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中川努

1995年1月17日の午前中、稀代のフランス語教育者がひとり、兵庫県の西宮北口駅近くの小さな文化住宅(ハイツという名前だったようです)で旅立ってしまいました。
(午前中と書いたのは、「朝早くはうめき声が聞こえていた」という近所の人の話を今思い出したからです)

まあこの年になると、袖をすり合わせた人が数多く先に逝っています。
父、おじ、友人、生徒…

その中で「今誰と会いたいか、誰と会って話したいか」と問われれば、間違いなく中川努を選ぶでしょう。(父親という選択肢と悩むところですが、あの人は「俺はいい」と言うだろうから、また今度です)

もっとたくさん話しておけばよかった、そんな後悔ばかりです。

いつも鍵束をジャラジャラつけて、颯爽と文学部内を駆けずり回っていた中川さん。
市ヶ谷のお家に呼んでくれて、美味しいご飯を食べさせてくれた中川さん。
焼き豆腐と呼んでいた、ボロくて白いライトバンを運転していた中川さん。
習ったこともないのに英語が話せた中川さん。

憧れていたんです。

ぼくにフランス語学校の受付のバイトを紹介してくれた中川さん。
「頼むから授業に来てくれ、単位をあげられないから」とバイト先まで来て伝えに来てくれた中川さん。
Raoul Brun という若いフランス人を紹介してくれた中川さん。

本当にあなたのお陰なんです。

Raoul が実家に一月ほど居候をしていたことが、今のぼくのフランス語原体験なのです。

(どこかで書いたかもしれませんが)
1985年入学のフランス文学科の学生の中で最悪の劣等生のぼくでも、多少は覚えているフランス語のフレーズもあったのです。
「使えるフレーズを覚えさせる」教育を実践したのは中川さんだったので。

(第三書房から出版されていた「話せる!音読フランス語200文」を参照。)
https://www.maruzenjunkudo.co.jp/products/9784808621988

Raoul に "Il est 7 heures, réveille-toi !(7時だよ、起きて!)" と言ったら、 "Déjà !?(えっ、もう!?)" と慌てた返答があって布団がめくれ上がった時の感動は忘れません。
「フランス語通じた!」の原体験なのです。

ねっ、あなたのお陰でしょ。

この時代、中川さんだったら何をしているんだろう。
コンピュータを駆使して、ぼくでは思いつかないようなことをやってのけているんだろうな。

その横で「中川さん、こうしたほうがいいんじゃない?」と言ってみたかった。
その横で「中川さん、このあと飲みに行かない?」と言ってみたかった。
その横で「新しいアプリがあるんだよ、えっ、知らないの?」と言ってみたかった。

書き出すと思い出が尽きないけど、とにかく!

感謝しているよ。

そうだ、「先生にヘイコラしなくていい」と教えてくれたのも中川さんだった気がする。

今だからわかるのです。
教師なんて偉くもなんともないのですね。
だから「先生」なんて呼ばせない、呼ばれたくない。

そうだよね、中川さん!
いや、NAKA !

またいつか!
さほど遠くはないと思うよ。

志水淳

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