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あの雲の下まで (その七 ・その八)

七 おくればせながら産業革命

うつらうつらしていると、クラクションとギーという急ブレーキ音、キャンと犬の轢かれたような、そんな悲鳴がきこえた気がする。
しかしそれは聞きちがえ、単なる夢にすぎなかった。
夢うつつのまま、犬のことが頭に浮かんできた。

――犬などつなぐにおよばなかった。
首輪のあるなしにかかわらず犬は強いられることなく自由気ままに、幸せにくらしていた。私の住むK区という下町には決まりがあってないようなものだった。
二、三日放浪するのもある。一宿一飯の恩義と流れくるのもある。
犬は二匹、三匹と増えるときもあった。

無宿ものの犬を手なづけるのは一家の主、由之助(よしのすけ)の得意とするところである。
ジュウシマツ、文鳥、金魚、鳩などと家族八人あわせれば、一家はさながら動物園のようである。

街は野良犬にやかましくなかった。だが、あるとき子供の手を犬がかみついた。
餌を食む犬を「あやした」からだ。それはだれでも知る、犬に処してはならぬ所業である。
子供はそうとは知らず犬の掟を破ってしまったわけだ。やむを得ぬ。

それでも事件が発端となり、通称「犬殺し(いぬころし)」という区の担当がうろつきはじめた。
彼らは情け容赦しなかった。
にげまわる野良犬を追いこんだあげく、首を長い棒のさきのロープでとらえ、トラック荷台のかごのなかへ、まるでマグロの一本釣りのようにほうりこむ。そのあと収監所へ連行し、引きとり手がないと数日後これを屠(ほふ)るのが常だ。
仕事ぶりは、さながらレッドパージ、戦時下の築地警察署員ほど冷酷無悲だったのである。

由之助の犬、チビと無宿の野良犬たちは昼夜かまわず放し飼いにされていた。
ために役人に「逮捕」されるのはしばしばだった。

あるときチビが二、三日もどらなかった。
「また、どっかのメス犬に入れこんでんだろう。」と息子たちは風馬牛(ふうばぎゅう)をよそおうものの心おだやかではない。
待てど暮らせどチビは帰らない。
「イヌコロシに捕まったんじゃないか。」と息子が由之助に訴えるようにいった。
「うだつのあがらねえツラしやがって、いい加減にしやがれ。」といいながらも由之助はようやく重い腰をあげた。
そして哲兄をひきつれて監獄所のある三河島へと向かった。あんのじょうチビは囚われの身となっていた。

「鉄格子のむこうのチビ、まるでナチスに捕えられた囚人みたいだ。父ちゃんの姿をみたとき、気が狂わんばかりに叫んでた。」と哲兄はいった。

命びろいをしたチビのからだの臭いこと、まるでクサヤの干物のよう。
その身を洗われると、こちらとおもえばまたあちら、くるくるとまわる、とぶ、はねるなど原っぱを存分に走る姿、これといわんばかりに人の顔をなめまわすさま、釈放されたチビのよろこびの、からだ満面にあらわすようす、いずれをとってもチビのむじゃきさ、けなげなさは、ほかにくらべるものがないほどだった。
これをながめる由之助はにんまりとしながらこういった。「生きものってなウソつかねえ。」

ところが街に線路がひかれ、町工場から大きな工場へ、木造の平屋からコンクリートの建物が造りかえられてくる。
ここに新住人が住み、づかづかと街を歩きはじめた。
それくらいならまだよかった。
ぬきさしならねえのは、ふんぞりかえった態度だ、鷹揚なってことばがあったが、あれだ。由之助には気に喰わぬ仕儀。

街はこのあたりから怪しくなってきた。
犬の世界が暮らしにくくなるのみならず、由之助の鉄のブローカーという、口先一本でやりくりしていた仕事のほうも、いよいよ斜陽をむかえてくる。

新住人は街角ですれちがうときあいさつしようとすると、うすらとぼけたように目をそらす、それが鼻もちならない。
おりから野良犬の幼児襲撃事件があちらこちらと頻繁に報じられる。

