見出し画像

最初のカウンセリングと、2回めのカウンセリング

(6月ごろ)

最初のカウンセリングと、2回めのカウンセリングは自己紹介のようなものだった、もちろん予想していたので、準備もしていった。(聞かれるであろうことについての答えを)。

カウンセリングルーム、準備、そして

精神科受診の際は、診察室の扉は開けたままにされるけれども、カウンセリング室はそれよりももっと狭く、簡素で、そして扉はしめられる。わたしの場合、カウンセラーは艶の良い髪を持った女性で、眼鏡をしていて、きゃしゃな感じがした。丸い小さなテーブル(上に、小さなカレンダー、小さな時計、カウンセラーのノートパソコンと、ボックスティッシュが置いてあった)、椅子が3脚、BGMはなし。窓があって、ブラインドも閉じられていた。

最初のカウンセリング

①何に困ってここに来たのか(1)眠れないこと、思うように食べられないこと、思っていることとしていることが違うように感じること、②それから他の何か(2)何か、基本的なことを聞かれたような気がするけど忘れた、③いま一人で暮らしているのか、仕事をしているのか(3)家族と暮らしている、家族は夫と娘がひとりずついる、週に3,4回仕事をしている。

ということを話すと、既定の30分(ここでひとりに与えられる時間は30分と決まっている)を超えてしまい、次のカウンセリングの予定を決める。

2回目のカウンセリング

3週間後に行われた2回目のカウンセリングでは、

①前回カウンセリングをしてからどうですか(1)あまり変わりなく、眠れず、食べられず、心身はちぐはぐな感じがする。

と話したあと、もう何を話したのかよくわからない。よくわからないが、1回目と2回目の間の3週間に起こったこととそれについて感じたことを少し話した気がする。

カウンセラーはわたしが言葉を探しているとき辛抱強く待つ。でも待たないでほしいと思う。探られているような気がしてあまり心地よくなかった。ということは、カウンセラーにも伝わっていたような気がする。

それから、カウンセラーはわたし自身が彼女にするのと似たような声の大きさとテンポで話をする。

わたしはカウンセラーと話すとき、そのほかのすべてのときとは全然違っていて、声は小さく、覇気がなく、その速度もとても遅い。言葉につまって、行ったり来たりするし、できるだけ齟齬がないように、すごく一文が長く、説明的になる。できるだけ間違いが無いように注意深くすべてを説明しようとする。つまり、何がどのように起こって、どのように感じ、どう考え、その結果どういう風に行動したのかを。

だから多くのことについて話をすることはできない。少ない事柄について、細部まで、きちんと器を作り、なみなみと注がれた水をこぼさないように注意しながらカウンセラーに渡そうとする。

彼女もそれを受けとろうとしてくれているのは感じているが、でもお互いにまだどこにいるのかわからない。それでカウンセラーはわたしの体の向きや、居る場所や、器のかたちや、大きさを知ろうとしている。

2回目にわたしにわかったことは、彼女がわたしから何かを受け取る準備をしているということだった。彼女がわたしから何を知ったのか(何を知ることができなかったのか)はわからない。

取りとめもなく話して、そしてまた2週間後に3回目のカウンセリングをすることを約束して、終わった。

1回目と2回目のカウンセリングが終わったあと

カウンセリングルームを出たあとは、会計まで待合で待つ。そこは併設の精神科の待合と同じ(つまり、入り口を入って右が精神科の診察室、左がカウンセリングルームということ)で、いつも混みあっている。

カウンセリングが終わったあとで、わたしの顏は汗となみだでひどい具合だし、いつも同じいらいらするようなクラシック音楽が流れているし、そしてこのあと泥のように疲れてしまうことも、でも歩いて帰らなければならないこと、娘の夕ご飯を作って食べさせなければならないこと、部屋の掃除もすべきだし、明日の朝起きて仕事にいくために、きちんと眠らなければならないこと、がとめどなく思い起こされて、とにかくもう疲れた。

わたしがせめて家につくまではなにも考えませんように、と思いながら支払いを終えて、歩き出すとき、この混乱はまだ始まったばかりなのかもしれない、とわかっていた。

いいなと思ったら応援しよう!