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Lean In✨活躍女性インタビュー【No.1 張ロウさん】

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 本日は、大手情報通信系企業にてグローバル営業に従事され、女性起業家や技術系女性、技術に興味のある女性たちを対象に教育プログラムやイベント等を通して支援するボランティア団体「Girls in Tech Japan」において Operation Managerを務める 張ロウさんに自身のキャリアや海外での職務経験についてインタビューさせて頂きました。また、後半では夫の慎也さんも交えてお互いのキャリアや今後についてお話し頂きましたのでぜひご覧ください!

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【敷かれたレールを歩んできた人生】

ーこんにちは!本日はありがとうございます。では、まず初めにご自身について教えていただけますか?

(ロウさん)私は中国生まれで8歳の時に日本へ来ました。20歳までは本気で歌手を目指していたのですが、両親はとても教育熱心で「大学に入って安定した生活をしなさい!」というタイプでしたので、大学までは敷かれたレールを歩んできました。

大学の専攻は電気情報系だったのですが、そもそも理系に特別興味があったわけではなく、両親の勧めるがままに進んだ結果でした。

高校時代の私は、将来は両親の方針に従い安定した職に就き、それと並行して自分の本当の夢である歌手を目指していけたら良いと思っており、それ以外のキャリアにおける自分の意志は全くありませんでした。

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(幼い頃@中国(右は母))

【突然自我が芽生えた社会人2年目】

(ロウさん)そんな感じで今の会社に入社し野心など少しもないタイプの人間でしたが、社会人生活が2年過ぎた頃にある日突然カミナリに打たれたかのように自我が芽生えたというか…敷かれたレールでなく、急に自分のやりたいこと、やるべきことが見えてきたのです。

それまでの人生の軸は「親からの承認」だったのですが、やっと「自分の人生」だということに気が付いたのです。今まで自分の意志で何かを選び、チャレンジしてこなかったことを後悔し、まるで溜まったマグマが噴火したかのように多方面に興味を持ち始め挑戦するようになりました。

…後悔と焦りの感情がエネルギーとなって溢れ出したのだと思います。新しい環境に身を置き、自分に足りないものを見つけるたび、能力の欠如を埋めるための新しいことに挑戦しようと考えるようになり、見つけられる限りのチャンスに飛びつくようになりました。

今は入社してから8年目にして5つ目の部署で働いているのですが、それも様々なチャンスに飛びついてきた結果かもしれません。

 入社前に「研究開発に行きたい。技術の道を究めていきたい。」とアピールしていたこともあり、予定通りに設備運用の現場や研究開発を経験し、その先も技術畑で歩んでいくものと思っていました。

入社3年目に研究開発業務に従事していた際、起業家精神醸成のための半年間のビジネス創出プログラムに参加したことがきっかけで「技術だけではダメだ。自分はあまりにも“ビジネス力”が欠如している。」という危機感が芽生えました。

それから社内だけでは得られない幅広い人脈構築を通して世の中の情報収集をしたりするうちに、新規ビジネスを創出する業務に従事したいと思うようになっていきました。社外イベントに積極的に参加するようになったのもこのときからです。

図4 (3)

(ビジネス創出プログラム参加した際の写真@米Seattle)

【グローバルスキルの欠如に気が付いた社会人4年目】

(ロウさん)その後は希望が叶い、入社4年目にサービス開発の部署へ配属となりました。当時の私のミッションは、日本で未だ展開されたことのない「IoTネットワーク(LPWA)」の商用化に向けて事業開発することでした。当時の日本ではユースケースも少なく技術ノウハウもなかったため、海外、特に欧州や韓国のキャリアと意見交換をする機会も多く、海外出張の機会や海外からの情報収集をすることが多くなりました。

この経験により、自身のグローバル力、つまり「世界を相手にビジネスを進めるスキル」が欠如していることに気付き、どうにかしてスキルを高めなければという自分へのもどかしさが膨らんでいきました。

また、業務外で運営していたGirls in Techでの活動も本NPOがサンフランシスコ生まれということもあり、本部連携のイベント運営にあたっては、海外メンバーや海外スポンサーとコミュニケーションを取りながら進めていく機会が多くありました。自分以外のメンバーは英語でのやり取りも難なく円滑に進めていましたが、自分は伝えたいこともうまく表現できず歯がゆさを感じていました。

