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【短編】それは鮮やかなまま

若葉色のスカートが、風にそよいでいる。陽子さんは、鼻歌を歌いながら僕の数歩先を歩いていく。
数年前に来た盛岡とは、少しだけ変わった。陽子さんが好きだと言っていた、あの柳は伐採されていた。
「寂しいが、仕方ないね。」

少し俯いた後、陽子さんは「私たちが暮らした場所へ行こう」と言って歩き出した。秋風が肌に冷たい。陽子さんが歌っていたのは、僕が好きだったバンドの曲。鮮やかな赤をまとった唇が、寂しげなハミングを続けている。
「どうして、最近はこのバンドを聴かないの?」
陽子さんは突然振り返って訊いた。
「…ドラムが脱退してから、急速に興味を失ったんです。なんだか、悲しくて。」
「悲しいのは、『ドラムが脱退したこと』?」
「…いや、そのあともこのバンドが続いていること、かも。」
「そう。」
そう言ってまた、あの歌を歌う。二人で通った場所が空きテナントになっていて、立ち尽くした。
「今日は悲しいね、翔。」
「…あれから、時間が経ったんですね。」
「うん、そうだね。」

陽子さんはまた歩き出した。鼻歌。車のエンジン音。雑踏。
僕は悲しくなって、そこに立ち尽くした。
陽子さんは戻ってきて、僕の手をとった。
「翔、行こう。」
僕は、陽子さんを抱きしめた。行き交う人たちが僕らを見ている。
「…私も、寂しいよ。時間は、過ぎていく。だけど、それだけだ。」
陽子さんは僕の手をすり抜けて、歩いていく。

僕が学生時代暮らしたアパートに着いた。『入居者募集』の文字は、消えかけている。
「102だったね。行ってみようか。」
「…不法侵入ですよ。」
陽子さんは何も答えずに、鍵の開いている部屋に入った。「おいで」と手招きする。入ってみると空き部屋のようで、何もない空間が広がっていた。
「…懐かしいね、翔。」
「どうして、なんですか。」
僕は陽子さんを見ないようにして、訊いた。

「どうして、いつまでも消えてくれないんだ。」
「…翔。」
「陽子さんは、あなたはもう、……この世にいない。わかってるはずなのに、どうして消えないんだ。」
南向きの窓から、日が差している。学生たちの騒ぐ声。クラクション。
「あなたは、あなたは幻なの?僕にしか、見えていないの?なら、なんで僕をここに連れてきたの?」
陽子さんは、少しだけ悲しそうな顔をした。そうしてほしいと、僕の一部が願ったのか。
「あなたが……あなたが僕を愛していなかったことも、僕は知っている。なのに、どうして。」
陽子さんが僕を抱きしめた。身体にやさしく伝わる熱も、僕の生み出した幻に過ぎないんだろうか。
陽子さんは、何も言わない。ただ僕を抱きしめていた。
「…あなたがいないなら、僕はもう生きていたくない。でも、幻のあなたを、これ以上見たくないよ…。」
僕の涙が、陽子さんの肩に落ちた。それはやさしく広がって、シャツにしみを作る。これも、幻覚なんだ。
「ごめんね、翔。伝えたかったんだ。生きていてほしいって。」
陽子さんは僕の頬に手を添えて、キスをした。これも、幻なんだ。今日の全部が、嘘なんだ。なのに。
「どうして、陽子さんが泣いているの?」
「私は、君を愛していたよ。」
都合のいい幻。僕が脳内で生み出した『何か』。なのに、言葉を振り払うことができない。
「ずっと、愛していた。だから、翔。生きて。」

その声と僕だけが、部屋に残った。

誰もいないことを確認して、部屋を出た。
夕方に差し掛かっている。冷えた風が、涙を乾かしていく。

学生の集団にぶつかった。僕は力なく、そこに倒れた。
男子学生たちは謝りながら、僕を起こしてくれた。散らかった荷物を拾い集めてくれているようだ。
「あの…。」
女子学生が話しかけてきた。
「この手紙も、お兄さんのですよね?」
見覚えのない封筒。裏側に『翔へ』と書いてある。僕は震える手で、それを受け取った。
その女子学生はにっこり笑って、僕の唇を指差した。
「口紅、ついてます。」
僕は唇を拭った。そこには確かに、陽子さんのしていた鮮やかな赤があった。僕の頬を、また涙が伝う。
学生たちが去ってから、僕はその場で手紙の封を開けた。
懐かしい文字が、歌うようにそこにあった。



あとがき
『陽子』は日向坂46の正源司陽子しょうげんじようこさんから、『翔』は、とても大好きな俳優・清原翔きよはらしょうさんからお借りしました。
しょげ。『君はハニーデュー』から、伝説を生み出し続けている。すごいよ、すごすぎるよ。鬼太郎推しなのも、かわいらしくていい。これからも応援してます。活躍が楽しみすぎる。
清原翔さん。病気で倒れたと聞いたときは、悲しくて悔しくて…。最近元気そうな姿が見られて、僕は泣いた。『なつぞら』から、ずっと好きで、それは今も変わっていない。ずっと好きです。どうか、幸せでいてほしい。

リドルストーリー風味。
盛岡を舞台にしたが、決して僕の実話ではない。
見方によってはホラーだが、まあそこはどう読み取ってくれてもいい。個人的にセンチメンタルだったので書いてみた。起こり得ないことだが、だからこそ小説なのだ。
たまには、こういうのも書けるんだぞ!と胸を張ってみる。人気出たらいいなあ…。

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