犬だってばかじゃねえよ、由之助は見抜いていた。

あれを高飛車ってんだ、覚えとけ!
ひとさまに挨拶ひとつできねえ人間はよ、犬にはもっとひでえ仕打ちをしやがる。石を投げつけたり、棒で引っぱたいたり……仁義もくそもあったもんじゃねぇやな。
で、ガキはガキで親のこと真似すんだろう、な?
おまけに了見というのがわからねえのに、文句ばかりいいやがらァ。

こうして犬たちはイヌコロシに通報され、放し飼いは危険だと役所に提訴するようになる。
数の法則。
やがて犬をつなぐべし、と決められてしまった。
狂犬病予防接種に首輪の鑑札、玄関先に表示……。
しちめんどうくせぇやいっ。
由之助はにが虫をかみつぶしたように、「イヤな世のなかになっちまいやがった。」と嘆いた。

チビは首輪をはめられヒモでつながれ、そして数年の時が流れた。
すでに野良犬の姿は見えなくなっていた。

チビは、ぶくぶく太ってブッチョウヅラさげるようになるのはもとより、ひと目みてもみにくい老犬と変わりはてた。
あわれでみじめに老いさらばえた、そんなチビのようすを目に由之助は、やり場のない心もちに陥った。

みずからの仕事のなくなった恨みをも、この了見をしらぬ、不人情な世間に源ありと重ねた。それは無理があるけれども。
「箆(べらぼう)め。」といって仕事の廃業宣言を下したのだった。

高度経済成長により世間は活気があるのに、おいらの仕事はぽしゃる。
営業に勝るのは製造業であったのだろう。

そればかりか飼い犬チビを手ばなすと、由之助は強情を張った。
それでも憲兵のような、あるいはナチスのような役人、あのイヌコロシの手にかかってチビの生涯をおわらせるわけには、がまんならねえ。

背に腹はかえられないとおもったとみえ由之助は、ある夜、家族の反対を押し切りチビを車にのせた。
トラ、太郎という先代の犬がそうであったように、川むこうの地に捨てに向かうためだ。
「ここらへんならいいだろう……生きろよ。」
車から降り扉を開けながらチビを誘った。
これからなにがおこるのか、見当がつかないチビ。
耳をねかせ舌を出し、尾っぽふりながら喜ぶようす。

由之助は肉の破片を車から離れるほうへと、やおら投げつけた。「うしっ」といったかとおもうと、チビは命ぜられたとおり、それをおうように車から走っていく。
運転席へ急ぎ、クラッチを切り替え、アクセルをふむ飼い主。

白い毛並みに茶のぶち、老いたからだにムチうちながら必死に車をおいかけてくる。
声は聞こえない。声は聞こえないが、おそらく大声で叫んだに違いなかろうチビ、あきらめたか、それとも動けなくなったか、やがてその足どりがゆるんでしまった。
月明かりに枯れススキ、沼ばかりの電柱ひとつ立っちゃいない暗闇、まるで地の果てのようなところだ。

由之助はぶ然としてルームミラーを見ぬばかりか、むしろ逃げるようにアクセルを踏む。
仮にミラーをのぞいたとすれば、おそらくみえたに違いなかろうチビの必死なありさま。今生(こんじょう)のわかれ。
この状。いったいどこに後ろ髪をひかれぬ人間があろうか、いはしない。
由之助とても同じなのである……。

数日が過ぎた。
ふと縁の下をのぞいてみれば、なんとチビがいる。
家族はみな、これに驚き、そして喜んだ。
チビは由之助の眼をみるとき、悪さをした子供のようにこわごわとしている、そのようすはなんとも哀れにおもわれた。 
由之助はぐびり、ぐびりと、ただ焼酎をあおるばかりだった。(つづく) 


八 ネズミの足もと

夢からさめた。
私はいまブラジルW杯サッカートーナメント、ドイツとブラジル戦のテレビ画面をみながらこれを書いている。ドイツの大勝だ。
なになに⁈ 誤植か? 間違え?

