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【ショートストーリー】消失

どのくらい歩いたのだろう。
ビニール越しの空は晴れ渡っている。役目を終えた傘を閉じ、僕は再び歩き出した。古びた歓楽街の看板は「ここは楽園!」と謳っている。

意味をなさなくなった紙幣が、木の葉のように舞う。もう金銭や権力は、ここにはない。僕ひとりになった世界は、あまりに広く、さみしいものだった。僕は、カフェだったであろう店のテラス席に腰掛けた。

ある日を境に、知っている人間がいなくなっていった。
テレビに出ていたはずの芸能人の存在を皆が忘れ、34人載っていたはずの高校のクラス写真から友人が次々と消えた。ほんの十日もしないうちに、世界にいる人間は、僕だけになった。

誰もいないはずの世界でも、インターネットもSNSも普通に存在していた。誰もいないはずの世界でも、ライフラインすら普通に使用できた。世界から消えたのは「僕以外の人間」だけで、それ以外は当たり前に存在している。
SNSアカウントを開く。僕のアカウントしか存在しないSNS。何度も投稿した「誰かいませんか?」の文字。もちろん、何の反応もありはしない。

がちゃん、とガラスの割れる音がして、僕は咄嗟にカフェの奥に身を隠した。通りの向こうのコンビニから、猪が数頭姿を現した。過ぎ去るのを待つ。どこかの住宅から猟銃を持ってきておけばよかった。久しぶりに肉が食えたのに。

猪は数分そこで走り回っていた後、歓楽街の奥に姿を消した。カフェから出て、一応辺りを見回す。頬に雫が当たり、空を見上げる。また降り出した雨に、舌打ちをする。誰もいない世界で、その音は虚しく響いた。

僕はもう嫌になって、猪が割ったガラスで首を切り裂いた。
赤い血に染まる視界の向こうに「Continue?」の文字とカウントダウンが表示される。またか、と思った。右手をどうにか伸ばして、「No」に触れる。しかし、「Yes」が選択されたまま、カウントは0になり、僕は生き返った。
首に触れる。生あたたかい血の下には、傷のひとつもない。ため息をついた。アナウンスが流れ、ルールの説明が始まる。

「この世界は、あなたの望みによって構築されました。」
「世界にはあなた以外の人間はいません。あなたは死ぬことはありません。永遠にこの世界で生きることができます。」
「この世界を停止するには、世界のどこかにある電源に触れなければいけません。それに触れるとミッションが開始され、それを達成次第この世界は停止し、あなたは日常に戻ることができます。」


僕が望んだのは、『二・三日誰にも会わない』休息だったはずだ。それが、誰もいない世界を四千と二十六日彷徨うことになるとは思わなかった。世界のどこかにある電源。それを探し出し、ミッションとやらを達成する。僕はそれでやっと、元の暮らしに戻れる。



「…こんな暗い話、漫画にしても連載できないなあ。うち、少年誌だよ。」
丹生にぶはそう言って、目の前の男を見た。持ち込みに来たこの男は、さっきから少し怯えている。年齢は19と言っていたが、随分とやつれ、実年齢より老けた印象が残る。男はがちがちと歯を鳴らしながら、叫びだした。
「お願いします!せめて読み切りでもいいんです!」
「そう言ってもなあ。悪いけど他あたってくれ。」
丹生が席を立った。「帰りたくない…」と男が言った。

「……あれ、俺なんでここにいるんだっけ?」
向こうのデスクから森本が顔を出す。
「丹生さん、持ち込みが来てたんじゃないんですか?」
「持ち込み…誰も来てないぞ。」
「確かに…。じゃあこの約束、間違いだったんすね。」
森本は立ち上がり、ホワイトボートの「14:00 持ち込み」の記載を消した。
丹生は仕事に戻った。何かを忘れている気もするが、ほんの些細なことだったと思う。電話が鳴る。森本が応対している。
きっとこのままの日常が続くのだろう。

忘れ去られた誰かなど、いなかったみたいに。

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