この業務内外の経験より、グローバル力を高めたいという思いが強くなっていったのだと思います。ありがたいことに、自身の勤める会社には海外留学・研修プログラムがあるため、この成長機会は絶対逃すまいと何度も選考に応募し、海外のグループ企業に出向しチャレンジする機会を得ることができました。

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(LPWA事業開発に携わっていた際の写真)


【英会話スキルに不安を抱きながら臨んだ初の海外業務】

ー初めて海外でお仕事をされてみていかがでしたか?具体的にどのような経験をされたのでしょうか

(ロウさん)私は、とあるIT企業のロンドン本社で働くことになったのですが、渡航した当初は日常会話レベルの英語もうまく話せず、決して順風満帆にとはいきませんでした。

例えば、ロンドンで家が見つかるまで宿泊していたホテルでの出来事ですが、真夏(32℃〜)でも客室にエアコンがなかったため「エアコンのある部屋に変更してもらえませんか?」とたったワンフレーズ、ホテルのスタッフに交渉するだけでも頭の中で何度もやり取りをシミュレーションし、勇気を出して挑むまで15分以上かかったことを覚えています。結局、全客室エアコンのないホテルだったため、交渉から得られたのは「経験」だけでした。

 業務ではGlobal Businessチームに所属していたのですが、もちろんチームに日本人は1人もおらず、英語が得意でない自分がこの職場でやっていけるのか不安で仕方ありませんでした。当初は業務を進めるうえで疑問点があってもまともに質問できず、「まずはこれをやってみて」と渡された課題をひたすら調べながらこなしていく日々でした。データ分析業務が多かったため「とにかく経験を積んでいくしかない!」と毎日データに向き合う日々でした。

 私のミッションは自社グループの海外拠点各地のセールスデータを収集・分析し、可視化したレポートを各地に展開し、強化すべき点などを現地メンバーを交えて議論し、地域ビジネスを支援・推進することでした。私はアメリカとヨーロッパの2エリアの支援を任されていたため、着任早々、現地セールスメンバとの定例会(電話会議)に本社チームから1名で出席することになり、非常に焦ったことを覚えています。

当初会議では自己紹介までは何とか切り抜けられても、メンバーが話している内容の90%以上は理解できず、「自分がここにいる意味って何だろう」と毎日悩んで苦しむ日々が続きました。「プロフェッショナルの中に一人役立たずが入ってきてしまった。どうしたら早く一人前になってメンバーから信頼を得られるようになるのだろうか。」と焦りもがく日々…とにかく今の自分に貢献できることをしようと思い、データ分析内容を工夫することで、これまで各地のメンバーも気付かなかったような観点を可視化し、コミュニケーションを取ることに努めていきました。

そうしていくうちにデータ分析力が上がりチームや各地メンバーからも頼られるようになり、自分の居場所を作ることに成功したのです。とはいえ、渡英から3か月ほどは毎日力不足を感じ、会議がある日は憂鬱で仕方ありませんでした。相手とのコミュニケーションがうまくいかないことに苦しんで、そのシーンが頻繁に夢にまで出てくるような状態でした(笑)

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(身近で指導してくれていたNicole)


(ロウさん)そんな中、3か月を過ぎたあたりから周囲の話してる内容を理解できるようになり、自分の提案したい内容が英語で頭に浮かび発信できるようになりました。周囲からも信頼を得られるようになり、徐々にコミュニケーションが楽しくなっていきました。

私は新しい環境に身を置く度、自分の不甲斐なさに気づきモチベーションがどーんと下がってしまう時期があるのですが、いつもそこから逃げずに努力し成長してきた自分の成功体験を信じ、それをモチベーションに変えてきました。当時もそれだけが支えだったと思います。「今頑張ればいつかまた波に乗れる!」と、ただただ信じてやってきたという感じです。

【海外生活はコミュニケーションを考えるきっかけに】

ー職場での人間関係はいかがでしたか?

