実在

自分とこの世界が実在していることを感じられること。
わたしの基本的なしあわせとしてある。

離人症で体験した症状。
自分だけがいない、あるいは、自分しかいない世界が代わる代わる切り替わる。
目の前のモノもヒトも、奥行きがないハリボテのようで、生気がない、実在感がない。
自分と、世界が実在してると感じられない。あまりにも奇妙。

あれがおそろしくて、もう味わいたくなくて。
ただ世界が実在してるって感じられればいい。
ほかのことはプラスαのようなもの。
そんな感じすらする。

でも、この世界が、実在しないこと、夢のように儚く実体のないものであってほしいと、私は望んだんだってこともわかっている。
千と千尋の神隠しにあるように、「これは夢だ夢だ」って願った。

夢を見ていたかった。
イメージの世界に住まう住人だった。
現実逃避しないと心が完全に枯れてしまう気がしたからだと思う。
そこでないと息が吸えなかった。

そのことと症状はなにか関係があるのだろうか。
いまだによくわからないのがくやしい。

そんな経験を経て、実在を感じられるだけでしあわせを感じるようになった。
それはまあいいとして。
苦労はしあわせのための糧、というアイデアがあるけど、どこか抵抗を感じるのだよね…
否定したいわけじゃないけど。そう思えたならいいじゃんね。

私の苦労の意味づけを他の誰かにされたくない、私の苦労は私だけのものだ。という感じ?
これも我執なのかな。小我が苦しみを生んでいるだけなのか。
でもあるもんはある。
まあ、意味づけされちゃったって意味づけたのは私なんだけども。

あるいは、苦しみが苦しみのままあることも認めてほしいのかな。苦しみをしあわせに繋げないといけないのはしんどい。
なにかこうしないといけないと思うこと自体がしんどい。それなんだろうな。
だから、苦しみはしあわせにつながり得る、くらいゆるくしときたい。

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