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【短編】五寸様

その旅館で不思議なことが起きるようになった頃、私はこの土地に戻ってきていた。誰もいなくなった実家を放置できなかったため、仕事を辞め、この町に戻ってきたのだ。
家の古い窓を開け放つと、遠くに山が見える。その山の麓に建つ旅館は、遠く昔、安土桃山の時代から続く老舗といわれている。

あの旅館には『桐の間』という部屋がある。かつて参勤交代に向かう大名が休み、窓から見える桐を褒めたといわれている部屋だ。
その部屋の窓が勝手に開くようになったのは、私が戻ってくる少し前だったらしい。
隣近所の人たちは「あそこも古いからね」と含みのある言い方をした。古いから。それは建物が老朽化したという意味なのか、それとも。

その旅館から従業員が失踪したのは、雪の降りしきる日だった。

警察の捜査も虚しく、その従業員の痕跡はまったく掴めなかった。
彼女は住み込みでその旅館に勤務していた。携帯電話や財布といったものは全て部屋に残されたままで、書置きや遺書などもなかった。
防犯カメラの映像には、彼女が『桐の間』に入っていくところが映っていた。そのことが他の従業員に伝わると、瞬く間に噂となり、町中に広がった。
写真週刊誌の取材が殺到し、『桐の間の怪』として騒がれ始めた。



そんな状況を尻目に、私は実家の片付けに勤しんでいた。
失踪を自ら選んだのならばもう見つからないだろうと思っていたし、事件性があるものならば、警察がどうにかするだろうと思っていた。
そんな折、蔵で古い書物を見つけた。

「…なんだ、これ」

そこに描かれていたのは、『五寸様』という言葉と、蛇とも蚯蚓みみずとも形容しがたい、うねうねとした生き物の姿だった。手で何かを形作った絵も添えられている。この筆跡に覚えがある。町史を編纂していた祖父の字だ。

「『五寸様はかの山の麓で、邪な願いを喰らい生きている。桐の見えるあの部屋で、窓を五寸開け放ち大元帥明王の真言を唱え続け、両手にて印を結ぶべし。さすれば白檀の香りとともに、五寸様が窓より現れるだろう』…」

まさかな、と思った。だが、あまりにも…。
私はネットで大元帥明王の真言を調べた。それをメモし、旅館に電話をかけた。『桐の間』に宿泊したいと言うと、電話口から小さな悲鳴が聞こえた。
祖父の書物とカメラを手に、私は旅館に向かった。


桐の間は薄暗い。暮れかけの窓からは、雪の積もった木々と白く覆われた山が見えた。
五寸だけ窓を開け、目を瞑り、印を結ぶ。大元帥明王の真言を小さく呟く。のうぼう、たりつ、たぼりつ…

何度も繰り返し唱える間ずっと、冷たい冬の空気が吹き込んでくる。その冷たさにほのかな香りが紛れ込んだと思ったとき、べちゃ、べちゃという音が、窓の方から聞こえてきた。
恐怖よりも興味が勝った。私は、静かに目を開けた。
開けた窓の隙間ぴったりの太さの身体を器用にくねらせ、それは部屋に入ってきた。鱗のない身体から、纏っていた泥が剥がれ落ちる。先端の方を見るとそれは完全に蚯蚓で、私は吐き気がした。
ずる、ずる。ずる、ずる。いつまで待ってもそれは尾を見せることはなく、部屋の中は大きな蚯蚓の身体で埋め尽くされていく。
あまりの気持ち悪さに、私は真言を唱えるのをやめた。

その瞬間だった。蚯蚓の身体は恐ろしい速さで窓の外に出て行ってしまった。撮影しそびれたな。そう思いながら立ち上がり、窓を閉めようとした。

「…ん?」

雪の積もった桐の木に、あれが巻きついている。先ほど見ることの叶わなかった尾には女の顔が張り付いている。身をくねらせるたびに、その顔が妖しく笑うのが見えた。
もう一度、真言を唱えようか。
そう思った矢先、尾の先の女と目が合った。にたり、と笑った後、あれは木を滑り降りて、山へと去っていった。



その後は何も起きることはなく、翌朝私は帰路についた。
その途中寄った古びた定食屋で、件の週刊誌を手に取った。ぱらぱらとページをめくっていると、失踪した従業員の写真が掲載されていた。
許可はとったのだろうか、と考えながらその顔を見るうち、昨夜のことを思い出した。あの大きな蚯蚓の尾。その先で妖しく笑った女は。

身震いして、窓の外に目をやる。
旅館の浴衣を着たあの女が窓に顔を寄せ、こちらを舐めるように見つめていた。




あとがき

連載準備に手間取って久しぶりのホラー執筆に逃げたのは、僕だ。


とはいえ、手を抜いたわけではない。一応書きたいことは書けた。
とはいえ、最近はあんまりホラーを書いていなかったこともあり、書くのに苦労した。連載はホラーじゃないし…。
あ、来年の創作大賞はホラーでいくかもしれません。
…もしくは、恋愛小説か?(そんなわけない)
もう考え始めないと、僕の頭は鈍いので…。

楽しんで書いたので、感想お待ちしてます。

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ナル
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