(ロウさん)これまで日本にいたときは、上司や同僚といった職場の人に対して「週末どうするの?」とか「昨日財布を盗まれて大変だったんだよ。」といった私生活に踏み込んだコミュニケーションは遠慮することが多かったのですが、ロンドンの職場ではコミュニケーションの大半がそういった会話で占められており、壁のない会話が自然と出来ていることに驚きました。今振り返ってみるとそのような濃厚なコミュニケーションがあったからこそ仕事も円滑にできていたように感じます。

そのような環境下で仕事とプライベートを切り離して自分の殻に閉じこもってはやっていけない世界だと気づき、コミュニケーションを非常に重視するようになりました。その結果ただの「仕事のパートナー」ではなく「一人の人間として相手のことをもっと知りたい!」と思うようになり、「私も興味を持ってもらえる人間にならなくちゃ」と意識するようになっていきました。

特に私はプライベートのことになると自己表現が下手なうえに会話力もなかったため、業務内容以上に「コミュニケーションのあり方」には1年間苦しみ続けましたね(笑)

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(職場でのクリスマスパーティ)


(ロウさん)このコミュニケーションのあり方は職場に留まりません。驚いたことに、ロンドンではカフェでたまたま隣に座った人でも、気軽に話しかけてきてくれて、そこから世間話が続いたりします。生活の全てにおいて人とのコミュニケーションを大切にする文化です。ほんの小さなやり取りでもそれによって心が豊かになったり、温まったり、毎日をスペシャルな1日として感じながら過ごすことができました。

帰国後の今でも頻繁に連絡を取り合う親友カップルがいるのですが、彼らとの出会いもマーケットでたまたま隣の席に座ったことがきっかけでした。私が「この水1ポンドもしたの?あのお店では0.95ペンスだったのに!」と話していたところ、彼女が堪えきれずクスッと笑って話に割り込んできてくれたことを覚えています。意気投合した私たちは、そこからほぼ毎週末会うようになっていきました。

図6-2 (2)

(親友カップルとの出会い)


(ロウさん)実はこの貴重すぎる体験に感激した私は日本に帰ってからも一度実践してみたのです(笑)たまたま入ったお店で相席になったカップルがいたので「今頼んだドリンク私も頼もうか迷っているのですが、美味しいですか?」と話しかけてみたところ、「えっ?はい。。」と少し怪訝な反応をされて終わってしまいました…。その方にとっては、私はただの変質者として映ってしまったかもしれませんね(笑)

 日本帰国後も文化の違いに試行錯誤していますが、イギリス生活を通して職場やプライベートに関わらず自分の人生で関わる人々みんなが私にとっては特別な存在となり、「もっと自分という人間をさらけ出そう」とも思うようになりました。この思いを行動に変えて現在も実践しています。こうして私の中ではコミュニケーションの意識改革が起こったわけですが、生まれながらに自然体でそれが身についている方もいるので人によって様々かもしれません。


【海外経験を活かして新たなキャリアのスタート】

ーでは帰国後はどのようなお仕事をされていらっしゃるのでしょうか?

(ロウさん)現在は、インターネットデータセンタ(IDC)の海外営業に従事しています。私自身にとっては人生初の営業職で、初めは自分に向いているのか、全く経験のない自分がここにいて良いのかと迷いや不安もありましたが、成長のための新たなチャレンジだと思い、今はとても貴重な経験ができていると感じています。

お恥ずかしながら、今の立場になって初めてIDCが私たちの身近な生活に関わっていることを知りました。例えば私たちが動画を観たりネットゲームをしたり、日本国内において世界各地のサービスを快適に利用できていることにも大きく貢献しているのです。これまでは欧米系顧客がメインでしたが、自身の語学力(中国語・英語)を活かし、アジア市場も積極的に開拓しているところです。


ーそれ以外にも何か取り組まれていることや今後挑戦してみたいことはありますか?

(ロウさん)社内、外のどちらで思いを形にするのかはまだ分かりませんが、私のように敷かれたレールを重視し、自分自身の個性や可能性に制限をかけてしまうような子どもたちを増やしたくないという思いがあります。子どもの将来には多様な選択肢があってもいいと思うのです。子どもたちが一人一人の個性や可能性を伸ばし、その延長線上には「日本における多様化(多様な個性や属性の受け入れ)」が進み、マイノリティとされる人々も生きやすい社会になればと思っています。

具体的なアイデアは新規事業WGで提案している最中のため、ここでは非公開とさせて頂きます。また、社外活動の「Girls in Tech Japan」でも大人や大学生向けのみならず、小中学生に対しても「STEAM業界を含む多様な世界」を見せたり自己を知ることで新たな可能性に気づく機会を提供できればと思っています。

【夫婦で挑んだ初の海外生活】

ーでは、ここからは夫の慎也さんにも加わって頂き、お互いのキャリアに対する思いやロンドンでの生活などについても教えて頂きます。慎也さんはロウさんの海外研修の際ロンドンへも一緒に行かれたそうですが、なぜご自身の仕事を辞めて一緒に行かれる決断をされたのですか?

