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写真家、べルティアン・ファン・マネンの軌跡

Archive』(MACK/2021年)
水中に三脚を立てカメラを構えるファン・マネン氏。

ベルティアン・ファン・マネンは、1935年にオランダのハーグに生まれ、旧オランダ炭鉱地帯東部の中心地であるヘールレンのカトリック学校で子ども時代を過ごした。その後、オランダのライデン大学でフランス文学とドイツ文学を学び、卒業後はふたりの幼い子どもを育てながら翻訳者として、ライデン大学のフランス語教師として、そしてモデルとして働き生計を立てていた。

しかしある日、自宅で開催したパーティーでアシスタントに誘われたことをきっかけに、40歳にして当時のアムステルダムでは数少ない女性ファッション写真家として、レンズを向けられる立場からレンズを向ける立場に変わることを決意する。そして同年、スイス人写真家のロバート・フランクによるドキュメンタリー写真集の金字塔『The Americans』(1958年刊)に大きな衝撃を受け、ドキュメンタリー写真家に転向する。

その熱狂ぶりは、当時鉄のカーテンの向こう側にあったブダペストに赴き撮影された1975年のシリーズ、『I Will Be Wolf』(2017年刊)に見ることができる。このシリーズでは、グローバリゼーションが浸透する前のハンガリーの姿が、フランクの影響を強く感じさせる距離感とモノクロフィルムで撮影されている。

『I Will Be Wolf』(MACK/2017年)
カメラの小型化と写真の本質への肉薄に伴い後年は目立たないが、初期モノクローム作品からはファン・マネンの写真家としての卓越した技術とセンスが感じられる。この時点では構図への強い意識も伺える。

しかし、母親として子育てをしながら、家庭生活だけでなく自分自身の可能性も試したい気持ちを抱いていたファン・マネンが写真作家として成功するには、強い意志と粘り強い勇気が必要だった。

家族や肉親を撮影したり、自身のルーツである炭鉱村の写真を撮り溜めたり、当時全盛を迎えていたウーマン・リブの流れにあたるソーシャル・ドキュメンタリー写真の撮影を行うが、ファン・マネンの代名詞とも言える作風が確立され、国際的な評価を得るのは1994年になってからのことだった。

『Easter and Oak Trees』(MACK/2013年)
当時シリーズとして発表されることはなかったが、70年代には自身の家族を題材に写真を撮影。被写体として登場する息子の一声で写真の存在を思い出し、後年出版に至る。
『I Am The Only Woman There』(Fw:books/2024年)
オランダで働く移民労働者の妻や移民女性労働者たちを撮影したシリーズ『ゲストとしての女性たち(Vrouwen te Gast)』は、1979年にオランダのフェミニスト出版社「Sara」からファン・マネン初の写真集として出版された。2024年にはオランダ人グラフィックデザイナーのハンス・グレメンが主催する独立系出版社「Fw: Books」の手により、新作として再編集された。
『Gluckauf』(Fw:Books/2023年)
ファン・マネンは1985年から2013年にかけて、イギリス、チェコ、アメリカ、そしてロシアの炭鉱街を繰り返し訪れた。炭鉱街に育ったファン・マネンにとって、そこに暮らす家族やコミュニティは単なる被写体以上に、心安らぐ場所であった。それらの写真は、2冊の写真集、『Moonshine』(MACK/2014年)と『Gluckauf』にまとめられている。

ポストソビエトへの旅と『A Hundred Summers, A Hundred Winters』の成功


1991年から1994年にかけて撮影された『A Hundred Summers, A Hundred Winters』(1994年刊)は、ソ連崩壊後のモスクワやサンクトペテルブルク、オデッサ、トムスク、シベリア、カザフスタン、ウズベキスタン、モルダビア、グルジアなどで撮影された最初期のドキュメンタリー写真である。ファン・マネンは、最も早くそれらの国に入った写真家のひとりだった。

時間をかけてロシア語を学びながら、ファン・マネンは現地で出会った人々や親しくなった人々を撮影し、当時謎に包まれていた国々の暮らしと豊かさを伝えた。人々と交流を行いながら長期間にわたり撮影を行うスタイルと、親密さの背景に社会を描き出すドキュメンタリーの手法はこの時点で完成されたと言える。

国外から来た写真家たちが絵に描いたような悲惨さを掬い上げた写真ばかり撮影していたこともあり、ウクライナを代表する写真家のボリス・ミハイロフは当初作品に対して懐疑的な態度を見せた。しかし、彼女が見せかけではない姿を捉えようとしていることにすぐ気がつき、賞賛の言葉を送った。

『A Hundred Summers, A Hundred Winters(De Verbeelding/1994年)』
公式上のファーストブックであり、代表作。ファン・マネンはステレオタイプに回収されない、個々人の生活から社会を描き出そうと試みた。コミュニティに自然に溶け込むために自動撮影のコンパクトカメラが使用されている。同時代のウクライナを内部の視点から撮影した写真に関しては、ミハイロフやハルキウ派の作品で見ることができる。
『Let's Sit Down Before We Go』(MACK/2011年)
『A Hundred Summers, A Hundred Winters』に収録されなかった写真を、イギリス人写真家のスティーブン・ギルが編集者として写真の配置から再構成。前者を撮影した時代には写真とはこうあるべき、という厳格なルールがまだ存在したとファン・マネンは語る。この写真集では、ピンボケや露光オーバーの写真、非構成的な構図の写真が意図的に組み込まれている。良い写真とは何かについて考えさせられる写真集であり、ファン・マネン作品の本質が表現された名作。のちに出版された『I Will Be Wolf』もスティーブン・ギルによる編集。

