「リーダー」という肩書が意味するもの
「この組織の新しいリーダーシップアポイントメントを発表します」
「この度このチームのリーダーを拝命しました」
「私ははやくリーダーになりたいです!」
このような話は巷でよく見かける。よく、どころか日常的に見かける。別に日本独自ではなく世界的にそうだ。しかし天邪鬼的に言わせてもらうとこれらは全て違和感を感じる言葉だ。なぜならばここではリーダーが「肩書」として語られているから。
肩書としてのリーダー
「え?リーダーは肩書でしょ」
「当たり前のことじゃない、どこが変なの?」
この反応も普通だ。実際会社組織において「リーダー」という肩書はあまた存在する。よく見かけるのは、管理職(マネージャー)の一歩手前の役職として設けられるものだ。または、ITプロジェクトなんかだと「プロジェクトマネージャー」の下に数人の「チームリーダー」がいて、各チームを率いる、という階層構造を持っていることも多い。だから、「マネージャーとリーダーとはどう違いますか?」と質問すると、結構よく帰ってくる答えは「リーダーはマネージャーのひとつ下の職責です」というものだ。それを否定するつもりはない。だって事実そうなっているのだし。
肩書じゃないリーダー
ただ、、、私がここで言いたいのは、言葉の元の意味を考えると、本来的にはリーダーというのは肩書じゃないんじゃない?ということだ。それは例えば、こういう言い方をしたら感じるだろう違和感と同じだ。
「うちのチームのエースストライカーとしてXXさんを任命しました!」
「明日から、彼が我が部における『優しい人』なので以後よろしく」
どうだろう。エースストライカーとは任命されるものだろうか?優しい人とは指名されるものだろうか?おそらく違うはずだ。エースストライカーとは試合で最もたくさんゴールを奪ってくる人のことだし、優しい人とは、優しいことをしてくれる人だから優しい人なのであって、任命されたから優しくなるわけではない。
リーダーだってそれと同じではないだろうか。つまり、リーダーとはリードする人なのであって、日頃ある領域をリードしている人が結果的に「リーダー」とみなされるものなはずだ。
ここに前回述べた逆転現象が存在する。本当は、「リーダーがリーダーシップを取る」のではなく「リーダーシップを取っている人がリーダー」なはずなのだ。
リーダーシップを発揮するリーダー
さて、ここでこう思うだろうか。
「なんで逆ではだめなのか?リーダーという肩書をもってリーダーシップを発揮することになんの問題があるのか?」
いや、なんの問題もない。本来、リーダーがリーダーシップを発揮してくれればそれでよいのだ。しかし、もう少し解像度を上げて議論してみたい。
まず「リーダーがリーダーシップを発揮してくれる」これは常だろうか?率直に言って私の経験では、任命されたリーダーがリーダーシップを発揮できるかどうかは結構微妙だ。リーダーシップを発揮することが求められるということと、それができるということは別問題だ。
もう一つある。肩書が持つ権限(人事権や評価権、命令権)を行使することは、リーダーシップの発揮と言えるだろうか?私にはそれはただの業務にしか見えない。逆に言えば、リーダーシップとは、権限によらずに人に影響力を与えるものだ。
こうなるとなんだか皮肉な感じもしてくる。「リーダー」という肩書を持ち、権限に頼って「リーダーシップ」を使わない方々は、一体どのような存在なのだろうか??もしそのようななにものかが率いている組織がうまく回っているのだとしたら、おそらくはチームの中に、本当のリーダーシップを発揮して組織を回してくれている隠れた「真のリーダー」がいるのだろう。
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