自分の好きなもの
自分の好きなもの、それは音楽。僕は中学一年のときに音楽を自分で聴くようになって以来、今に至るまで、寸時も休むことなく、一日中音楽のことだけを考えてきたように思う。
自分と音楽との関係は、自分と人間(個人的な人間、普遍的な人間一般、どちらであれ)との関係に置き換えることができる。つまり、僕は音楽を人間の内面の発露であると考えている。つまり、音楽と向き合うということは、その音楽を作った人の内面と向き合うことであると思っていた。今でもそう思っていると思う。
僕は人と接することが得意な方ではない。しかし、音楽を通して僕は人間の内面に触れることができた。人間の孤独、人間の温かさに触れることができた。僕は音楽を通して、自分の孤独を抱き締めながら、人とつながることができた。
そのようなつながりは所詮、想像のなかのつながりに過ぎない、という人もいるかもしれない。が、現実の人間とのふれあいが、想像力と無縁であると言い切ることはできない。想像のなかでのふれあいは、ある意味で実際の触れあいであるのだと言い切ることができると思う。
僕は中学の時から、楽器をやり、バンドを組んだりして音楽を演奏していた。大学を去ってから十年間ほど、音楽を演奏することから意識的に遠ざかっていた。しかし、音楽を演奏することから遠ざかっている間も、音楽のことを考えなかった日はない。最近、ジャズドラムの練習を再開した。最後にちゃんと他の人と合奏したのは、今からもう十五年ほど前になる。僕はジャズを、音楽を捨てて、一体何を手にしたのだろう。
僕は所詮、音楽を捨てて生きていくことのできる人間ではないのだ。そういったことを最近痛感している。この十五年間は、ある意味で失われた時間だ。楽器から遠ざかっていたこの十五年間、ひと時たりとも音楽のことを考えなかったことはない。毎日、ずっと音楽のことを考えていた。
そうだ、自分は音楽が好きなのだ。どのように否定しようとも、僕は音楽が好きであるという事実を否定することはできないのだ。僕は自分が、音楽を愛しているのだと今確信しているし、そのように宣言してはばからない。改めて、僕はこう言おう。
僕は、音楽を、愛しているのだ、と。