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あの雲の下まで 最終話(その九・その十)
九 黒電話
犬の遠ぼえ。ニワトリのなきごえ。
ぽたりと水滴がほほに落ちたとき、緑地帯の草のうえで寝ていた私はようやく目をさました。
まだ明けきらないうす墨の、重い空から冷たい雨がそそ、そそと落ち葉を打ちならしはじめた。
神戸駅前の路地を日雇い人夫のあとをおいかけるようにぶらついた。
彼を追いつつ簡易食堂に入った。
生卵、ごはん、みそ汁は財布に負担をかけない、安堵した。
食べるころ、雨はすっかりあがってきた。
国道2号にそって歩みをすすめ、街はずれ
ふたたび車の世話になる。
歩く、歩け、歩こう。
♪ 歩きつかれては 草にうもれてねたのです
歩きつかれねたのですが ねむれないのです
西へ西へと向かう。
景色が変わる、色が変わる、空気のすんだ明るい世界へと、あたりは一変する。
ところがトラックが少ない。
長い距離は無理か。
寝ぶそくにくわえ、疲れはてて意識はもうろうとする。
こころに唄がうかぶ。
かりそめの こひな忘れそゆくさきの 余が人生のさだめならかし
――名を朝子といった。長い黒髪に白い肌、青いひとみ。
母の苦情は夜な夜なの長電話。
あるとき黒電話がつながらない。
五分おきに五度のダイヤル、白いフックをかちゃかちゃすると混線した。
人の声がする。
受話器を置けばよかった。
知らぬが仏というものだ。
ぬすみ聞き。
若い男と女は楽しげだ。
えッ、私の名が出る。なんで?
「むこうから一方的なのよ。しかたなく相手しただけ……。」
嫉妬は破局を招く。
朝子は十七、美貌のもちぬしだ。
「あたし、星の数ほど恋をするの。そして二十歳で死ぬわ。」
そして地廻りと恋仲だと。
主は路上の刺青か。
だがそれを知るのは、ずっとあとのこと。
路地での対決、無意味ではなかった。(その2「地廻り」参照)
そんな都合のいい話があるものか。
君はそう思うかもしれないが、これは事実?、に基づいておる。
こうして旅をつづけていくと恋人の名はすでに二文字の漢字をよむにすぎなくなっていた。
うつせみの燃えゆる妹に しもうらぎられ
失せはてられなば 女々しきものを
もうろうと藤村の詩を謳わんと欲すれども、埒はあかない。
――明石、加古川、岡山、倉敷、福山、尾道。
昼でさえ眠ったように、のんびりとしておだやかだ。
国道2号の風景は私になにも考えさせない。
広い空に静寂あるのみ。
夕暮れ
海、空、松、瓦はあざやかな朱色
車は河にそって走り、うす緑色のアーチ橋を越えようとするとき
足もとのあたりはうす暗くなるのに反し、くれなずむ夕焼けの明るさ
へびのように銀陀がきらめきをます
空は朱色から紫へと変幻する……
空気は清く澄み、胸が締めつけられる。
こころはなごむ。
いよいよ広島。
夕暮れは長くつづき 闇の訪れはおそい それほど空は広い (つづく)
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十 雲の下 (最終章)
ヒッチハイク二日目、夕刻。
私は広島の市内で寝るところを探しはじめた。
兄の教えは駅、交番、学校、お寺。
交番を除いた、ほかをあたろう。
学校がみえた。校門と校舎がみえた。小づかい室がみえた。人がいる。
づかづかと校門から校庭へすすむ。
ガラス戸を叩いた。
「泊めてあげたけんのう、ちょっと待ってつかあさい、聞いてみるけん。」
ためらいながらもすでに帰宅の校長へ電話をかける。
もうだめなのだ。顔に書いてある。
願いを断るべき名分を探すだけ。
空電話かもしれぬ。
引導をわたされたかっこうになったけれども、それは私をイヤな気にさせない。
気持ちはあったのだろう。
