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今日覚えたい文法

Le temps des cerises の歌詞の解釈

Quand nous en serons au temps des cerises
Gai rossignol, merle moqueur(冠詞がないのは気になさらずに)
Seront tous en fête

quand:「〜の時には、〜の頃には」
en serons à:昨日の記事に書いたように、「流れがあってその途中の位置」を表すのです。私たち(nous)が季節が移り変わって(en)さくらんぼの季節になると(serons au temps de cerises)

「流れがあって未来に季節が春になると」ということは、今は違う季節なのです。春を待っている秋や冬というふうに考えるのが自然でしょうか。
ここでは単に今は冬であるということだけではなく、gai rossignol や merle moqueur で「陽気な春=心待ちにしている春」を表現しているように感じられるのです。

Gai rossignol, merle moqueur(冠詞がないのは気になさらずに)
Seront tous en fête
陽気な鳥たちが、
みんな浮かれ出す(歌い出す)

オリジナルと言われている歌詞
Quand nous chanterons le temps des cerises
Gai rossignol, merle moqueur(冠詞がないのは気になさらずに)
Seront tous en fête

私たちがさくらんぼの季節=春を歌うころになると、
陽気な鳥たちが、
みんな浮かれ出す(歌い出す)

これだと、今の季節はわからないし、春を待っているということがイメージできないのです。

春になると鳥たちが歌い出す(quand nous en serons au temps des cerises…)はイメージできるのですが、まず私たちが歌うのがありきで、それを聞いて鳥たちが楽しげに騒ぎ出すのもなんだか変な感じがします。
そうでないにしても、私たちは鳥の様子を見て春の到来を感じて、それから楽しげに騒ぎ出す、という順番の方が自然な気がするのです。

ぼくの解釈は「細かする、狭すぎる」のかもしれませんが、このようなことが、ぼくが歌詞を若干不自然であったり気持ち悪いと感じたところなのです。

Quand nous en serons au temps des cerises
さくらんぼが実る頃は

この en を正しく読み取るか否かで、季節の流れを感じるかが変わってくるのです。

ご参考まで

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