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【ショートホラー】顔

「お前さ、そんな顔だったっけ?」
勝夫は、ここ一週間のうちに両手で足りないほどされた質問をされ、やや腹を立てた。
とはいえ、相手は上司である。そして、この上司にそれを問われたのははじめてだったので、にこやかに、曖昧にかわすことにした。
「元からこんな間延びした顔ですよー。」
そうか、そうだったかな。上司はやや怪訝そうな顔をして、その話題を打ち切った。すぐに仕事の話になる。慢性的な人手不足に悩んでいるこの職場に、雑談に割く時間はそう多くない。
とはいえ、仕事をこなしながらも、勝夫の頭はさっきの質問でいっぱいだった。またかよ、と思う。なぜだか、顔が変わったと言われる。なじみの喫茶店のマスター、アパートの大家、元カノ、同僚、友人。何の脈絡もなく突然に、「顔変わった?」と訊いてくるのだ。
勿論、整形などしたわけではない。たしかに体重は2kgほど落ちたが、顔が変わるほどでもない。だから、勝夫には心当たりがない。ただひとつを除いて。

今日は早くあがっていいよ、と上司が言う。どうやら彼は、勝夫の体調が悪く、顔の印象が変わったと思ったらしい。有給を取ることさえ勧めてきた。業務は自分が請け負うから、問題ないという。
自分がここを辞めないのはこの人の優しさのおかげだな、と勝夫は思う。その優しさに甘えて、明日有給を取ることにした。あの場所に行ってみよう、覚悟を決めた。

翌日、勝夫は朝早く、町外れのほこらの前に立っていた。
この場所を偶然見つけたのは一週間前のことである。
その日は深酒をして、外の風を浴びたいと思いながら、竹林のあたりを歩いていた。ふくろうのような声がして、勝夫は驚き、持っていたかばんを落とした。そのかばんを拾って、ふとあたりを見回したときに、この祠を見つけたのだ。
祠、と呼ぶにはあまりに古く、その上ぼろぼろに壊れていて、勝夫は一瞬何かわからなかったのだが、すぐに思い直し、手を合わせた。
願ったのはありきたりなことだったはずだ。健康でいること。彼女が出来ること。宝くじが当たること。

勝夫は再び祠に手を合わせた。薄気味悪いこの一件から解放されますように。
ほおお、ほおお。
鳥の声だと思った。勝夫は目を開ける。小さく息を吸い込んだ。
祠の上にふくろうが止まっている。だが、その顔はふくろうのそれではない。
たくさんの人の顔だった。パッチワークのようにつぎはぎに、たくさんの顔が繋ぎ合わされている。くちばしがあるから、かろうじて鳥だとわかる。
ほおお、ほおお、ほおお。
小さな顔のそれぞれが、声を出す。中年の男の顔、中学生くらいの女の顔、老婆、少年、外国人の顔さえある。その中に、見覚えのある顔があった。
「…俺?」
普段鏡で見る、自分の顔がそこにあった。その口から、ほおおおお、と長いため息のような声が出た。
「かお、かお、かえしてほしい?」
ふくろうのくちばしが動き、老婆のような声がする。
「わたし、あつめてる、かお、かお、おもしろい。」
返してくれ、と声に出そうとして、勝夫はふと気付いた。このふくろうが俺の顔を「集めた」のなら、今の俺の顔は、なんだ?
ほおほほほほおおおほおおっほ。
ふくろうの顔が一斉に声を出す。笑われているようだ。
「かお、あなた、あげた、のっぺらぼう、のっぺらぼう、すぐに、かお、かお。」
全身の血がすうっと引いていくのがわかった。自分の顔をなでる。
もう、鼻がなかった。
ひっと声を出そうとして気付く。口がうまく動かない。
勝夫はとっさにふくろうの体を掴んだ。ふくろうは老婆のような声で、ぎいいと悲鳴を上げた。
「わたし、ころしても、もどらない、もどらない、もう、もうおわり!」
「やしろ、ほっておいた、にんげん、かお、よこせ、わるい、わるい!」
確かに、こんなにぼろぼろになるまで手入れのひとつもしなかったことは悪いだろう。だが、勝夫は一週間前に初めてここに来た。それまで存在さえ知らなかった。自分が罰を負ういわれはない。
ふくろうの体を締め上げる。ぎいいいっ、ぎいいいっ。ふくろうは、悲鳴を上げながら必死に抵抗する。
「ころしても、もどらない、もどらないよおお…。」
ぎいいと鳴く声が小さくなる。このままではただこの生き物を殺して終わりだ。顔も戻らないかもしれない。勝夫は悩んだ。
その視界に、ぼろぼろの祠が入る。
祠を蹴り上げた。ばきっ、と鈍い音がして、扉が壊れた。
ほおおおおおおおおおおおおおおお、ほおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ。
小さな顔たちが一斉に叫びだす。
これが正解か?勝夫は思った。
再び蹴り飛ばす。ぼろぼろの屋根が崩れ落ちた。
そのとき、勝夫の手からふくろうが滑り落ちた。すぐさま、空に飛んでいく。
急旋回をして戻ってきて、勝夫の前でホバリングする。その顔からは、つぎはぎの小さな顔は全てなくなっていた。柘榴ざくろ色の皮膚に、くちばしだけが浮かんでいる。
勝夫は自分の顔を撫でた。鼻が、元に戻っている。あ、と声を出す。問題ない。戻ってきた、俺の顔が。
「おまえ、ひどい、ゆるせない、ゆるさない、ひどい、ひどい。」
辺りが急速に暗くなる。竹林に、冷たい風が吹く。
「ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない。」
ゆるさない、ゆるさない、声が木霊こだましている。
「ゆるさない、だから、あげる」
ここここここここここ。鳴きながら、ふくろうは空に去っていく。

勝夫は目を開けた。
さっきまで懐かしい夢を見ていた気がする。
自分がここに来て、どれくらいの時間が経ったのか。上司や友人、家族はひどく心配しているかもしれない。世間的には行方不明になったのだろうか。
誰もこの古びた扉を開けてはくれない。食べ物も飲み物も、満足にない。
羽根の手入れをする。今日こそ誰か来てくれるだろうか。
俺も、何かを集めてみようか。
どうせそれ以外することもない。
顔?
記憶?
声、というのもいいかもしれない。
ほほほほほほほほ、乾いた鳴き声が響く。

ぱちん、ぱちん。
手を叩く音がした。何かを願っている人間がいる。



ああ、やっと、来た。


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ナル
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