中国への旅─そして国際的作家へ


『East Wind, West Wind』(De Verbeelding/2001年)
ファン・マネンは1997年7月から2000年5月にかけて計14回、中国を訪れたが、10回目になりようやく何を撮影したいかを掴んだという。2冊目の写真集であり、現代中国における日常生活の鼓動と余暇の追求を描写している。メーフィス&ファン・ドゥールセンによるブックデザインも秀逸。
『Give Me Your Image』(Steidl/2006年)
個人宅に飾られている写真に興味を抱いたファン・マネンが制作した、ヴァナキュラー写真/ファウンド・フォトシリーズ。リトアニア、ギリシャ、ドイツ、イタリア、オーストリア、フランス、ブルガリア、モルドヴィア、オランダなどの個人宅でされた「写真の写真」を収録。ファン・マネン作品のエッセンスが凝縮された作品とも言える。

『A Hundred Summers, A Hundred Winters』の成功を経てファン・マネンが次に向かったのは、当時西洋化の波が押し寄せ、変革の最中にあった中国だった。ファン・マネンは、1997年から2000年にかけて中国国内のさまざまな地域を繰り返し訪れ、『East Wind, West Wind』(2001年刊)を制作する。

2003年には立て続けに写真賞を受賞し、世界各国で展覧会を行いながら、いよいよ国際的な評価を高めていく。そして2010年代に入ると、ヨーロッパを中心に世界各地で巻き起こった写真集ムーブメントの立役者のひとつであるロンドンの出版社「MACK」が、ファン・マネンの初期作品や新作を次々と出版。その結果、彼女の存在はさらに広い世代に知れ渡り、世代や国境を越えて多くの写真家たちに影響を与えることとなったのである。

ファン・マネンの写真は、彼女と被写体の個人的な関係性の上に成り立ちつつも、その関係性自体を映し出すことを目的としてはいない。また、ファン・マネンは当事者に近づきつつも、常に来客者としての立場を保っている。この組み合わせがもたらすダイナミクスこそが、ファン・マネンの写真に有機的かつ詩的な描写と、鋭い視点をもたらしている。かつて『The Americans』が彼女を旅に駆り立てたように、ファン・マネンの写真集もまた、時代を超えて読者をまだ見ぬ旅へと誘うことになるだろう。

『Archive』(MACK/2021年)MACKは2010年代にファン・マネンの写真集5冊を制作。2021年にはベスト盤に当たる本書が出版された。全シリーズからの抜粋に加え未発表写真も多数収録しており、資料性も大変高い。384ページの大ボリューム。

いつの日か作家本人を招いて企画展を開催することを夢見て、IACKはファン・マネン氏の写真集を収集しておりましたが、2024年5月27日に作者は惜しくも逝去いたしました。現在店頭で開催中の展覧会では、今日までに出版されたファン・マネンの写真集全10作と、ファン・マネン氏が1979年に初めて出版した写真集をアップデートした最新刊『I Am The Only Woman There』(2024年刊)を中心に、珠玉の作品とその軌跡を紹介しています。

また、彼女が写真家に転向するきっかけとなった『The Americans』や、1997年から98年にかけて、ソ連崩壊後のウクライナ・ハルキウを内部の視点から撮影したボリス・ミハイロフの代表作『Case History』(1999年刊)なども同時に展示いたします。初めて作家の名前を耳にする方も、すでに作品に触れたことがある方も、あらためてその魅力を多角的に感じる機会となれば幸いです。

開催中
Feature: Bertien van Manen
ベルティアン・ファン・マネンの写真集
会期:2024年8月31日(土)- 9月23日(月)*土日祝営業
営業時間:11:00-14:00/15:00-18:00
会場:IACK(金沢)
www.iack.online/pages/feature-bertien-van-manen

撮影年順作品マップ

1970年〜1980年|#家族写真
Easter and Oak Trees(MACK/2013年)

1975年|#異国への旅
I Will Be Wolf(MACK/2017年)

1975年〜1979年|#移民女性や女性労働者のルポタージュ
I Am The Only Woman There(Fw:Books/2024年)

1985年〜2013年|#炭鉱村
Moonshine(MACK/2014年)
Gluckauf(Fw:Books/2023年)

1991年〜1994年|#ポスト・ソビエト諸国
A Hundred Summers, A Hundred Winters(De Verbeelding/1994年)
Let's Sit Down Before We Go(MACK/2011年)

1997年〜2000年|#中国
East Wind, West Wind(De Verbeelding/2001年)

2002年〜2005年|#写真の本質に迫るヴァナキュラー写真/ファウンドフォト作品
Give Me Your Image(Steidl/2006年)

2013年〜2015年|#晩年の私的/詩的写真
Beyond Maps And Atlases(MACK/2016年)

1970年〜2021年|#全集
Archive(MACK/2021年)

作家についてより詳しく知りたい方はこちら
インタビュー|Aperture, issue 220, “The Interview Issue,” Fall 2015
全集。未公開作品や論考、日記を合わせて収録。|Archive(MACK/2021年)

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