どのように自分の書評文を最適化するかを考えるまたとない機会となった.さらに,各新聞社ごとの書評委員会体制のちがいについても最新情報を知ることができて,とても参考になった.来年出版される拙著:三中信宏『読む・打つ・書く —— 読書・書評・執筆をめぐる「理系」本ライフ[仮題]』(2021年6月刊行予定,東京大学出版会)の書評論の “楽章” では,読売新聞での書評経験を踏まえて書かれた “旋律” も多々含まれている.経験してみて初めてわかる真実もあるということだ.

そんなこんなで,ワタクシにとっての大役はこれにて完了した.まる二年間一度も欠席することなく読書委員会に出席したワタクシにはきっと “エアー皆勤賞” が贈られているにちがいない.読売新聞文化部の読書委員会担当のみなさんにはたいへんお世話になりました.この場を借りて深くお礼いたします.

—— それでは,おあとがよろしいようで.

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