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「アイドリング、やめてもらってもいいですか」

2019.6.22 Lemi

私は最近、自然の声を聞く練習をしています。

練習というより、集中して自然の声に意識を向けるようにしています。

もともと私は匂いや音には敏感だけど、私が住んでいるところは割と都会寄りだし、自然との繋がりを感じられる生き方をしてこなかったから。

自然を感じるツアーに参加して、涙が出るほど感動した私は、これを日常に取り入れてみようと思った。

最近、本を読むことが好きな私は、大学のキャンパス内で、自然を感じられる、安心して本が読めるテラスを見つけた。

今日もそこで本を読んでいた。

自然をもっと意識するようになってから、鳥のさえずりにもっと敏感に反応し、風が肌に触れる感触を堪能し、どんなに小さくても道端に咲く花に気付くし、木に「ありがとう」と言う頻度も増えた。

そういう場所に身を置きながらする読書は、本当に豊かな時間。

好きな本を読みながら、自然も堪能できる、私にとって宝物の時間。

今日は雨が降ってたけど、講座よりも2時間早く学校に行き、いつものテラスで読書をしていた。雨でいつもの特等席には座れないかな〜と心配していた。テラスには屋根が無かったから。

だけど不思議なことに、テラスは濡れていない。椅子も触って濡れていないか確かめてみた。だけどやっぱり濡れてない。

私はすぐに、木が守ってくれたからだと気づいた。

木が覆いかぶさってくれたおかげで、私は雨でも豊かな時間を過ごすことができた。

雨の音を聞きながらの読書は本当に心地良かった。

私は感情的になり、涙が込み上がるのを感じながら、「ありがとう」と何度も言った。


だけど、30分ほど経ったときだろうか。

2台の車がそこにきて、駐車するのかと思いきや、エンジンを止めずに車の中で過ごしている。

そのテラスの前には砂利が引いてあり、車が停められるスペースがあった。テラスに来た時、車で自然の一部が遮られていたのが気になったけど、ちゃんと駐車してあったし、気にしないことにした。

だけど後からやってきた2台の車の止まないエンジン音が、私に流れていた豊かな時間を遮った。

自然の音が、車のエンジン音で消えてしまった。

雨の音、鳥のさえずり。

かすかに優しく触れる風。

一気に感じられなくなってしまった。

たった、2台の車の音のために。

自然と繋がれた気分だったのに、一気に遮断されてしまった。

「これが、現代社会なんだなぁ。」と思った。

次から次へとやってくる車、高層ビル、自然と遮断されていることに気づかない人、人、人。

これで、自然の音が聞こえなくなっちゃうんだ、風も感じられないんだ、繋がりが感じられないんだ…。

すごく悲しくなった。

豊かな時間を遮られて、自然から遮断されてしまった気分になった私は、エンジンの音に耐えられなくて、中の人に声をかけることにした。

「すいません、アイドリング、やめてもらってもいいですか」

威嚇でもないし、命令でもないし、お願いしてみて、相手の反応を伺った。

すると「あ、すいません。すいませんねぇ〜。」

と、怒った様子はなく、車を移動してどこかへ行ってしまった。

私はそこから移動してと言ったつもりはなかった。エンジンを切ってほしかっただけだ。

もしかしたら、私の言い方が間違っていたのかもしれない、と反省し、安心して読書に戻ろうと思ったのもつかの間、またエンジン音が聞こえた。

どうやらその車は、大きな木の反対側に移動しただけらしい。私から見えないところに移動しただけ。この人、ちょっと、ずるいなぁ。

相変わらずエンジン音は聞こえるし、嫌な気持ちになった。

そうしたら雨が強くなってきて、本にも水滴が落ちてきた。

私も潮時なのかなと思い、その場を後にした。

どちらにせよ、私は音に敏感だから本に集中できないだろうし、雨が弱まるのを待つ気はなかった。


他の場所へ移動したが、私にとってあのテラスは、キャンパスで唯一、安心して自然を感じられるところだった。


「自然を感じたいので、エンジンを切ってくれますか」

「エンジン音で自然が遮られてしまうので、切っていただけますか」

「鳥の声が聞こえないので、エンジン止めてくれますか」

と言うべきだったのか。


それを言ったところで、私は変人扱いされるだろうし、その人は理解しようとしないと思う。


みんながもっと、自然を感じられる世の中になってほしい。

私ももっともっと、全身で自然を感じたい。





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