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観
昨日の観の続きでも。今日は元気です。何も解決はしてませんが。しごとの方は今日もまあまあでした。
古い電子辞書で
広辞苑 観
1.見ること。ながめること。
5.真理を観察すること。また、細かな分別心。
(分別 1.心が外界を思いはかること。理性で物事の善悪・道理を区別してわきまえること。)
漢字源 観
1.みる。そろえてみる。みわたしてみくらべる。みくらべて考える。
解字 左側の字(音カン)は口をそろえて鳴く水鳥を示し、そろえる意を含む。見を加えた字で、物をそろえてみわたすこと。
観って観察の観くらいしか前は思ってませんでしたが、仏教の言葉でもあったのです。
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観自在菩薩は、「生きとし生けるもの=衆生の因縁を観、救う働きが自在である菩薩さま」の意。一般には「観音菩薩」の名でしたしまれている。
現実世界を隠遁し、純潔と威厳をたもち高みに独居して超然としている菩薩ではなく、苦楽相いまつこの錯雑とした世界と一体となり、しかもそれを救いとる菩薩である。
そうなんだ、と思ったら、観って言葉がとても大きく広く高いものに感じられてきました。
そうですね。
今までいろんなことがありましたが、年をとるほどに、その本当の奥底の理由、意味を知りたいと思うようになりました。
若い頃は、なんでこんな理不尽な、なんてこんな勝手な、なんでこんなに攻撃的なのかとただ怒りを感じてましたが、たぶんほとんどの場合、そんなふうな表面的な判断で感情をかき乱されててもしょうがないことだったんだと、今は思います。
もちろん、怒っていいと思います。怒りをちゃんと感じないと、ウツになります。
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感じて、それから「観」。
いちいち自覚してたわけではありませんが、いろんな物事に対し、それもだんだん身近なことでなくもっと大きなことも、そうとらえられるように、少しずつなっていきました。
世界は見えているようなものではない。
そうして、身近なハラたつこの現象も、ただこの一つの出来事であるのではない。
そこから先はまたぼちぼち考えます。
この本はCDつきです。サンスクリット語の、歌のような般若心経が、かろやかでステキです。歌えるようになりたいとだいぶ前から思っています。
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