「指導の矛盾」を受けとめる
率先垂範を大事にしていた時期がありました。
「子どもに言っていることは、自分も行う」ことを徹底していた時期がありました。
これは、ある部分では合っていたし、ある部分では間違っていたと今では思っています。
まず、この考えを裏返すと、「自分ができないことは、子どもに言わない」となります。
そうすると、子どもの可能性を奪うことにつながりかねません。
自分ができなくても、子どもができることは無限にあります。
ここで、「子どもができることを、自分もできた方がよいか」という論点が出てくるかもしれません。
私の考えは「できた方が良いことに越したことはないが、できなくて構わない」です。
なぜなら、子どもは社会参画のために、一人一人は違う人間であるということを、同世代の世界だけでなく多世代の中で認識する必要があるからです。
「先生」――子どもより先に生まれた人は誰しも――は、子どものあこがれの存在でありたいものです。
だけど、できることとできないことがあります。
それを、どこかで分かってもらわないといけないというのが今のところの結論です。
これは、集団生活に伴う指導や「〇〇スタンダード」のような指導に対して、時として矛盾します。
この矛盾を変に正そうとするのではなく、目をそらすでもなく、まずは受けとめること、自覚することが大事なのではないでしょうか。
そうすると、自ずと言葉や指導に誠実さが宿ってくるように思います。