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なりかわり(下)

おきぬは、山神が討たれたと聞き、急いでこの山に来た。
山神さまがいなくなってしまったら、村はきっと「あいつ」に支配されてしまう。村長も、他のみんなも、どうしてだか騙され続けている。

村長には、甥などいなかった。
それどころか、存命の親族はいなかった。それなのにいつからか、村長の甥だと名乗る吾介ごすけが現れた。誰も不審がることもなく、吾介は生活に溶け込んでいく。おきぬだけが、吾介の存在に違和感を感じていた。
その正体を知ったのは、あの洪水の夜だった。
逃げようとした先の廃寺で、吾介は人を食っていた。
おきぬは逃げようとした。吾介はすぐにこちらに気付き追いかけてくる。おきぬは途中で足をすべらせ、濁流に落ちた。
濁流の中から顔を出すたび、おきぬは村人に向かって叫んだ。
「逃げて。逃げて。あいつから、逃げて!」
だが、その声は、轟音にかき消された。このままでは、「あいつ」が、この村を滅ぼしてしまう。おきぬは濁流の中で願った。山神さまが助けてくれることを。たとえ自分が死んでも、この村を守ってくれることを。
目を覚ましたとき、おきぬは流された方角とは正反対の、あの山のふもとにいた。まだ日は昇っていなかった。胸に手を当て、自身が死んでいるということを悟った。それでも、「あいつ」から村を守るため、戻らなければいけない。そう感じていた。そうして、おきぬは村に戻った。
山神が『堕ちた』と聞いたのは、それから一月もしないうちだった。

おきぬは後悔していた。げんと名乗るあの猟師に、全てを話すべきだった。村人に今以上に気味悪がられようとも、話しておけばよかった。

山神の祠におきぬは急いだ。物音に振り返ったとき、横から強い衝撃を受けた。おきぬを庇い吾介に殴られたのは、心配しておきぬを追ってきていた、村長だった。


「槍は、不得手なんだがな。」
「仕方あるまい。お前の鉄砲では殺せぬ。」
おきぬの目の前には、厳という猟師と、その肩に乗った栗鼠がいた。
「…山神、さま、なの?」
栗鼠が振り返る。
「おお、おきぬよ。そなたの願いのおかげで、私は死ななかったのだ。『なりかわりから村人を守りたい』という、純粋な願いのおかげだ。」
栗鼠が、しゃべった。本当に山神様かもしれない。
「おい、どうするんだ?」
厳が声を張り上げる。見ると、なりかわりは腕をぐるぐると回しながら、こちらから距離をとっている。
「…ふむ。離れるのならば、投げよ。」
「はあ!?」
「膝にある顔を狙って、槍を投げよ。まずは動けぬようにするのだ。」
山神は、厳の肩を降り、おきぬと村長のほうに向かってくる。
「…知らんぞ、俺は!」
そう言いながら、厳は槍を投げた。見事に左の膝に命中する。なりかわりは、くぐもった悲鳴を上げた。
「よしよし。いいぞ、神殺し。」
山神は、おきぬの肩に登ってくる。そこに座り、おきぬを見る。
「…よう、耐えたの。」
その優しい言葉に、おきぬの抱えていたものが、一気にあふれ出す。涙は、静かに流れ落ちていく。
「どうするんだ、これから!」
厳は再び声を張り上げる。なりかわりが、更に距離をとろうとしていた。
「また枝を拾え、神殺し。」
厳は枝を拾う。あっという間にそれは、槍に変わっていく。
「…恐ろしい力だな。」
「当たり前だ、『ここ』は私そのものだぞ?あらゆるものを、こうして武器にできるわ。」
だから、ひたすらに投げるがよい。かかか、と山神が笑った。

「そういうことなら、話が早い!」
厳は次々に枝を拾い、槍になったそれをなりかわりに向かって投げる。次々と命中し、なりかわりの顔が潰れていく。
「おぅい、神殺し。顔を全て潰したら、そこにある切り株に触れよ。」
おきぬの肩の上から、山神が叫ぶ。
「あの、山神さま。『なりかわり』って、どんな妖怪なの?」
「あれはな、人の嫉妬から生まれる。『自分ではない人間になりたい。』『あいつが妬ましい。』そういう感情が、いつしか集合し、醜く歪んだもの。それが『なりかわり』だ。人の記憶を歪め、いつの間にか生活に溶け込む。そうして人を食らう化け物だ。」
「…村の人のせい?」
おきぬは、村長を見ながら問う。
「いいや。村の者の感情というわけではない。どこかの誰かの、卑しい感情だよ。それがたまたま、ここを見つけた。」
「…山神さまが『堕ちた』のは、私たちのせい?」
山神が乗っている肩を、見る。助けてくれと願っておきながら、自分たちが神を『堕とした』のならば。
人は、なんと浅ましいのか。おきぬは思っていた。
「…村の人間も色々だ。ここから命を奪っておきながら、もう私の名を知らぬ人間も多い。そうした者たちのことは、実を言うと憎い。だがな、おきぬよ。そなたは、いつも供え物を持って祠に来てくれた。そこで気絶している村長もな。」
「…もっと素敵なもの、持って行けばよかったかな。」
おきぬの頬を涙が伝う。
「何を言う。いつも持ってきてくれていた豆腐、美味かったぞ。村長はいつも酒ばかりだったからな。あれはあまり好かん。」
「おい、山神!切り株に触れたぞ!」
厳がこちらに向かって叫んでいる。もうじき、戦いは終わる。