(慎也さん)第一の理由は楽しそう!行かない手はない!と思ったことです(笑)あとは、負けず嫌いが出たせいでもあります。彼女が新しいことにチャレンジをして頑張っているのに一人日本で待っていても、いつも通りの生活で何も変わらない!と思いました。仕事については、これまでの自身のキャリア上、仕事を変えることにはそれほど抵抗がなく「辞めてはいけない」という感覚があまりなかったことも大きな要因だったと思います。そもそも優先すべきは妻の仕事だと思って結婚していますから。元々フットワークの軽い、オープンマインドな性格も関係したのだと思います。

無題


ーロンドンでのお二人の生活はいかがでしたか?

(ロウさん)私も驚いたのですが、彼は私以上に友達を作りやすいタイプで誰とでも仲良くなってしまう、言語の異なる相手が何を言っているのか理解できなくても、その状況下で仲良くなってしまうのです。

けれど渡英した当初は彼も家にこもりきりだったこともあり、かなり精神的にまいっておりました。毎晩家の窓際に座って「はぁ…何でこんなところついて来てしまったんだろう」とつぶやく日々が続いて…このまま1人だけ帰国してもらった方が良いのではと悩んだこともありました。

彼は外の世界との繋がり、人と会うことも億劫になり、住んでいたアパートでも管理人さんに会わないために遠回りして裏口から出かけるほどでした(笑)

その状況が変わったのは、彼が働き始めてからのことでした。当初私としては、主夫として自由に好きなことをしてもらえれば良いと思っていたのですが、実際経験してみると、家で私としか会わず、私しか知らない生活を送ることが彼の世界を閉ざしてしまっていたことに気が付きました。

彼は元々人と関わることが好きで、外で自身のコミュニティを持って輝くタイプだったため、新たな居場所が見つかり本当に良かったと思います。そうして、結果的にお互いが支え合う形になりました。

(慎也さん)向こうの生活では特にお互いが支え合っていないとやっていけなかったと思います。

(ロウさん)ただ自分としてはイギリスでの生活に限らず、自身のキャリアを優先することが結果的に彼の本当の夢を奪ってしまっているのでは?という感覚があります。キャリア上、今後もいつ、どこのエリア(または国)に行くか分からないですし、ライフ面では新しい家族も欲しい、どこへ行っても家族全員揃って同じ場所で暮らしたいなという思いがあります。このように私のわがままを通しているわけなので、とても「二人三脚です!」と自信をもっては言えません…。

図9 (2)


【妻のキャリアに対する夫の想い】

ーでは慎也さんへお聞きしたいのですが、ロウさんが職業がらいつどこに行くのか分からない状況であるということについてはどのように思われますか?

(慎也さん)僕としては特に問題だとは思っていませんし、全くネガティブには捉えていません。既にイギリスにも一緒に行っていますし、今後もどこにでも行ける!という気持ちです。元々結婚したときから分かっていたことなので。

(ロウさん)彼はとても柔軟だと思います。私がどこに行くことになったとしても「あ、分かったじゃあついていくよ!」と言ってくれるところは、私にとってはとても居心地がいいです。新たな環境に踏み込んだ時に、リスクよりも楽しい面を先に想像して動く人だと思うので、そういうポジティブなところがとても助かっています。

(慎也さん)まあ、実際に行ってからめちゃめちゃビビるっていうタイプなんですけどね…(笑)辛いことがあっても乗り切ってこられたのは完全に彼女のサポートがあったからだと思います。

(ロウさん)うーん…先ほどから私は親の敷いたレールの上で生きてきたという話をしていましたが、今は私が彼にレールを敷いてしまっているのかもしれません。ロンドンにいるときに彼が仕事を始めたという話をしましたが、彼が楽しくなさそうにしている姿を見て、彼の了承も得ずに勝手にバイトに応募して、勝手に背中を押して行かせたという経緯があります。それがたまたまハマって、彼は生き生きした姿を取り戻したわけですが…。

ーであるにも関わらず、お互いのバランスが取れているのはなぜなのでしょうか?

(ロウさん)うーん…結局、ほとんど私優先の生活になってしまってない?

