韓国映画『暗数殺人』(암수살인) 〜題名と演技と遺族の心中〜
原題は『암수살인』。直訳すると『暗数殺人』というタイトルになるが、日本語にドンピシャで該当する言葉はなんだろう?
韓国では、「被害者はいるけど、被害届も捜査もない事件」を指す用語らしい。本作は実際の事件を題材にしている。
キム・ユンソク演じる刑事が、収監前に情報提供元として接触のあったチュ・ジフン演じる被疑者から、他にも7人殺したと告白される。告白といっても良心からのそれではなく、何らかの思惑があって刑事を誘導するため告白したと思わせる被疑者。粗暴で、癖が強く、常に人を落ち着かなくさせる被疑者だが、頭は良い。
チュ・ジフンはこの役を見事に演じていて、なんとも言えない「説得力」があった。とにかくこいつに近づくとヤバイなという雰囲気を全身で醸し出している。暗い目、言葉と身体の微妙にアンバランスな動き、一般的な人間と明らかに違う目線と動線。かと思いきや、嬉々とした目ではしゃぎ、刑事に笑いかけ、次のシーンではまるで被害者のように振る舞う。『イテウォン殺人事件』でチャン・グンソクが演じた被疑者と通じるものがある。どちらも特殊な狂気をまとっている。
対するキム・ユンソク。もうこちらは大御所。あの物憂げな、潤んだ眼差しを向けるだけで、どんなシーンも特別なものにしてしまう。何かの写真でプライベートのキム・ユンソクを観たことがあるが、そのギャップに笑っちゃうぐらい平凡なおっさんなんだけど…やっぱ役者ですね、スクリーンに映える役者。というか、『チェイサー』で犯人を追う元警官(→ポン引き)の役を演じたことだけでも、本作のこの役をやる名分が十分すぎるほどある。私の一推しの役者さんです。
ちなみに本作は実際の事件における描写を同意なく使用したことで、被害者家族から上映中止の訴訟を起こされたようですが、その後制作側が謝罪したことと、あることがあって和解したようです。この件だけでなく、実際の事件関係者などに取材した記事によると、映画と実際では事実関係の乖離が少なからずある模様。演出上の事情というのもあるんだろうけど、これはこれで難しくところ。
殺人事件というのは、どんな事件でも遺族にとっては辛いものですが、それが殺人だったと分かるまでは、家族の行方が分からないという過程がある。なぜいなくなったのかが分からないというのは、それはそれで辛い。作中で、被害者女性の息子(当時高2)は、自分にとって唯一、一緒に暮らす家族であった母が失踪した後も被害届を出さなかった。なぜ出さなかったのかという裁判長の問いに、自分を捨てたのかという思いがあったという趣旨のことを答える。言葉を失くすシーンでした。
そして、実はこの息子さんが、今回の声明を発表したことで、上映中止が回避されたようです。曰く、誰も関心を示さなかった母の失踪を、この刑事だけは最後まで捜査をし、ついに解明した。自分には今3歳の娘がいるが、この子が大人になるころには、より安全な世の中になってほしい。そのためにも、(他の遺族の心情は痛いほど分かるが)上映してほしいとの言葉。
日本での公開がいつになるか、邦題がどうなるか現段階では不明だが、このような作品があることをぜひご記憶いただけたら幸いです。
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