映画『バーニング』(監督 イ・チャンドン、原作 村上春樹)
本作の原作である村上春樹の『納屋を焼く』や、同作で村上が影響を受けた(?)といわれるフォークナーの作品も読んでないので比較はできないが、本作だけの感想を書いてみよう。
捉えどころの無さを極めたような作品だ。しかしある種の人間の内面をハッキリと提示している、と私は感じた。その描き方が文学的なので惑わされるが、言わんとすることは腑に落ちた。
ウェルメイド作品では描かないであろうシーンの数々。しかしウェルメイドのテンポは踏んでいる。最も映えるポイントは含めながらも、普通は焦点を置かないであろう周辺をじっくり拾い集めた映像。でも間延びせず、むしろ魅力的で流麗。そこがカンヌ常連、イ・チャンドンの武器だろうか。(過去作はうろ覚えだが)
世界に名だたる巨匠に対して、武器とは失礼かもしれないが、当方、映画を撮る人間の端くれ(の端くれ)として、そこは常に「偵察」している。あわよくば盗んでやろうと。(笑)
どんな名作でも、作為がある限り、必ず「あざとさ」はあると個人的には思っている。38度線近くの村で北からの宣伝放送が遠くに聴こえるとか秀逸なあざとさだなと。良い作品であるほど、そこをいやらしく見極め、同時に刺激されたいのだ。
作中、主人公はフォークナーの作品を読んで自分のことだと思ったと言うが、私はドストエフスキーの『地下室の手記』を読んで、(主人公の知能の高さ以外は)余りにも昔の自分に似ているように感じて恥ずかしくなったことがある。俺は人間のクズだなと。(笑)
架空であれ、実際であれ、自分に似た人物を前にすると居心地が悪くなる。後者であれば、似ていると感じる前に嫌いになる事もあるのではないか?もちろん好きになることもあるが、とにかく無視はできない。本作の主人公と、ベンという名の一方の男も、どこか似た者同士であり、良くも悪くも共振する。
本作はキャスティングが良い。ヒロインの軽やかさと妖しさ、ベンの捉えどころの無さ、主人公(ユ・アイン)の下手したらミスキャスになりそうな危うさを孕みながらもそれが絶妙に良いというハマり感。良いバランスだなあ。イ・チャンドンは人をよく見てるなと思う。ビジュアルや佇まいも含め作品の世界観にマッチしている。
ただ、観終わってからずっと虚しさのような後味が残る。映画ポスターにもある通り、たしかに衝撃のラストなのだが、粗筋の話ではない。ただ空虚なものが残る作品だった。良い意味でも、悪い意味でもなく。
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