Everything is a museumを振り返る
「Everything is a museum」から3ヶ月を経て開催されたトークイベント、「Meeting #8」に参加してきました。
全容は後日アーカイブ化され公開されますが、まずは展示を通して個人的に考えたことを書き残します。
「Everything is a museum」は、有事の際にこそ行動を期待されるはずの現代美術館が身動きを取らない/取れない状況下において、いち職員が個人の意思で迅速に議論の機会を設けようと試みたことにまず大きな意義があります。
一方意図的とはいえ、極端な情報制限のもとで開催されたこの展示を訪れる観客の多数は特権的に情報を与えられた関係者であり、その点において終始内部で完結していたと批判することもできます。
また、美術館や美術に直接関わる当事者としての問題意識と、被災地/被災者としての問題意識の混濁により、本来はあらゆる人を当事者として議論に巻き込むはずが、いつの間にか関係者と部外者、そして演者と観客の間に線を引いてしまっていた気もします。
アートは必ずしも万人に開かれたものである必要はないと思いますし、パブリックな評価=良いものでもありません。しかし現在進行形の被災地で災害を主軸にするからこそ、観客が共有というよりも事後報告の形でしか情報を得られない構造は、少なからず閉塞的空気を生み出したこともまた事実です。
展覧会のアーカイブは、一過性のイベントを来るべき議論や活用に開いておくためにも重要な行為です。「Everything is a museum」は、意図的に公開範囲を絞ることで可能な対話を目的としていたので、より多くの人々が情報を得られるアーカイブは必須でした。
しかし、ぼく自身も日々の業務で感じるのですが、わざわざアーカイブにアクセスする人の数はどれほどいるのでしょうか。整然とアーカイブされたものであればあるほど、専門知を求める研究者や、コアなファンにとってのみ有用なものになっている気がします。
この辺りのアーカイブの特性と活用方法に関しては、今後個人的にも再検討していきたいと思っています。
事象に対してリアルタイムに組み立てられるイベントは、完璧に準備をしたり、直ぐにその是非を判断することはできません。しかし綻びがあったとしても、事態を真摯に検証しアクションを起こすことは、未来だけでなく現在にとって重要な意味があるはずです。
今後この取り組みを継続させるのか、あるいは終わらせるのか。キュレーターの髙木氏に継続の責務を押し付けてしまうのも酷な気もします。個人の範囲で即座にできることはひとまずできたと思うので、次は美術館に、公的機関だからこそ可能な動きやアクションも期待したいです。
展覧会に興味を持った方は記録の冊子を読んだり、公式アカウントで共有される情報を今追ってみてください。
*IACK参加の経緯や企画した展示については、以下の記事をご覧ください。
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