ヒッチハイクと西成と⑤ 2.名古屋駅での出来事「善きサマリア人」

そんなこんなでヒッチハイクを断念し、名古屋駅へ到着したワタクシ。
そしてその名古屋駅で「事件」は起きたのです。
目次
コミュニケーションってなんだっけ?
「善きサマリア人」

コミュニケーションってなんだっけ?

名古屋駅へ到着しました。
鈍行で大阪の西成へ向かおうとしていた矢先、新幹線の改札で何やら人だかりが。

そこで聞こえて来たのは、中国語。そして英語。
自分のスキルでなにか助けになれればと思い近寄ってみると

中国「新幹線の棚に荷物を置き忘れた(英語&中国語)」

とのこと。さらに聞いてみると、その中にパスポートが入っていた、と。
異国でパスポートを紛失するとは、一大事です。

しかし、駅員さんは英語が話せない様子。中国語は言わずもがな。状況がつかめてなかったようです。

私が通訳をはじめ、状況がつかめてきたものの…

駅員さんは意思疎通に「翻訳機(商品名は言いませんが…)」を頑なに使ってました。まあ、翻訳の精度はよろしくありません。が、断固としてその翻訳機を使ってコミュニケーションをとろうとしています。

JRのマニュアルで、そうあるのかはわかりませんが、意思の疎通が取れない場合でもこの「翻訳機」を頑なに使う意義はあったのでしょうか。

絵を描く、お客さんの携帯を活用する、英語ができる人を呼ぶ。
考えられる手段はたくさんあったはずです。しかし、その駅員さんは翻訳機に執着。

駅員さん、コミュニケーションをとりましょうよ。

その人が困っているのは明らかです。意思の疎通が取れないのも明らかです。

果たして、あなたがしていることは「コミュニケーション」でしょうか?

そんな姿に業を煮やし、落とし物窓口まで同行することに。。
この時点で鈍行で行くこと諦め、新幹線で大阪まで行くと決めてました。
疲れてましたし、まあこれも人生かと思ってたので。
事の顛末を最後まで見届けたかった、ってのもあります。

しかし、この窓口もわかりにくいことこの上なし。
数分後、ようやく着いた窓口で待ち受けていたのは…

英語が話せない駅員さん。

しばらくして、英語が話せる上司らしき人が登場したものの…

「日本式英語」を一方的に話していました。
その中国人は理解できていません。
その様子を見ても、一方的に話し続ける駅員さん。

コミュニケーション!!

結局私が「日本式英語」→「英語&中国語」に翻訳?することに。何がなんだか。

終点の東京駅では見つからなかったとのことでしたが、点検で出てくるかもしれないとのことで、明日また駅から連絡することとなり、話は集結しました。

なので、その場を去りましたが、駅員さんたちから「ありがとう」の言葉がなかったな、と。思いました。はい。

その言葉のために奔走した訳ではありませんが、ね。

「おもてなし」、欲しかったなあ…

「善きサマリア人」

さて、この一連のやり取りで頭に浮かんだのは「善きサマリア人」というフレース。

聖書に登場するこの「善きサマリア人のたとえ(詳しくはコチラ)」。

要約すると

・差別されていた「サマリア人」
・差別していた側の「ユダヤ人」
・そんな「サマリア人」が「半死半生のユダヤ人」を助ける
・しかもその助ける度合いが手厚い

というお話です。

この聖書箇所の解釈は様々ですが「見知らぬ人を助ける」ということが大きなイベントとしてあります。

私達は、困っている人を助けるのではなく、その人が知人かどうかで助ける判断をしているのではないか、という。

道端で倒れているのが友人だったら?家族だったら?
→迷わず声をかけるでしょう。

しかし、見ず知らずの人が道端で倒れていたら?
→通り過ぎるかもしれません。

自分がヒッチハイクで助けられたという状況があり、時間的余裕があったからこそ、かの中国人を助けたのかもしれません。

私も見知らぬ人に助けられ、彼らも見知らぬ人に助けられた。

このリレーが続いていけばいいのに、と思いながら新幹線で移動したのでした。

そうして西成の最寄り駅「動物園前」に到着するのです。

続く

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