「神殺し。そのまま触れていろ。」
おきぬの肩で、山神は何かを呟く。切り株は形を変え、弓矢となった。
「心の臓は、人間と同じところにある。撃ち抜け、神殺し。」
「おうよ!」
弓矢は風を切って、なりかわりの胸を貫く。
「やったか!?」
なりかわりの身体が、ぼろぼろと崩れていく。最後には、土に混じって消えた。

「……やっと、このときが来たか。」
山神の声に、厳は振り返る。山神が何事かを唱え始める。厳がおきぬに向かって駆け出す。
「この野郎、やっぱりまだ…」
厳は山神を押さえつけようと手を伸ばす。
「この阿呆が。」
いつの間に持っていたのか。山神が厳に、いが栗を投げつけた。
「今更、人に害などなさぬわ。邪魔をするでない。」
再び何かを唱え始めたとき、おきぬが叫び声をあげた。
「体が、熱い!山神さま、これは何!」
「…少し耐えろよ、おきぬ。人に戻してやる。」
山が轟音を立てる。その音に、気絶していた村長も目を覚ました。
「…おきぬ、厳さま!これはいったい…?」
三人はあたりを見回す。山神の姿はもうない。その声だけが響く。
「おきぬ。そこのクヌギに触れよ。もう少しだ。」
おきぬは体の熱さに耐えながら、手を伸ばす。触れたその瞬間クヌギは枯れ、おきぬは気を失った。
「おきぬ!」
村長がおきぬを抱きかかえる。山神の声がする。
「村長よ、おきぬはまた人として甦ったぞ。」
「山神さま、なのですか…。どこに、どこにおられる!」
「私の姿を、人が目にすることはもうないだろう。力を使いすぎた。神殺し、お前に言っておくことがある。」
「…なんだ、言ってくれ。」
厳の目には涙があった。
「お前は、これからも『堕ちた』神を討て。そして弔ってくれ。お前になら、頼める。」
ああ、それと。山神の声が遠くなっていく。
「おかげで、真っ当な神に戻れた。ありがとうよ、厳。」
それきり、山神の声はしなくなった。


「もう行くのですか。」
おきぬと村長は、厳を見送りに来ていた。おきぬは丸三日眠っていたが、四日目の朝に何事も無かったように目を覚ました。医者に見せたところ、心臓も問題なく動いているという。山神は、なりかわりの「命」と最後の力を使い、おきぬを復活させたのだ。
「ああ、もう行かなければならん。ここから三つ峠を越えた先の村で、神馬がその生を終えようとしているそうだ。」
「…山神さまは、もう私たちのところには来ないのでしょうか?」
おきぬが問う。厳は、山のほうを見てから、おきぬに笑いかける。
「…あの山神のことだ。そのうちひょっこり現れるさ。」
また豆腐を持って行ってやれ。そう言いながら厳は去っていった。

おきぬと村長は、そのまま山の祠を目指した。
二人の手には、今朝作ったばかりの豆腐、そして、村長が持っていくと言ってきかなかった、酒があった。
吾介のことは、村長とおきぬ以外の皆が忘れていた。なりかわりが消えたから、ということなのだろう。
祠に豆腐と酒を供え、昨日の供え物を片付ける。
「…あれ?」
おきぬは、昨日供えた豆腐が小さくなっていることに気付いた。酒はというと、全く減っていない。
「…どうやら、来てくださっているようじゃの。」
村長は微笑んだ。おきぬは、森の木々を見上げる。
山神さま、見ていてね。あなたがくれた命、大切にします。
風が吹き、木々が揺れる。
二人が村へ歩き出したとき、祠ががたんと音を立てた。
おきぬは振り返り、にっこりと微笑んだ。


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ナル
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