あの頃
1984年、福岡・メタル事情ひとり語り
はじめに
みなさん、こんにちはこんばんわ。
これがnoteに記す初めての文章になります。
それにしても、noteは面白い。僕は他でも文章を書かせていただいているが、記事の手触りが明らかに違う。
気になった記事を全部読ませていただいたわけではないのですが、本当に好きで書いている感がヒシヒシと伝わるんですね。当たり前だけど広告も無いし。
もちろん収入の一助として文章を書くのが悪い事だとは思いませんが、僕個人が読みたいのは『超楽ショー!あなたの文章でも高収入!』とか『ステキに歳を重ねるために、あのひともやっている!今やらいでか50のこと』とか『ひと手間でいつものお弁当が激変!家族が激震する感動のお弁当』とかそんなんじゃなくて、もっと博覧強記を惜しげもなく垂れ流すような損得関係なしのものなんです。(もちろん上記のような記事を書いている方々を否定するつもりはありません)
「そんな文章がオメェさん書けるのかい?ええ!」
「・・・」とにかくはじめてみます。
とりあえず、ここから
そうして意気込んだものの、何を書こうか迷うわけです。
生来のヲタ気質。書きたい内容はそこそこあります。しかし群雄割拠のnote、僕の好きなジャンルにおいても、すでに素晴らしい作品が、きら星の如く存在します。しかし、一度書くと決めた以上、引き下がるのも業腹。
で、迷ったのですが今回は音楽の事を書いてみます。今回は僕が洋楽に惹かれ始めた、あの頃から。
1984・福岡 深夜
僕が本格的に自分でお金を出してレコードを買い始めたのは、中学生の頃。もともと家では幼少のみぎりより日中ずっとラジオが流れていました。そのせいで、洋邦問わずに音楽を耳にしていたわけです。
世はMTV黎明期。ここ福岡でも洋楽を扱うラジオやテレビのプログラムが、数は少ないもののありました。そこでさらに洋楽への嗜好が加速します。デュランデュラン、カルチャークラブ、ワム、クリストファー・クロス、ビリー・ジョエル、シカゴ…トップチャートを賑わすアーティストたち。
その中にはのちにL.A.メタルとカテゴライズされてゆくラットやモトリー・クルーなんかもいました。しかし、僕のこころをガッチリと掴んだのは稀代の名盤、『パワー・スレイヴ』をリリースしたばかりのアイアンメイデンだったのです。
かつてのイギリス首相ウィンストン・チャーチルの演説に導かれて始まるナンバーですが、当時、福岡で深夜に放送していた音楽プログラム『ナイトジャック福岡』の新春スペシャルか何かで観ました。番組は本来ならば毎週土曜12:00〜1:00の1時間のところを、その日は枠を拡大して明け方まで放送していました。
おそらく明け方4時か5時だったと思います。寝落ちして不意に目が覚めた時にくだんのチャーチルの演説が流れ始めたのです。戦闘機とパイロットたち、そしてチャーチルという構図のモノクロの映像、そこから一転して切り込んでくるライブ映像。15歳の子どもの寝ぼけた頭をブッとばすには十分すぎる衝撃。「これは何や?デュランデュランともカルチャー・クラブとも違うやん。この音楽は一体…そして彼らは誰なんや?」
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1984・福岡 天神
今ではかなりメジャーになりましたが、福岡の文化の中心地は天神地区です。
昨今の『天神ビッグバン』の影響で建物の解体、新築が進んでおり、現在の賑わいはどちらかというとJR博多駅を中心とする博多地区の方に傾いていますが、それまでは天神が福岡の文化の中心でした。
今はもう解体されてしまいましたがそこに、MMTビルと言う建物がありました。1984年当時はまた違った名前だったかもしれません。建っていた場所は間違いないのですが。そう、天神コアの裏です。
そこには1階にはYAMAHAが入っており、当時最新機種だったDX7を触ることもできました。他にも高中正義さんモデルのSGやベースのBBなんかもあったりして、(確かTHE ALFEEの桜井さんも当時手にしていたはずです)楽器に興味を持ち出した僕もよく通っていました。そのビルの5階に『BLACK』と言うロックファションの店がありました。
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1984・異界へ
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「ああ、あれはアイアンメイデンや。ほらここに載っとる」
クラスメイトのSくんは、なかなかの洋楽通で、当時発売されたばかりのBURRN!をこっそり学校に持ってくるようなヤツでした。確かオジーとジェイクが表紙の創刊号だったような。そこにアイアンメイデンがいました。
Sくんの熱意のこもった指導により、アイアンメイデンの基本情報を身につけた僕は、初めて『BLACK』に足を踏み入れる決意をします。
ーあそこに行けば、もっと何かわかるかもしれないー
その『BLACK』ですが、ビルの最上階、(確か5階だったと思います)にあって常に大音量にロックミュージックが流されており、BLACKだけに黒を基調した仕様でガラス張りと言う、当時の普通の中学生にはかなり敷居が高い店でした。大げさに言うなら魔境、と言ったところでしょうか。
意を決して中に入ると、マイケル・ジャクソンがスリラーのPVで着ていたスーツがあったり、(当たり前だけどコピー)鋲が打ってあるリストバンド、ネックバンド、ビリビリに裂かれたジーンズ、おどろおどろしい配色のTシャツ、これぞロック=不良の音楽、そしてファッションと言うアイテムで埋め尽くされていて、トドメには、かったるそうなライダースのチャンニー、ケバケバしいホットパンツ(死語?)のチャンネーがいる。そこにたった一人の僕です。よく行ったな。
チャンニーもチャンネーも、最初にちら、と見ただけで何もない。いらっしゃいませも、当然ない。僕はとにかくテキトーに店内を見て出よう、と思いました。まあ当然ながらどれも中学生に手の出る値段ではない。さあ、帰ろうと思ったところに、缶バッチが視界に飛び込んできました。引きちぎったような紙切れに手書きで300円と書かれたプライスカードがあり、アーティストの顔写真やレコードジャケットをあしらったものが、所狭しと並べべてあります。その中にはアイアインメイデンのデザインもありました。僕は一つを手にとってチャンネーのいるレジに向かいました。威嚇する蛇のデザイン。僕が買ったのはアイアインメイデンではなく、聴いたこともないホワイトスネイクのものでした…
多分エディよりも蛇がカッコよかったんでしょう。
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1984・未分化でこそのロック文化
だらだらと書いてしまいましたが、そろそろまとめないと。
1980年代中期、地方都市である福岡と首都である東京との差は今よりも、まだまだ大きかったはずです。当時の東京の状況は分かりませんが、本来なら、カテゴライズされるべきロックミュージックはひとくくりにされていたのではないでしょうか。地方ではそれがよりカオティックだったはずです。
現在は総合チャートもある一方、カテゴリ別のチャートもあります。もちろん、それぞれのカテゴリのミュージックの弾数がまだまだ少なかったと言うこともあるのでしょうが、ある意味おおらかでもあったわけです。
『BLACK』なんかはその典型だった。情報の供給が少ない地方都市では、洋楽というカテゴリではマイケルもメイデンも一緒だった、カッコよければ、すべてよし。素敵ですね。
これから
これが僕の最初のnoteの文章になります。今回は僕自身の洋楽黎明期を書いたつもりです。もし最後まで読んで頂けてたら、ありがとうございます。
これからは、もっと細かい音楽のことを書いて行けたら、と思います。
僕のCD棚の8割はメタルなので、どうしてもそこいら辺が中心になるかな。まあ先のことは分かりませんが。またよろしくお願いします。