君はそう云いたいのだろうが、そうではない。
夢は昭和三十年代から半世紀のときをこえ、今度は現在までもどってきてしまった。
物語は草のうえで寝る神戸駅前へ戻る、そのだんどりは理解している。
それをまちがえたようだ。
もう少しつづけたい。

チビが置きざりにされたのは夢と幻の国、浦安という街である。
すでに亡骸(なきがら)となり、土と化したであろう先代の犬たちの、肉と骨のそのうえでミッキーマウスやドナルドダックが楽しげに歌い、踊り、舞っている。
「イヤな世のなかになっちまいやがったな」
かりに父の由之助がこの世に生きていたならば、おそらくこんなことばを吐いたかもしれない。
      *
由之助は大正初期、東京八丁堀、荷車を造る職人の五男として産まれ育った。
長男でないという理由もあるにはあったがこれを家督せず職を転じて妻帯、六人の子をもうけ、これを育てた。そして八十七歳でこの世を去った。
「いつかあだ花を咲かせてやるからな」

戦時下の世に重宝がられ、ひところ巨万の富を得るほどに時流にのった鉄工商(ブローカー)という、いまでは聞きなれない職業の、あだ花というものを咲かせる野心を抱いていたが、なしのつぶてだった。
なぜなら戦需景気、戦争特需というような、そんなことがこの国におこらなかったからである。
なにより小さなものを一手に束ねる才覚、あるいはずるさをそなえた器用な者がこのご時世にあらわれたことによる。時の流れというものだ。

こうして下町の鉄問屋、鉄工所、台貫所、鉄拾いといったような職業は吸い取り紙に吸われるインクのようにたちまち消えていった。

私はおもう。
姉と兄たち、その六人の子をすべて成人させたというのは、あだ花という名の野心とは、かけ離れた花ではあるものの、花を咲かせたことに違いがなかろう。
ひとかどの財産を得たことに匹敵しないだろうか。
いまではサラリーマンの生涯賃金は二億とも三億ともいわれている。倍すればそれ相応の額となるはず。
おまけに所得税などの余計な心配のいらない、異形の財産所有者といえる。
いまとなっては、その由之助と妻の業績を称えたい。

なお、くどいが付言する。
由之助の実兄は真の財産をもつ身となっていた。
名を正吾という。明治に生まれ、昭和まで生きて、九十九歳で亡くなった。

正吾は大正時代、荷車造りの家業をひき継ぎ、運送会社に育てた。
くわえて区議会議員を兼ね、落選することなく十二期、およそ四十年ほどその地位を得ていた。
存命のころであるが、戦争直後から区議会議員に推挙されたという、詳しいいきさつについて問うたことがある。

戦災による遺体の整理と運搬など、あの汚れ仕事を手伝ったことが選ばれた理由だろうと述懐。
正吾は皮肉にも異形財産の所有のほうは低額だったといえるが、それでも1984年、中曽根政権時代に勳四等に叙し瑞寶章を陛下から与えられた。

できた兄とおちぶれた弟、世間にはよくある話である。
     *
由之助の長男、哲兄は芥川龍之介同窓の三高へ通ったものの、多くの級友がめざす本郷の大学へ進学できず、職につくことを余儀なくされた。
斜陽となり、廃業した由之助一家の暮らしを支えねばならなかった。

高度経済からバブル期の企業へ、ネクタイを身につけ、勤めに出る身となり、四十二年間、身を粉にしてこれを全うした。

会社の命令にて永田町、議員会館へ数年通った。文部大臣秘書という立場である。

だが退職まもなくガンを患った哲兄は、あっけなくその生涯を閉じた。六十五歳だった。
弟たちのランドセルや学費など、哲兄の血と汗と涙の結晶によるものと、あとあとに母や姉から聞かされたとき、穴があれば入りたい気分に陥った。

すでに長兄の歳をおおはばに超えた私は隠居の身となって、供養にもならない、こんな身辺雑記を書きながら余生を過ごしている。
できない弟。いい気なものだ。

君よ、許したまえ。

すっかり物語に関わりをもたない回になってしまった。

後頭部の打撃について話をもどさなければならない。
それは犬の末路にかかわるのではないか、あるいは父、兄の死によるものではなかろうかと、記憶の探索を試みたが、そうではない。

あらためてここまでの物語を確認しておきたい。
実際に旅をしているのは傷心の高校生だ。
書き手の私といえば、冒頭第1章の「衝撃」の理由を探すべく、若い主人公に託しながら、時空をこえて旅に寄り添っている。

いよいよ後半となる。若者は神戸から広島へとヒッチハイクをつづける。
傷心から復活を得るうち、珍事の公開がある。
最後に「衝撃」の理由が明らかにされる。          (つづく)
                             

                              

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