街をさまようころ、陽はどっぷりと暮れていた。
銭湯をみつけ、頭をあらう。うどん屋で安いうどんをすする。
銭湯の洗い場が一段高い、汁が白い。
驚く気力は、もうない。
そら耳がやってきて、寺へ行けと。
ほとんどあきらめ、無為徒労
こころみに、寺の門を叩く。
おもいとはうらはらに和尚は善良でふところ深く、ききわけがよかった。
寝るべき仏間を貸しあたえた。
座布団をかき集め寝所を作るベッドメーク。
遠くに談笑、和尚ほか数名か。
じゃらじゃら、木の小片をかき回すような音は子守歌。
こころよい眠りをむさぼり、力をとりもどした。
明朝
井戸端で顔を洗う
何処ともなく かぐわしい匂い
砂利に下駄の音 みだれ髪に手をかざし 母屋から寺門へ後ろ姿
なにやら分からぬ もぞもぞとする 齢十七。
ひと通りに内徘徊のち、原爆の資料館にたち寄った。
かずかずのおどろおどろしい展示と写真に一瞬目をそむけた。
目をそらせてはならないとおもった。
強いフラッシュに照射され、焼けこげのあとのように写るもの、それはコン
クリート上に立っていた人の影。
熱で溶け、形をなさない鉄柱。
爆撃機の窓からシャターを切った、空高く立ちのぼるきのこ状の雲。
わが目を疑わずにいられない。
きのこ雲のあの下に、ふいをつかれ、この世のものとおもえぬ明るい光と風とに、どれほどの人が頭をうちくだかれ身を焼かれたか、その光景がつたない頭中にひろがった。
この街に科学の進歩という衣を身にまとった”悪魔”があらわれた。
そして、うむもいわさず十四万という人の命を奪いとったのか。
人類の歴史のなか、目をおおわずにいられないこの惨劇惨状を、はたしてどれほどの人間が経験したというのか?
いいや、だれもいやしない――。
思考は混迷をきわめた。
《戦争の悲惨》について、あさはかな理と知とで理解し得るには十七という齢はあまりにも若すぎた。
やり場のない怒りと、悔しさと、そして虚しさがいたみをともなって心にひろがるのを感ずる。
言葉でいいあらわせぬもどかしさ。
脳底の陰影にパシャリ、あれは写真機かしらん。
このときに訪れたのが後頭部の衝撃なのであった。
しばらくしてわれにかえった。
失恋、喧嘩、家出。
そんなことをしている場合ではなかろうに、申しわけないとおもわないのかと、おのれに問うた。
*
筆をもつ手をやすめ深くためいきをついた。
すでに戦後二十年あまり経ていたあの街は、なにもなかったかのように平穏な暮らしが営まれる、その光景がおもいだされた。
あのとき保存した記憶の陰画紙を焼き直してみる。
まめまめしくたち働く人々のようすを目に、どこか腑におちない心もちが湧いていたはずだ。
そして長いあいだ街のさまを、魂をぬかれたわら人形のように呆然として眺めたはずだ。
戦後八十年の歳月が流れている。
国じゅうはうかれだし、遊びほうけて高笑いする、そういった滑稽さにただ、おどろきを以て私は眺める。
これもまた、さらなる被弾に等しい。
あらたにもやもやとした、得体のしれないものがはびこって止まない。
テレビの画面には観衆の面前で品位のない、銀髪のうぬぼれがこう語るのがをみる、全てに関税20%を。
映しだされる映像をそれでも、ぼうっとみつめるおのれの愚かしさ、いかんともし難い。 (了)
追記
数あまたある投稿のなかで『あの雲の下まで』をお読みいただいた皆さまへ
おつきあい頂き、ありがとうございました。
さおさせど
そこひもしらぬわだつみの
ふかきこころをきみにみるかな
文中に不適切な語句があろうかとおもわれますが、効果、時代など考えあわせ、変えませんでした。
またフォロー下すった方々の作品影響によるものに違いない、書きなおすうちカメレオンのように文体が変わる体験を悦びました。
精進します。
Matti