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さようならCPを観て

なぜ1972年に公開された映画を2019年のいま視聴したかというと、とある飲み会での会話がきっかけでした。
就労支援基礎講座や障がい者雇用セミナーでご一緒させてもらっている社会福祉法人北摂杉の子会ジョブジョイントおおさか所長の星明聡志さんに機会を作っていただき、同社会福祉法人の松上利男理事長と社会福祉法人加島友愛会の酒井大介専務理事と星明さんと4人で沖縄料理店(2件目)で飲んでいました。

話の経緯は忘れましたが、酒井さんから「志村くん、この仕事してんねやったら『さようならCP』はみとかなあかんで!」と言われたことが非常に印象に残っており、すぐに「さようならCPを観る」とリマインダーに入れました。

そしてようやく今日、関西空港から那覇空港までの移動時間を活用して視聴することができました。

以下、僕が視聴して感じたことを箇条書きしました。

〈感じたこと〉
・人は自分(もしくは環境)と比較をして、可哀想だから手助け(募金)をする
・脳性マヒがあっても家庭を持ちたいし、子どもを産んでいいし、それを本人たち以外の人間が壊してはいけない
・横田弘さんは社会との関わりを積極的にとる努力をした
・たくさんの子どもが脳性マヒの当事者を見て関わりを持とうとした
・変な目でみたり、邪魔者扱いをしたのは大人だった
・脳性マヒの方々が社会と関わりを持ち続ける原動力は親御さんの愛
・タフな親御さんの努力が今の障がい者の権利擁護に繋がっていると感じる一方で親御さんが人一倍頑張らなくても良い社会であるべきだと思った
・人に迷惑をかけてはいけない社会ではなく、迷惑をかけ合いながらそのときそのときで余裕のある人が助けてあげられる社会の方が良いのではないかと思った
・活動をした結果、上手くいかず無力感に苛まれたシーンで共感を覚えるのは、全力で活動をしたことがある人だけだと思った
・この作品を世に出した原一男さんという方は後世にバトンを繋ぐ、すごい功績を残したと思った(憧れた)

さようならCP

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