(慎也さん)そうだね(笑)

(ロウさん)けどそれ自体が二人のバランスが取れた状態なのかもしれません。だけど、私はそれについては反省をしながら過ごしているわけでして…(笑)ずっとこのまま私優先で良いとは思っていません。なので、例えばセカンドライフでは彼中心の生活にしたいと思いますし、将来彼の夢でもあるコーヒーショップを開くときには全力でサポートできればと思います。

図11


【夫婦間のキャリアについて~メッセージ~】

ー夫婦間でお互いのキャリアについて悩んでいる方々にメッセージやアドバイスはありますか?

(慎也さん)そうですね…そういえば昨日たまたま話をしていたのですが、これまでキャリアに邁進してきた女性が、結婚を機に自分の意志でなく、結婚相手によってそのキャリアを閉ざされてしまうというのは僕にとってはしっちゃかめっちゃかな話で、そんなことはあってはいけないと思っています。まずは夫婦間でお互いがどうしたいのかをしっかり話すべきで、そのスタート地点がずれてしまうと、お互いの価値観が合わないままどちらかが妥協しなくてはならない状況になり、フラストレーションがたまって…という悪循環に陥ってしまうと思います。

(ロウさん)結婚することで、これまで生きてきた環境も異なる他人同士が家族になるわけですが、あたかも相手が自身の所有物かのように、思い通りに動かしたい人もいるかもしれません。それは本当に良くないことだと思います。結婚によってお互いの人生が交わるまで、それぞれが持ち続けてきた人生観とか交友関係とか…そういったものを尊重し合うことが大切だと思います。だからこそ私も彼に対して反省するところがあるわけですが…。お互いがそれぞれ自分の世界や人生を持っているということを、常に念頭に置いて接することが必要だと思います。

【今後の目標について】

ーでは今後の目標について教えて頂けますか。

(ロウさん)イギリスで感じた社会の多様性を少しでも日本社会に広めていきたいと考えています。今後は今よりももっとグローバル化が進み、日本に定住する外国人も増えていくと思います。その環境下で、これまで日本人にとって当たり前だったことが当たり前ではなくなる社会がやってくると思うのです。日本文化に不慣れな外国人でも自然と受け入れられるような多様性のある社会にしていくことが重要だと考えています。

また、外国人に限らず現在マイノリティと言われている人たちが自分たちをマイノリティだと思わずに過ごすことができる社会が実現できればと思っており…それが現職における「通信」というツールを使って実現できるかもしれませんし、それ以外の方法かもしれませんが、今後の自身の人生におけるテーマにしていきたいと思っています。

ーそれは幼少期に中国から移住されてきたというロウさん自身のバックグラウンドも影響しているのでしょうか。

(ロウさん)すごく影響していると思います。私は元々、中国にいたときには自分中心に物事を考え動いてきました。けれど日本に来てからはそのような性格が災いしてなかなか友達ができずにいじめられた経験もあり、「このままではこの社会では生きていけない!自分の色を出し続けていては周りに馴染めず孤立してしまう!」と思ったのです。小学校3~4年生の頃だったと思います。

そこからは180度性格が変わり、自然に人の顔色を伺うようになり、異常に周りに気を遣う性格になったかもしれません(笑)。ただ私の場合はいつの間にか馴染んだため、中国人である自分を押し殺して周りに無理に合わせているという思いは全くありません。これからは、協調性を重視しながらも、一人一人の特徴、個性を維持できる社会になれば良いと感じており、そのための働きかけをしていきたいと思っています。

【「Lean in」しようとしている方へ~メッセージ~】

ーでは最後に、新たなことに挑戦(Lean in)しようとしている人にメッセージをお願いします!

(ロウさん)私が好きな言葉に「It always seems impossible until it’s done.」(何事も成功するまでは不可能に思えるものである)というものがあり、いつもその言葉に勇気づけられています。

挑戦する前から、自分で勝手に壁を作ってしまい取り組むことを諦めてしまう人もいるかもしれませんが、信念を持って取り組んでみたら実は不可能ではなかった!ということがきっとたくさんあると思うのです。ぜひ自分を信じて一歩踏み出してほしいと思います。

ちなみに私は成功するまでのひとつひとつの失敗は、結果として失敗ではないと考えています。つまずいて転んだしてもそこで終わりではなく、また立ち上がってチャレンジすれば、その先にはきっと成功があると考えるようにしています。これからも自分を信じて挑戦し続けたいです!


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