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リーダーシップは行動だとするならば、なんの行動がリーダーシップなのか

先日、リーダーシップとは行動である、なんていうお話をした。なんとなくなにかわかったような気がする結論だが、実はここまでではまだ肝心なことに全然触れていない。リーダーシップ論とは「どのような行動がリーダーシップなのか」という議論なはずだ。しかしまだ「どのような行動」なのか、何も話してない。なので今日はそのお話。

フォロワーだってリーダーだ

以下のTEDをご覧になられたことがあるだろうか。デレク・シヴァーズ氏の非常に有名なTEDだ。あちこちで引用されている。私もこれまでに何回引用したか覚えていない。

このTEDではこんなことが語られている。

  • 一人目に踊りだす人はリーダーだ。しかし、それだけでは社会変革(みんなで踊る)には至らない

  • みんなが踊るようになるようにするためには、実は二人目に踊りだすフォロワーが重要だ。二人目が踊りだすことによって、三人目が生まれ、四人目が生まれる

  • みんなリーダー(一人目)を過大評価しすぎだ。全員がリーダーだというのは違う。フォロワー(二人目)の重要性に目を向けよう

私は「全員がリーダー」で構わないとおもっているがこれはただの言葉の定義の違いだけで、本質的なこと(一人目だけでなく二人目も大事)については完全に賛成だ。ただ、ここではシヴァーズ氏の語る学びとは違った形でこの現象を眺め直してみたい。

私がこのTEDが好きなのは、これがまさに「リーダー論」の混乱を示しているもののように思えるからだ。それを端的に言えばこうだ。「二人目だってリーダーシップを発揮していると言えるんじゃない?」

リーダーシップ行動とは何をすることか

なんでこんなことが起こるのか。リーダーとフォロワーといえば対義語のはずだ。でも、フォローするという行為がリーダーシップを発揮しているように見えるというのは何なのか。

この混乱を収めるためには、やはり「リーダーシップ行動とは何なのか」に向き合うしかないだろう。まずは、誰にとっても異論はないだろう「最初に踊りだした人」の行動を掘り下げてみる。

彼は、芝生の上で日光浴をしているうちにふと「みんなで踊ったら楽しいだろうな」と思いついた。そして、その思いつきを実現するために、「踊りだす」ということをした。

この2つをもう少しそれっぽく言うならば、「みんなで踊る」というビジョンを描き、そのビジョンの実現のために「自ら踊って周囲を鼓舞する」という、影響を及ぼす行動を取ったということになる。

もう一段抽象化しよう。彼がとった行動は、こう言えるのではないだろうか。VisioningとInfluencingである、と。

Leadership = Visioning × Influencing

このように仮説を立ててみた。さて、この仮説はどこまで有効だろうか。どこかで反証されるだろうか。ひとまず手近な事例に当てはめてみよう。先程の「二人目」だ。

二人目は何をしたか。もちろん踊りだしたのだが、どうして踊りだしたのか。もしかしたらただ踊りたかっただけかもしれない。でも、敢えてここは社会変革へ向けて意図した行動であるという前提で考えてみよう。

二人目は、踊っている一人目を眺めただろう。そして、なにかを考えたはずだ。それはこのようなものだったかもしれない。「なるほど、今踊っている人は一人だけだけど、彼はどうやらみんなで踊りたいようだ。私もみんなで踊る光景を見てみたいものだ」。これは、彼が自分の頭の中でVisionを形成していることを意味するだろう。

次に、彼はVisionを頭の中で味わうだけではなく、そのVisionを実現しようと考えた。どうやって?もちろん、踊りだす二人目として。これは、更に他の人を踊りに誘おうとするInfluencingそのものだろう。実際に彼はInfluencingに成功し、三人目、四人目を獲得した。

こう考えるとどうだろう。二人目がしたことも、完全にVisioningとInfluencingだ。一人目をフォローしたフォロワーであることも間違いないのだが、それと同時に、社会現象を生み出す過程においては彼もリーダーシップを発揮したと言っても何もおかしくない気がしてくる。

仮説検証の旅へ

少々拍子抜けしただろうか。「リーダーシップ行動とはなにか」なんて、そんなに一言で片付くわけがない、もっとはるかに複雑な仕組みなはずだ、そんなふうに思われていただろうか。そうかも知れないし、そうではないかもしれない。でも何も手がかりがないままでフラットに考えてみても始まらない以上、一旦はこの仮説(Leadership = Visioning × Infuluencing)を使って検証をしていくのはどうだろう。

おすすめの使い方は、あなたがこれまで経験したリーダーシップ(自分自身のエピソードでもいいし他人のエピソードでも構わない。または本で読んだ偉人のエピソードでもいいだろう)をこの仮説で持って分析してみることだ。もしそこで違和感が出てくればこの仮説は違っているかもしれない。私は今の所この仮説を反証できる事例には出会っていないが、それは私が触れた事があるリーダーシップが限定的だからかもしれない。

ちなみに、Leadership = Visioning × Influencingだ、という仮説がすごく腹落ちしてしまった方がいるとしたら、ぜひそこで止まらないでいただきたい。実はまだこれはリーダーシップ論の入り口に過ぎない。なぜなら、VisoningとInfluencingでリーダーシップ行動を分解して説明することは可能かもしれないが、Visioningの仕方もInfluencingの仕方も非常に多様であり、結局の所それでは「使えない」からだ。

リーダーシップ論を深めたい方は普通、自身でリーダーシップを発揮したいという願いを持っている方だろう。であれば、「使える」理論であることが重要だ。よってこの先はVisioningとInfluencingの中身に分け入っていきたい。

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