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感情って、重力みたいなもんやなって…。20250220の日記
毎日、心とか、人生とかについて考えてしまう。ヒマか。ヒマだ。
そうして考えているうちに、なんだか少しずつ分かってきたことがある。
感情というものは、心のなかでの万有引力みたいなものに過ぎないのではないか。
俺は今まで、感情というものにずいぶん振り回されてきた。それはもう鎖鎌みたいにブンブン振り回されてきた。
過去に引っ張られ、未来に怯え。実行の伴わない不安な今を過ごしてきた。
実感のない、苦しみ。見えないなにかとずっと戦って、そして無様に負けてきた。
端的に言うと馬鹿。
いわゆる、完璧主義的なものが、自分にはあるのかもしれない。嫌いな自分に突き当たるたび、どうしようもなくなって目を逸らし、妄想に逃げた。責任を環境に押し付けた。
なにかも分からず、ずっと苦しめられてきた。勝手に苦しんできた。馬鹿の一つ覚えみたいに。
頑張ってる人間を見ると、本当に眩しい。自分も、そんな輝きが欲しい。
しかし、自分には到底無理。なぜか。
頑張る理由が、嫌いな自分にあったからだ。嫌いな自分から逃げたくて、頑張る。
しかし、頑張る先でも、当たり前に、嫌いな自分ってのは顔を出す。そうすると、もう頑張れなくなってしまう。
頑張った先にも嫌いな自分がいるなんて、そんなの間違ってる!目指すべきは、こっちじゃない!
それを繰り返し、そうして八方塞がり。行き場を失い、力を失い、また、もとの自分に元通り。底なしの馬鹿である。
頑張る人のあの光は、きっと、好きな自分、好きなものを追いかけているからこそ、輝くものなんだろう。恒星か、惑星か。すくなくとも、光がない限り、星は輝けない。
そもそも、この、自分を振り回す「感情」って、なんなんだ。こいつのせいで、どうでも良い事に一喜一憂して、元気になったり、はたまた、鬱になったりする。
感情とかいう、こいつが邪魔をしてくるから、そもそも苦しんでいるわけだ。
でも、感情があるからこそ、俺たち人間を人間たらしめてるわけで。こいつ抜きには、自分なんていないわけで。
どうにもこうにも、仕方がないわけで。
そうか、多分、感情っていうのは、抗えない自然の法則のようなものなんだと思う。
木が風に揺れるように、川が高いところから低いところへ流れるように、俺たちは悲しんだり、怒ったり、喜んだりする。
重力みたいに、俺たちを地面に縛り付けるけど、うれしいことがあったりすると、ときおり軽くなって、飛べる時もある。
生物は、リアルの重力に抗うため、筋肉を作り、骨格を作り、足を生やしたり、翼を生やしたりした。
まあ、心も同じで。人間は集団で暮らすなかで、心というものを、感情というものを発達させてきた。
心の中の重力も、きっと同じ。無視できない感情という重りに引っ張られながら、俺たちは歩いている。
生きることは、この心の重力に引っ張られながら、歩くこと。どこへ向かうかは、自分次第。
感情という重力は、決して無視できない重しだけど、俺たちには、歩くための足がある。距離、道に違いはあれど、そうやって今まで歩いてきたんだ。
要は、人生も筋トレみたいなものだ。負の感情は、重力みたいな不可抗力だけど、鍛えれば、どこへだっていける心の筋肉はつく。
だから、諦めることないんじゃないか、と思う。(なにを?)